Wikipedia:井戸端
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| Wikipedia:井戸端/過去ログ |
このページ(井戸端)は、ウィキペディア日本語版について、運営や方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々なことで質問や提案、議論、意見交換を行なう場所です。ウィキペディア日本語版、もしくはウィキメディア・プロジェクトと関係のない話題を投稿するのはご遠慮ください。
This page is used to ask, propose and discuss the operations, policies and new ideas of Japanese Wikipedia. If you want to write in the languages other than Japanese, you can use Help for Non-Japanese Speakers too.
次のような内容には、このページ(井戸端)ではなく専用のページがあります。
- ウィキペディア全体に関して
- 個々の専門分野に関して
- 個々のページに関して
-
- そのページについての意見や質問 → そのページのノート・コメント依頼・Wikipedia:執筆・翻訳者の広場
- そのページについての意見の募集 → コメント依頼
- 個々の利用者(アカウント)に関して
井戸端以外に適切な議論の場所がある場合、投稿がそちらに移動されることがあります。あらかじめご了承ください。
- 最近の更新
- 井戸端ウォッチリスト
- サブページ
- 運営方針
-
- 投稿された全てのトピックは、サブページに移動します。
- サブページは、Category:井戸端の話題にカテゴライズしています。
- サブページは、最新の投稿から10日経過するか、最初の投稿から30日が経過するまで、読み込まれます。
[編集] ブロック逃れの投稿は全て差し戻すべきか
ノート:幽霊男 (漫画)で議論をしていて思ったのですが、ブロック逃れの投稿は全て差し戻すべきなのでしょうか。それはもちろんLTA:ISECHIKAやLTA:BOKEのような荒らしの投稿は全て差し戻すべきでしょう。LTA:SANNETやLTA:KORAILのような、虚偽記載が強く疑われ、記事を悪化させるような投稿ももちろん差し戻すべきであると考えています。ですが、単にブロック逃れというだけで、別の問題がないような投稿まで差し戻すべきなのか、という点を疑問に持ちます。
もちろん、ブロック逃れはjawp内でのタブーであるとは認識しています。ブロック逃れの利用者は即時にブロックされるべきでしょう。ただ、それは自分の首を絞めているだけですので、その分ブロックの解除が遠くなる、ブロック解除以降の活動分が減る、もしくはブロック解除の見込みがなくなるという意味で相殺されるのではないかと思っています。荒らしでもないブロック逃れの投稿を差し戻すのではなく、他のことに時間を割いたほうがjawpの発展に寄与するように思います。この点について、皆さんどうお考えでしょうか。--青木(おおぎ)高校生 2010年2月13日 (土) 18:55 (UTC)
- 全て差し戻す必要はない、と考えます。数百数千のレベルで大量の編集があり、うちほとんどが明確に「荒らし」であれば、機械的に「すべて」差し戻すというのも、仕方ないかもしれません。しかし、たかだか数個や数十個の編集を、内容の良し悪しを確認せずに、あるいは「ブロック逃れだから」と差し戻すのであれば、それは荒らしと大差ありません。「ブロック逃れの編集は全て差し戻すべき」という考えの方は、もし「ブロック逃れ」が、別の荒らし(白紙化や、「馬鹿」などと言った落書き等)を差し戻した場合は、どうするんでしょうか。「ブロック逃れ」が、誰もが認めるほどの素晴らしい記事を書いたら、それを削除依頼に出すのでしょうか。ブロック逃れであれ、ウィキペディアに対する貢献は認められるべき、と考えます。--氷鷺 2010年2月13日 (土) 19:34 (UTC)
賛成氷鷺さんの意見に同意。私も違反者を取り締まる事に躍起になって本来の目的である記事編集をおろそかにしては本末転倒と考えます。例えば、これは痛いなぁ。あやしいわーるど@暫定 (暫定退避)の住人は容赦が無いので恐れ入ります。こええこええ。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月13日 (土) 23:47 (UTC)
- Wikipedia:井戸端/subj/ブロックされた利用者の投稿記事に関してやWikipedia:井戸端/subj/無期限ブロック者が記述した内容と同じ記述をしてはならないか? で同じような話が出ていましたので、ご参照ください。Category:井戸端の話題/投稿ブロックから辿ると関連する井戸端の投稿が見つけられると思います。なお、私は記事の内容と投稿者は別物と考えているので、たとえブロック逃れの投稿であっても、その投稿そのものが荒らしでなければ差し戻す必要はないと考えています。--アルビレオ 2010年2月14日 (日) 05:21 (UTC)
コメント - 誰の編集であれ、問題投稿や荒らしならリバートすればよし、問題の無い編集ならリバートすべきではない、要はごく普通のユーザーに対する判断基準通りにやればいいだけで、別段「ブロック逃れだから」というフィルターを掛ける必要はないと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年2月14日 (日) 15:37 (UTC)
- 当方の場合はブロック逃れの記述の是非とその利用者による投稿内容の問題とは切り離して考えております。例えブロック逃れの利用者による記述であっても問題が無くしかも有用なものである場合は一々差し戻さなくても良いであろうと考えております。尚有用な記述であっても当然ブロック逃れは禁止行為ですが。--目蒲東急之介 2010年2月14日 (日) 16:35 (UTC)
コメント全て差し戻す必要はないと思います。いちいち差し戻す必要がなければ、放置しておくほうがいいと思います。「差し戻さなければならない」ではない。たとえば、ブロック逃れの編集が、荒らしへの対処や方針やガイドラインから正しい編集であれば、そのままのほうがいいでしょうし、誰かが差し戻していたとしても、方針やガイドラインに沿った記述へと修正するのがよいでしょう。- そのブロック逃れの利用者が、ブロックされた理由にも拠りますから、その内容だけで判断することには同意し難いです。ブロックされている利用者は、あらゆる面で役に立たない、あるいはあらゆる面で有害であるからブロックされているのではなくて、貢献している面もあるけれど、コミュニティはブロックしたほうがいいと考えたからブロックされている人もけっこういるわけです。
- 個別の例は挙げませんが、その内容に固執して暴言や個人攻撃に発展したりという理由でブロックされているのならば、内容の良し悪しを別にして、差し戻しをしたほうがよいと思います。虚偽や外部からの転載を理由としてブロックされていたのならば、ブロック逃れの投稿が虚偽または転載であると言う確認がとれていなくても、差し戻しをしておいたほうがよいでしょう。虚偽かどうかは常に明らかというわけではありませんし、編集者が多くない分野では、いちいち検証する労力をかけることが難しい場合もあります。また、長期にわたって自らのブロック理由をかえりみることなく、編集を継続しようとしているような利用者については、その編集が、いくらかウィキペディアへの貢献になっていたとしても、ウィキペディアでは受け付けないという態度が望ましい場合もあると思います。
- そういうことから、一度差し戻しがあった場合に、その投稿自体が単純に荒らしと言えるものではないからといって、それを再度差し戻すべきではないと考えます。ブロック逃れの投稿であっても有意義なものならば、自らの責任によって再度「編集」をする。
- 差し戻すことにかかる時間を割いたほうが、差し戻さないことによって懸念される事態で時間をとられるよりもはるかにマシなこともあるのです。最初の差し戻しをする時、その差し戻された記述を復帰する時には、ブロックに至る経緯やブロック後の状況を確認した上で、作業する必要があると思うのです。ブロック後も投稿の内容ひとつひとつの中身から判断するということなら、その利用者へのブロックの必要性そのものを再考すればいい。
- なお、話を広げるのは避けておきますが、「ブロック逃れ」かどの程度確実か、ということも考慮するべきものだと思います。--Ks aka 98 2010年2月15日 (月) 05:30 (UTC)
ブロック逃れの投稿は全て差し戻すべきではないが、その投稿そのものが荒らしでない場合でも、その投稿者がブロック逃れであれば、差し戻したほうがいい場合があるということについて、ご意見をいただけますでしょうか。--Ks aka 98 2010年2月23日 (火) 02:50 (UTC)
- 差し戻すかどうかという閾値を、そういう事情を含めて判断する、というのならまだ分かります。しかし、どのような編集でも(内容の良し悪しを別に)差し戻して良い/差し戻すべき「ブロック逃れ」など、存在しないと考えます。相手が誰であれ、差し戻すべきではないケースもまた、存在するでしょう。そこまで、ブロック逃れを追い出すことに躍起になって、それで、後の活動を抑えられるとも考える根拠を説明していただけますか? その段階で食い止めれば大人しくなってくれる、そんな人間なら問題など起こしません。「中の人」が誰かなんてことは放っておいて、もっとシンプルに、編集の内容だけで判断できないのか、不思議に思います。--氷鷺 2010年2月23日 (火) 15:29 (UTC)
-
- ぼくが書いている「ブロック逃れの投稿は全て差し戻すべきではないが、」「その投稿者がブロック逃れであれば、差し戻したほうがいい場合がある」というのは、氷鷺 さんの言う「どのような編集でも(内容の良し悪しを別に)差し戻して良い/差し戻すべき」とは違いますし、氷鷺さんが「まだわかる」とおっしゃっている「差し戻すかどうかという閾値を、そういう事情を含めて判断する」とそれほど変わらない意見だと思いますが、いかがですか。
-
- 「ブロック逃れを追い出すことに躍起になって、それで、後の活動を抑えられる」ために差し戻しをするとは述べていませんし、それが差し戻しの主な理由ではないと考えています。たとえば虚偽や外部からの転載を理由としてブロックされた利用者の虚偽または転載が疑われるが誰の目にも明らかな虚偽や転載ではない投稿を差し戻すのは、記事の信頼性を少なくとも現状を保持するものとし、特定版削除の際に以後の加筆が巻き込まれることを避けるために差し戻しをするのです。虚偽または転載は、編集の内容だけでは、それほど簡単に荒らしや問題投稿と判断できないものもあります。--Ks aka 98 2010年2月23日 (火) 18:57 (UTC)
-
- ブロック逃れの投稿である、と特定できるような投稿は原則差し戻しとしても問題はないように思います。本当に問題の無い投稿であれば特定できるような性質のものにはならないはずです。 -- NiKe 2010年3月6日 (土) 07:24 (UTC)
[編集] メダルテンプレートについて
スポーツ選手のメダルテンプレートについて、スポーツ分野に限らず幅広い方のご意見をお伺いしたいと思います。カール・ルイスをご覧ください。獲得メダルについては非表示がデフォルトになっており印刷用バージョンでもメダルテンプレートを表示するリンクをクリックしないことには非表示のままです。さすがにカール・ルイスがメダルを獲得していないとは誰も誤解しないように思いますが、より知名度の低い人物の場合はぱっと見ただけでは誤解するケースがあるのではと気になります。本文を読めば通常メダリストであったかどうか理解できるとは思いますが。メダルを多数獲得した人物の場合などですとその部分が肥大化されてしまうのでデフォルトでは隠されていた方が良いという考えの方もおられると思いますが。ご意見をお願いします。--Tiyoringo 2010年2月20日 (土) 02:52 (UTC)
- Wikipedia:井戸端/subj/折りたたみスクリプトについておよびそこでリンクされている議論が参考になると思います。簡単に纏めると、本当に必要な情報なら隠すべきではないし、デフォルトで隠しておく情報ならむしろ除去したほうが良いでしょう、という意見が主流です。私も「指定して隠せる」機能はあって良いと思いますが、非表示をデフォルトにするべきではないと思います。--アルビレオ 2010年2月20日 (土) 09:20 (UTC)
- 印刷用バージョンに関して言えば、CSSの「@media print」で要素を指定して、印刷時には表示されるようにすることも可能かと思います。但し、昔、Template:SpoilerHで印刷時表示対応を試みて失敗したことがあったと記憶しています(クラスNetabareSpoilerを使用しているテンプレート)。printバグのあるIE5系のことも考えねばならないし、上手くいかないかもしれない。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年2月22日 (月) 22:55 (UTC)
- 閲覧にしかWikipediaを使用しない人ですとラッキースター・キッドさんのご提案されている方法でも対応できないということでよろしいでしょうか。--Tiyoringo 2010年2月23日 (火) 12:55 (UTC)
-
- 一応、対処法が無いわけではないのですが…… 「通常は閉じているが印刷時は開いている」や「通常は開いているがクリックすると閉じる」ではなく、「常に開いている」であれば簡単な話で、ガジェットとして
NavContent{display:block}を作れば良いです。常に開きっぱなしになるので印刷時も問題ありませんし、ガジェットなので使いたい人だけ使えます(非ログインユーザは使えませんが)。但し、Template:Navbox関連テンプレートは NavFrame の系統ではないので、これでは開きません。 - 問題は、「クリックしても閉じない」ことです。但し、「表示」「隠す」リンク(
a.NavToggle)を非表示にしてしまえば、クリックしようがなくなりますので、一応の問題解決にはなります。「右の[表示]をクリックしてください」等の文章が間抜けな状況になりますが、これは仕方ない(js無効の環境では元から間抜けになっていますし)。 - また、Template:Hiddenの使われている記事では、グロ画像を隠すのに使われているようで、これを開きっぱなしにするのもどうかと思いますが、これはガジェットの注意書きに書いておけばよいかもしれません。
- もっとも、個人的にはガジェット方式はあまり好きではなく、記事のほうでなんとかしてもらいたいと思っています。カール・ルイスなどの獲得メダル歴なんて、あるいはスポーツ選手全般での獲得メダル歴なんて、全く隠す必要無いでしょうに。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年2月23日 (火) 22:00 (UTC)
- 一応、対処法が無いわけではないのですが…… 「通常は閉じているが印刷時は開いている」や「通常は開いているがクリックすると閉じる」ではなく、「常に開いている」であれば簡単な話で、ガジェットとして
情報 主題からズレますが、折りたたみテンプレートの印刷について。英語版では MediaWiki:Print.css で対処されているようです。show/hideボタンを「非表示」にして、中身の部分を「表示」にしています。--Frozen-mikan 2010年2月24日 (水) 06:03 (UTC)
コメントシステム的なことはよくわかりませんが、カール・ルイスを見て、カール・ルイスでこれくらいの量で収まるのなら、なぜ閉じているかわからないし、なぜ開閉できないといけないかもわからないし、そもそも実績の節とは別にテンプレートが必要なのかどうかも疑問に思いました。--Ks aka 98 2010年2月24日 (水) 06:52 (UTC)
- メダル数の多いマイケル・フェルプスのような選手だと標準で表示されると邪魔に感じます。[表示]ボタンがあり、一度クリックするだけで見えます。誤解することなどありえません。表示させたい選手がいる場合テンプレートを改造して指定した場合に表示できるようにしてほしい。en:Template:Infobox sportspersonはshow-medals = yes で表示することができます。pt:Predefinição:Info/esporte/atletaでも、esconder = sim で変更できます。数が少ない選手なら標準で表示されるようにしたらいいと思います。--Rain night 2010年2月27日 (土) 01:06 (UTC)
コメントダニエラ・シリバシュを加筆したときに多いなとは思いましたがテンプレートだけで本文がスカスカならばともかくそれほど気にすることもなかろうと思いました。ヨーロッパ選手権のメダルを載せると過剰と思う人もいるかなとは思いました。マイケル・フェルプスのようなケースでは、オリンピックだけ常時表示といった選択肢も考えられると思います。例えばオリンピックや世界選手権だけをテンプレート化するのも一つの方法ですが選手の実績によってアフリカ競技大会、コモンウェルスゲームズなどでもテンプレートを使用するというやり方もあるのではと思います。--Tiyoringo 2010年3月2日 (火) 13:52 (UTC)
-
- 朝原宣治や塚原直貴で二重にメダルテンプレートが入れられてしまっていたのでTemplate:Infobox 陸上選手を修正してshow-medals = yesで表示されるようにしてみました。こちらのほうがいいでしょうか。Template:サッカー選手やTemplate:テニス選手の基礎情報テンプレートなどもメダルを入れるタイプにしたいなと思っています。--Rain night 2010年3月5日 (金) 04:08 (UTC)
-
-
- サッカー、テニスに関してはオリンピックが最も権威がある大会とは言い難いので当該プロジェクトに投げた方がよさそうです。特にサッカーはそうした方が良いと思います。--Tiyoringo 2010年3月6日 (土) 11:47 (UTC)
-
[編集] ライセンス更新の文言の意味について
文言の意味の解釈に悩んだので質問させて下さい。 過去にアップロードした画像ファイルでGFDLのみ宣言している(CC-BY-SAの宣言をしていない)ファイルに(たとえば私のアップロードしたファイル:Miyakoliner02.jpg)
「ライセンス更新により、ライセンス更新基準を満たしているGFDLのみでライセンスされていたものは、全てクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスでも利用可能になりました。 このメッセージを見かけた場合、WP:LU#ライセンス更新に関する判定にしたがって、ライセンス更新基準を満たしているかどうかの判定を行なってください。」
との表示が出ますが、この「判定を行って下さい」の意味を分かりかねております。これは、CC-BY-SAの状態をアップロードの状態でその都度「利用者」が判定して利用(ファイルに対して何らかの編集は必要ない)していくのか、「アップロードした人」がCC-BY-SAの状態を改めて編集して書き加えていくのかが分かりません。おわかりの方いらっしゃいませんか? 後者であれば自身でそれぞれのファイルに変更(CC-BY-SAの宣言)を加えていきたいのですが。Template:ライセンス更新判定の使い方もよく分からないです。--Lightslateblue 2010年2月26日 (金) 14:37 (UTC)
- 自分で投稿したものなら、どんどん変えてください。--Ks aka 98 2010年2月27日 (土) 07:10 (UTC)
- WP:LU#自分が投稿したファイルをライセンス更新に対応させるもあわせてご覧下さい。--青子守歌(会話/履歴) 2010年3月1日 (月) 09:27 (UTC)
- 井戸端がサブページ化されてウオッチするのを忘れるところでした(申し訳ありません)。コメントいただきまして、ありがございました。リンク先を拝見しながら暇を見て張り替えていこうと思います。いつのまにか「あなたがこのファイルの投稿者である場合、WP:LU#自分が投稿したファイルをライセンス更新に対応させるに従い、ライセンス更新に対応してください。」という文言も追加されているようでわかりやすくなりました。--Lightslateblue 2010年3月5日 (金) 08:59 (UTC)
[編集] サイドバーから井戸端へのリンクは必要?
現行の日本版wikipediaではサイドバーから井戸端がリンクされており、どのページからでもアクセスすることができるようになっております。しかし、wikipedia:コミュニティ・ポータルというものが存在するのですから、わざわざ議論の場の一つでしかない井戸端にリンクすることもないのではないでしょうか。
井戸端へのアクセスの手軽さが、本来別の場で行われるべき議論を井戸端に持ち込んでしまっているようにも感じます。--めいじろ 2010年2月28日 (日) 10:42 (UTC)
- めいじろさん、こんにちは。私の場合、サイドバーの井戸端へのリンクはよく使っています(逆にコミュニティ・ポータルは滅多に開きません…)。井戸端は幅広い利用者の方々に比較的よく利用されているページのようですし、どこに相談していいか分からない場合に役立つと思いますので、個人的にはサイドバーにあってもいいんじゃないかなと思います。Wikipedia:利用案内へのリンクもサイドバーにあっていいんじゃないかと思うくらいです。--Penn Station 2010年3月1日 (月) 04:12 (UTC)
- だからこそ「井戸端」なのではないでしょうか。もしも単に「議論の場の一つ」でしかないのなら、「井戸端」などというネーミングからして変ですからね。現在の井戸端は、ちゃんと「井戸端」として機能しているように思います。誰でも手軽に立ち寄れるからこそ「井戸端」なわけですし。何処か「別の場」での議論で溜まったガスを抜く、つまり不満を述べたり愚痴を吐いたりぶっ飛んだ議題をぶち上げたりすることで落ち着きを取り戻してもらっているのだ、と思ってみては如何でしょうか。爆発されてはwikipediaとしても困るわけですから。
- ガスが溜まり易いのは不慣れな初心者であり、不慣れな初心者には適切な「別の場」を探すのは難しい。其処で登場するのが「アクセスの手軽な井戸端」なのだと思います。そしてそのアクセスの手軽さはまた、初心者が「大人達」の様子を眺める機会を増やし、学習する助けにもなっていると思います。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月1日 (月) 18:08 (UTC)
-
- 確かに初心者向けとして必要な場かもしれませんね。(私自身もそんなに上級者というわけではないですが)ただ、それだったら「利用案内」がある方が親切じゃないかなー、というのは感じます。
- 何にせよ貴重なご意見ありがとうございました。--めいじろ 2010年3月1日 (月) 21:47 (UTC)
-
-
- 膨大な量の利用案内から自分の疑問の答えを探すのは大変です。だからと言って「利用案内」と「基本方針とガイドライン」を百万回音読して一分の隙も無く完璧に理解するまで参加するな、疑問や不満が出たら理解も出来てないのに参加した自分の迂闊さを呪いながらもう百万回音読しろ、と言うのはwikipediaの目指す理想とはかけ離れていることでしょう。
- 「子供」はわけもわからぬうちから手を出して、「大人」達に無邪気に質問したりその様子を見たりしながら(そして時には「はしゃぎ」過ぎたのを「たしなめ」られながら)「大人」になっていくわけです。私達はまだ「お兄ちゃん」程度かも知れませんが、「お兄ちゃん」達が「大人」として「子供」達の相手をすることもまた、「お兄ちゃん」が「大人」へと成長する大切な過程だと思うのです。
- そういう意味で「井戸端」は、大人と子供(そしてまだ大人になりきれていないお兄ちゃん)が触れ合う大切な場です。それは単に初心者向けの「何か」ではなく、中級者や上級者も含めた全員が成長していくことを助けてくれる「何か」なのです。それは利用案内等では賄いきれない、世代から世代へとwikipediaの「文化」を受け継ぐ為の特別な役割を担っているのだと思います。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月2日 (火) 05:01 (UTC)
-
- 現在起きている問題に対処する側として、ノートで解決できない、あるいは解決方法がわからない問題を依頼の形ではなく相談の形として述べられる井戸端へのリンクは有用だと考えます。なお、問題を抱えている人がめいじろさんの仰る「利用案内」に相当するHelp:目次(サイドバーの「ヘルプ」にあてられています)からのリンクを探しても答えが見つからない場合もありますし、また各種依頼の場に書式や前提条件を満たさない依頼が出された場合には対処しかねることがあります。そうした意味でめいじろさんがここで相談を書き込まれたことは正しい判断だとは思います。ですがサイドバーから井戸端へのリンクを削除する提案には井戸端への書き込みに対応する際に不便ですので反対させていただきます。--Himetv 2010年3月2日 (火) 05:37 (UTC)
- むしろ利用案内と調べもの案内をサイドバーに加えたらどうかなーと言ってみます。ここで答えるか、それとも他所へ誘導するかは回答者の裁量じゃないかと思います。ただし、質問者・相談者に対して「それは○○のノートで議論して下さい」と言った場合には、「井戸端の方が意見が集まるから敢えてそうしている」という旨の反論をされる場合があるので、それについては書き添えておきます。--草薙 2010年3月2日 (火) 12:23 (UTC)
-
-
- それはWikipedia:コメント依頼をお勧めするのが適切ではないかと……いっそ「コメント依頼ならコミュニティー・ポータルのトップに表示されるので、ブロックの必要性とかを調べる為に管理者も見に来ますよ」ぐらいのことを書いておけば、コメント依頼の方に強い魅力を感じるのではないでしょうか。「自分の意見は正しい」と信じている初心者が欲しいのは結局のところ「権力者からの支持」ですからね。「正しい」と思っている時点で「間違っている」のですが、それは追々気付いてもらえば良いことでしょう。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月2日 (火) 15:27 (UTC)
-
-
-
-
- 発案者にも関わらずコメントが遅れて申し訳ありません。
- >めいじろさんの仰る「利用案内」に相当する
- いえ、私としては単純にwikipedia:利用案内を指したつもりだったのですが…。すみません、一般用語なのか記事名なのかわかりにくかったようですね。wikipedia:利用案内にて質問されるべきことが、井戸端に来ているんじゃないか?ということです。
- まず、「英語版では井戸端へのリンクが無い」ということを前提としてご理解いただければと思います。他の言語に関しては私の言語能力が至らず調べておりませんが、基本である英語版に存在しないのに日本語版に存在するということは、何か理由・もしくは先行する議論があるのでは?という疑問が、この発案のきっかけであります。私の下調べではそういった議論が発見できなかったため、どなたかご存知の方はいらっしゃらないかな、と思いこの場を使わせていただきました。もちろん私は井戸端の存在意義については否定しておりません(何より、もし無かったら私自身がここで議論できなかったのですから)。ただ、wikipedia:質問などといった項目を差し置いて、サイドバーからのリンクが貼られていることに、多少の疑問を持ったというだけです。
- 井戸端へのリンクを外せ、ではなく、現行には改良の余地があるのでは?が私の本旨です。ご理解いただければと思います。--めいじろ 2010年3月2日 (火) 21:51 (UTC)
-
-
-
-
-
-
- 恐ろしく私的な意見ではありますが、「井戸端」という存在は地域コミュニティー自体が教育の場として機能する文化を持つ日本人にとって必要不可欠級に重要な存在だと思います。それに対してマニュアルに基づく教育の文化を持つアメリカ人(つまり英語版の主要参加者)にとっては「井戸端」が教育の場として機能しない=初心者には必要無い=サイドバーに存在させる理由が想像も出来ない、ということなのではないでしょうか。
- もしかしたら、英語版でも他国語版でもサイドバーに井戸端を設置したら「有意義な存在」として受け入れられるのかも知れませんよ。まぁ、そういった教育文化を持たない国の大多数のウィキペディアンはめいじろ氏と同じことを考えて「コミュニティーを疲弊させる」存在として速やかに廃止されてしまう可能性の方が高いでしょうけど。
- 「先ずマニュアルを隅から隅まで百万回音読してから参加しろ」という文化で育った人間からしてみたら、井戸端のような存在は「新規参加者を甘えさせる」存在に思えるのかも知れません。そしてその「新規参加者が甘える」ことで熟達した(と本人が思い込んでいる)ウィキペディアン達が教育のコストを払うのは、恐ろしく理不尽であると共に、その「熟達したウィキペディアン」が新規参加者の教育にコストを払った分だけwikipediaにとって直接に利益となる「編集」が行なえなくなる現実に基づいて井戸端は「wikipediaにとって不利益」であると判断するのは無理からぬことでしょう。
- 私は「現行の井戸端の存在と、それがサイドバーにある状態こそが最良」という観点を持っています。なので逆に、他国語版に井戸端が無いことの方が「改良の余地がある」ぐらいに考えています。日本の文化もwikipediaの方針も正邪善悪にあまり敏感ではなく、参加者全員に(「従うこと」ではなく)「考えること」を求める特徴があります。日本の文化の良い手法を取り入れていくことは、きっとwikipediaの利益にもなるに違いないと私は「思い込んで」います。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月3日 (水) 14:26 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
-
- 英語版はコミュニティポータルとヘルプがあってそこから行けるから井戸端なし、ということのようです。metaだと、Wikimedia Forum(Village pump から転送)やBabelがサイドバーにあります。井戸端へのアクセスの手軽さが、本来別の場で行われるべき議論を井戸端に持ち込んでしまっているというところはあると思います。でもまあ、利用案内や調べもの案内との区別はついていると思いますし、よろず相談所のような機能でもいいのかなとも思います。--Ks aka 98 2010年3月3日 (水) 16:56 (UTC)
-
-
-
-
(インデント戻します)うーん、やはり私の視点では、コミュニティポータルへのリンクで十分に思えるんですよね…。適切な質問の場所を選ぶことは、質問者にとっても得になることですから。適切な場の方が、より良い答えが得られるのは自明です(例えば英訳の質問は井戸端より翻訳者の広場の方が良い答えを出してくれるでしょう)。その中で、「これはどれに属するかわからないな」と思った質問を最終的に井戸端が請け負えば良いのではないでしょうか。初心者のためのスペースが必要というのは正しいと思いますが、それを井戸端だけが積極的に担う必要性は感じません。
ただ、Himetvさんのような上級者の方が、利便性から井戸端へのリンクを必要としていることは理解できます。それを今から除去しようというのも乱暴ですから、せめてwikipedia:利用案内などへのリンクを追加したいな、というのが今の意見です。今回の節の見出しから話が逸れますし、何より私の中で案がまだ固まっていないので、正式な提案はあっても後日という形になると思います。しかしながら、サイドバーに関する意見をお持ちの方がいらっしゃいましたら、この場にお寄せいただければ幸いです。--めいじろ 2010年3月3日 (水) 22:11 (UTC)
- めいじろさんが冒頭でおっしゃられていることは理解できるのですが、除去となると・・・という気もします。井戸端とお知らせが「ヘルプ」に割り当てられているのも、よく考えたら「?」という感じですし、やるならWP:HDへのリンクの追加も含めて、一度サイドバー全体の見直しと再編をしたほうがいいかもしれませんね。--青子守歌(会話/履歴) 2010年3月5日 (金) 09:00 (UTC)
[編集] 参考文献欄における著作権に関して
カフェインの項の参考文献欄が妙だったので、検索しました。[1]([2]も)とか、[3](116ページ)とかが全く同じ内容なのですけれど、こういうのは著作権的には問題ないのでしょうか。
問題の編集は、[4]でなされていました。--Yabby 2010年2月28日 (日) 13:54 (UTC)
- 著作権上の問題はないです。ただ、その記載方法だと、投稿者さんが、それらの論文を読んで、加筆しているということになります。おそらくは、検索先のいずれかからの加筆でしょうから、削除の必要はなくとも、適切に修正されるのが好ましいと思います。--Ks aka 98 2010年2月28日 (日) 14:21 (UTC)
-
- ありがとうございます。投稿者さんの会話ページに、その諭旨を伝えて参りました。--Yabby 2010年3月1日 (月) 09:27 (UTC)
[編集] Ubisoft images
Just informing you that the Ubisoft images are about to be deleted on Commons, see commons:Commons:Deletion requests/Template:Attribution-Ubisoft 3. The Japanese language Wikipedia currently uses 17 images out of the category Ubisoft images. If you want to keep using them, you need to transfer them here. --The Evil IP address 2010年2月28日 (日) 18:50 (UTC)
- 翻訳 Translation
- 【日本語版の皆さんにお知らせに参りました。このたびUbisoftの画像がコモンズで削除されることとなりました(詳細はcommons:Commons:Deletion requests/Template:Attribution-Ubisoft 3を御覧下さい)。日本語版は現在、Ubisoft画像カテゴリにある画像を、17枚使用しています。もし今後これらの使用し続けたい場合は、これらの画像をコモンズから日本語版へ移してください。--The Evil IP address】
- 訳者:Translater--Was a bee 2010年2月28日 (日) 19:00 (UTC)
- Ubisoftというゲーム会社のスクショなどの画像が、ライセンスの細かい部分の関係でコモンズには置いておけない、ということが最近コモンズで決まったようです。ついてはコモンズでは画像を削除するけれども、もしローカルで受け入れ可能なら日本語版へ画像を移してください、そうすれば今まで通り画像を使い続けられますよ、ということのようです。詳細は読んでないので分かりません。翻訳だけしておきました。--Was a bee 2010年2月28日 (日) 19:06 (UTC)
[編集] 「ウィキペディアの編集上での注意」について
今、再度仕切り直して議論をしている「Template‐ノート:継続中の作品」、この仮運用を行う予定でしたが、私のやり方もまずかったため、中止することとなってしまいました。その中で、ノートに貼る内容(下記参照)のテンプレートの提案を行いましたが、見解の中で有足魚さんが「ルールの制定・整備」についておっしゃっていました。
編集上のルールは、「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと、「Wikipedia:ウィキペディアに参加する」、「Wikipedia:性急な編集をしない」など、1つ1つきめ細かくかつ幅広く広がっています。
そこで、上記議論の仕切り直しおよび下記テンプレートの試作品の内容から、人物、事象、歴史、生物、番組、作品、公共交通機関、法律、スポーツの大会等、日本語版のすべての記事において幅広く設定できる事項を1つに集約適応可能な指針をまとめた「Wikipedia:編集上の注意」のページ新設や、新規ログインユーザーの方々にBotが貼り付けていくあいさつテンプレートのようなものを作ることはできないのかという議論を行おうとしたのですが、上記に示しただけでも広範囲に渡っているため、議論場をどこに設定してよいのかがわかりませんでしたが、利用案内でのアルトクールさんのご教授から、この場で行いたいと思います。
今ある指針を組み合わせるたりするのか、それらを発展して1つに集約するのかなど幅広くかつ忌憚のないご意見を頂戴したいと思っていますので、よろしくお願いします。--Nobook 2010年3月1日 (月) 17:37 (UTC)
「Template:継続中・放送中」として使用予定であったもの(内容のみを抜粋)
この項目は、放送中の番組や完結・終了していない作品に関する項目です。編集を考えている方は、以下の点に気を付けつつ、検証可能性を満たすようにしてください。
- Wikipediaはファンサイトや個人的な感想・批評を述べる場ではありません。中立的な視点・観点から編集するようにお願いします。
- Wikipediaでは、最新の情報を反映することを歓迎していますが、ドラマ・アニメなどのようなストーリー性のある記事に関しては、毎週・逐一追加せず、ある程度のストーリーや番組内容がまとまった段階で編集してください。場合によっては、記事そのものが保護にかけられる場合があります。
- ドラマやアニメ、バラエティ番組のコントドラマなどのような人物設定・あらすじ、ストーリーなどについて編集・投稿を行う場合、著作権や著作権問題をご覧になり、公式サイトなどからの転載・丸写し、コピペなどを絶対に行わないでください。場合によっては、記事そのものが削除される場合があります。
—以上の署名の無いコメントは、Nobook(会話・履歴)さんが 2010年3月1日 (月) 17:37 UTC に投稿したものです。
- 議論が広範囲に及んでいるようなので、場違いかもしれませんがコメントさせていただきます。僕がかつて「ルールの整備」に言及したのは、放送中のテレビ番組に関する記事において、編集を抑制するのならば明確なルールが必要であろう、という考えに基づいてのことでした。もちろんそれは、テレビ番組の記事に特段の事情がなければ成り立たず(そうでなければ、既存のルールで十分であり、テンプレートも必要ない)、どのような問題が起こっているのかという議論も必要だったのではないかと思っています。
- 個人的に起こりやすいと思う問題として、検証可能性を満たせない記述が行われる可能性が高いということがあります。放送中のテレビ番組は、放送されている時間しか見ることができないのですから、それを出展にされても検証することができません。テレビ番組に関する記事に対して、検証可能性についてより厳格なルールを定めることは有益かもしれません。--有足魚 2010年3月2日 (火) 06:06 (UTC)
お話の助けになるかどうか分かりませんが、Wikipedia:記事投稿まえのチェックシートというものを作ったことがあります。--mizusumashi(みずすまし) 2010年3月4日 (木) 13:07 (UTC)
[編集] 法竹
法竹(尺八ににたもの)についての記事がみつからない。だれかがつくってくださればいいとおもう。英版に参加してください。—以上の署名の無いコメントは、HARUHI111(会話・履歴)さんが 2010年3月1日 (月) 18:28 UTC に投稿したものです。
- 新規の執筆を希望される場合は、Wikipedia:執筆依頼で依頼されると良いですよ。ただ、内容がちょっとニッチですのでご自分で可能な部分まで書いて、Wikipedia:加筆依頼で加筆を依頼するのも記事を作成し、発展させる良い手段だと思います。--Hanabishi 2010年3月2日 (火) 07:22 (UTC)
-
- 尺八#物理的構造にある「「古管」あるいは「地無し管」」が該当すると思われます。en:Hotchikuを翻訳することも考えられますので、Wikipedia:翻訳依頼で依頼するのもよいかもしれません。--ろう(Law soma) D C 2010年3月2日 (火) 08:34 (UTC)
[編集] 不適切な内容に思えるが、対処法がよく分からない
テレビ放送があるという事で検索していたら藤倉大の項目を見つけたのですが、略歴に書かれている内容のほとんどが出典が不明で音楽性などについて出典無しで述べており、否定的な部分も多く、これは http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%AD%98%E5%91%BD%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98#.E5.87.BA.E5.85.B8.E7.84.A1.E3.81.8D.E6.89.B9.E5.88.A4.E3.81.AF.E9.99.A4.E5.8E.BB こういった方針に反するのではないかと思います。 要出典を付けてみましたが、特に今まで反応はなく、しかし、私が出来そうなことと言えば問題があるかもしれない部分を取り除くことくらいですが、問題点は多く文章として成り立たせる自信がありません。 要出典あるいは未検証を付けてからもっと待つべきであるとか、私がどうすべきかあるいはこれが問題なら解決できる適切な方法を教えて下さい。 私はWikipediaを編集するのには向きませんので、あまり役に立ちそうなことは出来そうにありませんが。--58.188.123.22 2010年3月1日 (月) 19:47 (UTC)
- 問題のある記述についてご自分で修正なさる自信が無い、ということでしたら、修正依頼をご利用になってはいかがでしょうか。もしかしたら出典をご存知の方が追記なさるかもしれませんし、削除すべきと考えられれば然るべく対処されると思います。ちなみにウィキペディアの方針文書などのリンクは、「[[Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去]]」の様にお書きになると分かり易いリンクになりますよ(Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去)。--おきた 2010年3月1日 (月) 20:25 (UTC)
-
- 修正依頼と言うのがあるのですね、かなりがんばって説明を見たつもりでしたが初めて知りました。ありがとうございました。リンクの方法感謝します。記事へのリンクは記憶にあったのですが、#付きのものはどうするのか忘れておりました。--58.188.123.22 2010年3月2日 (火) 23:53 (UTC)
[編集]
山本耕史“スイートJAM”や銀魂 (アニメ)など、本文中に直接 NavFrame が使用されている記事があります。私としては、NavFrame の使用は著しく可読性を欠くので除去して構わないと思っています。しかし、やや議論内容は異なるもののWikipedia:井戸端/subj/メダルテンプレートについてでは「(折り畳み部分が)標準で表示されると邪魔に感じます」というような意見もあり、おそらく先述した山本・銀魂もそのような意図で NavFrame が用いられているものと思われ、一律に除去してよいものか悩んでいます。
皆さんから、記事本文中に直接書かれた NavFrame の扱いについての意見を聞きたいです。使用してよい場合、悪い場合など。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年3月2日 (火) 22:08 (UTC)
- 銀魂の記事を見ましたが、これだけ長く続いているアニメのサブタイトルとなると、やはり折りたたまざるを得ないのではないでしょうか。
- すべて展開してみればわかりますが、ものすごく読みにくいです。さらに、サブタイトルというのは、他の節と比べればあまり読まれないような資料的部分で、必要な人だけが参照するものだと思うので、折りたたんでページの長さを調節するのは良いことだと思います。可読性を欠くとおっしゃられていますが、私はNavFrameを除去したほうが可読性が損なわれるのではないかと思います。ラッキースター・キッドさんがどうしてNavFrameがあると可読性が損なわれると思うのかちょっと理由を知りたいです。--グラン 2010年3月4日 (木) 16:38 (UTC)
-
- すみません。言い方がまずかった。と言いますか可読性(一見したときの読みやすさ)という言葉を誤って使っておりました。私が言いたいことはむしろ「ユーザビリティを欠く」ということです。
- グラン氏は「必要な人だけが参照する」と仰るが、さて、折りたたまれた状態で、何人の人がサブタイトル情報に辿りつけるでしょうか。余程ウィキペディアに詳しくない人でない限り、素通りしてしまうのではないでしょうか。見えない(探せない)情報は、存在しないも同じなのではないかと思います。
- 展開した場合に読み辛いのであれば、折り畳まずに、たとえばゴルゴ13作品リストのように別記事を作ったり分割したりするのでは駄目でしょうか(註:Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは改訂され、ただデータベースであるだけで削除されることはなくなりました)。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年3月9日 (火) 23:47 (UTC)
NavFrameはただのオマケ機能です。たとえばIEの場合、セキュリティレベルが「高」になっているだけで折り畳むことができません。ですからそれに依存した記事を書くべきではありません。使うのであれば、すべて展開した状態もデフォルトと考えるべきであり、畳んだ状態だけをデフォルトと考えるべきではありません。--Gwano 2010年3月6日 (土) 02:57 (UTC) 下線部修正。--Gwano 2010年3月6日 (土) 03:38 (UTC)
- IEは殆ど使わないので、セキュリティレベルによっては折り畳まれないことがあることは知りませんでした。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年3月9日 (火) 23:47 (UTC)
- Help:ダイナミック・ナビゲーション・ボックス#ブラウザの対応にも多少の説明があります。折り畳みはJavaスクリプトを利用した機能みたいですので、他のブラウザでも安全や動作軽減のためにJava関連を無効に設定した環境では同様に折り畳めないと思います。--Gwano 2010年3月10日 (水) 12:57 (UTC)
[編集] 「参照方法」のテンプレを貼るとき、投稿者に義務行為が伴うのか?
頻出の質問なのかもしれないのですが、お尋ねします。まとめのページがあれば、その場所を示してもらうだけでももちろん結構です。記事の最後に参考文献だけ載っていて、記事の文章内には脚注を用いた細かい出典の書いていない記事があって、個人的に、一部の内容の信用性があやふやと思われたり、独自研究ではないかと感じた部分があったので、「参照方法」と「独自研究」、「要出典範囲」、「疑問点」のテンプレートを貼って、ノートに一部の文章が独自研究(根拠薄弱かどうかは人によって見方が異なると思いますが)と考えた理由を書いておいたら、参考文献を読まずに印象だけでテンプレートを貼るのはけしからんという趣旨のことを言われて、リバートされました。また、要出典範囲の部分に出典をつけることも拒否されました。そこで質問なのですが、「参照方法」のテンプレートを貼るときに、出典の細かい指定を求める側が、あげられた参考文献をあらかじめ調べないといけないという義務が伴うのでしょうか。そういう規定を書いたウィキペディアのルールやガイドライン文書は存在するのでしょうか。教えていただければ幸いです。--亜顎十郎 2010年3月3日 (水) 16:47 (UTC)
- このようなときはどの記事かを明示したほうがよいです。記事は 交響曲第7番 (マーラー)、議論は ノート:交響曲第7番 (マーラー) ですね。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方 にある「本文中に注釈を挿入する」「記事末尾に参考文献を記載する」のうちの後者、すなわち general reference のかたちで出典が示されていた状態に対し、特定の記述について疑問が生じたという事情のようです。ということでよろしいでしょうか? 確かにどこかで見たような議論ではあるのですが、どこでしたかね。善悪はともかく、私が同じケースに出遭ったならば、まずノートで尋ねるか、履歴を漁って加筆者に直接尋ねるようにします。しばらく無視されるようであればそれからテンプレート貼付ですね。--Su-no-G 2010年3月3日 (水) 17:10 (UTC)
- 出典を示す責任は掲載を希望する側にでしょうか。この場合文章が必要だと思っているひとが、確認するべきですが、参考文献節に文献があるなら、最低限の出典表記はされていると考えられます。そこでさらに、出典を脚注で加えることが必要だと思っているのならばあなたがやるのが一番良いと私は思います。まずは、参考文献をどれか一冊でも確認してみてはいかがでしょうか。その結果、載っていなかった部分について、一人では確認しきれないので、だれか協力してほしいということはできると思います。--春日椿 2010年3月3日 (水) 17:14 (UTC)
コメント読む義務はないです。あげられた参考文献をあらかじめ調べた上で要出典範囲や参照方法を貼っているなら、むしろそのほうが意地が悪い。- まず、「参照方法」や「要出典(範囲)」というのは、形式的なものです。大きく内容に踏み込むような指摘をする場合は、自分がその判断をする根拠となる知識を得た情報源を示して、加筆や修正をするのが望ましい。内容について触れていたほうが修正の方向性が見えやすくなるという面もありますので、、執筆者によるところもあります。現時点での記述が不十分なところを指摘するのは質的な向上のために必要なことですが、自分が書くのではなく、誰かに加えてもらうことで向上させるのだと考えれば、その誰かが気持ちよく書けるような配慮もまた、必要なことだと思います。
- インラインで出典を挙げていないが、まとめて出典を挙げているような場合は「要出典範囲」を使うのは好ましくないこともあるでしょう。出典は示されているので。
- それほど大きくなく、また、複数の分野にまたがるのでもない記事で、その記事の内容をおおよそ含んでいるような情報源が存在しているならば、そのような情報源を複数参照して書き、まとめて出典を挙げているようなこともあります。このような場合は、必ずしも脚注方式が最適ではない場合もあります。「参照方法」を使う場合は、記事の性質、記述の内容と情報源の関係を、多少推察してみてもらえれば避けられる衝突もあると思います。
- 実は脚注方式については、比較的最近議論がありましたから、いくらかナーバスになっている執筆者もいらっしゃると思います。Wikipedia‐ノート:良質な記事/過去ログ2#出典掲示方法による検証可能性の評価についておよびその前の節の後半あたりも参照ください。--Ks aka 98 2010年3月3日 (水) 17:32 (UTC)
コメントそもそもこの参照方法テンプレートはgeneral referenceを非推奨にしていない現状では文面を変更するか、廃止すべきものでしょう。--Afaz 2010年3月3日 (水) 20:49 (UTC)
コメント 「あげられた参考文献をあらかじめ調べないといけない」義務はないと思いますが、貼った人は必ずノートで議論する(道義的な?)義務があると思います。- 議論のないテンプレートの貼り逃げは勘弁して貰いたいです。何を問題と思ったのか、さっぱり分かりませんし、よく聞いてみると単なる誤解と言うこともあります。--長島左近 2010年3月4日 (木) 02:32 (UTC)
- 「要出典範囲の部分に出典をつけることも拒否されました」は酷い話だと思います。しかし相手から見ると誤解・言いがかりなのかもしれません。コミュニケーションは難しいです。分かってもらえるような努力が必要です。--長島左近 2010年3月4日 (木) 02:56 (UTC)
コメント交響曲第7番 (マーラー)の履歴と、ノート:交響曲第7番 (マーラー)を拝見しました。テンプレートを貼ったということはその記事の編集にコミットメントしたということですから、長島左近さんが仰られるようにノートにおける議論は義務です。ただ、亜顎十郎さんは、理由をノートで説明していますし、執筆者との対話もやっておられますから、これは問題ありません。しかし、Su-no-Gさんが指摘するように、共同での編集作業を気持ちよくやっていく上では、テンプレートの貼り付けの前にやっておくことは色々あっただろうとは思いまし、そこは今回の教訓として学んでいただければと思います。(偉そうですね。すみません。)- もっとも、今回のケースでは、執筆者は「疑問を出された点は、参考文献を見れば分かる」と答えているのですから、共同で編集作業をする気があるのであれば、その時点で参考文献を調べるのは当たり前と思います。そういう覚悟無しに、他者が執筆した記事に異を唱えようとするのは、甘いんじゃないかと思いますが。
- 現状としてgeneral reference方式で書かれた記事があり、執筆者は図書館で借りた本を元にして数年前に執筆したから今はインラインの出典提示には対応できないというのであれば、亜顎十郎さんがやることは、ご自身で参考文献を調査して脚注をつけながら根拠の無い文章を削除・修正するか、他者(元の執筆者か第三者)がそれを行うのを待つかです。まず、それは考えてみてください。
- で、参考文献をよんでおられないことを自認亜顎十郎さんと、参考文献を元にして書いたと主張する執筆者のどちらが信用されるかといえば、マーラー7番についての基礎素養が無い人間からしたら、執筆者側をとりあえず信頼するしかありません。ですから亜顎十郎さんが貼った「独自研究」テンプレートは剥がすべきですし、「要出典範囲」「疑問点」などについても同様です。わざわざ可読性を損なってまで貼るようなものではありません。
- なお、今回の執筆者については前々からその編集活動は存じ上げていますが、信用できる編集者と言ってよろしいです。亜顎十郎さんが、文献を再調査した上で脚注付加や修正加筆される際には、きっと有用なアドバイスやコメントを出していただけると思いますよ。--おーた 2010年3月4日 (木) 13:37 (UTC)
コメント こんばんは。当該記事を読み、亜顎十郎さんがタグを貼られた版も拝見しました。(私が主執筆者の方の執筆記事をこれまで幾つか拝見したことがあり、執筆される記事への信頼を寄せているというやや贔屓的な視点を割り引いても)、私には少し過剰なタグ貼付の印象を受けました。独自研究を疑い、ここまで大量に要出典を貼るのであれば、私でしたらひとまず参考文献にある書籍を探してみるかなあと。ここは個人差でしょうか。- 個人差といえば、私ならば出典を要求されればとりあえずわかる範囲で出典をつけてしまうノンポリ体質ですが。それが記事にとって正しい発展の仕方なのかは少し懐疑的なところもあります。要求されるままに妙なところにも出典をつけたものの、後から見た人に「何故こんな珍妙なところに出典がついているんだろう」と思われないかなあと、時々振り返って悩む時もあります。
- 蛇足ですが。Ks aka 98さんのご意見の「あげられた参考文献をあらかじめ調べた上で要出典範囲や参照方法を貼っているなら、むしろそのほうが意地が悪い。」の意図が少し私には理解しにくいです。私は要出典タグはまだ使用したことがないのですが、仮に使用する機会があれば書かれた参考文献は(調べられそうなものは)調べたうえで貼付すると思うので。ん、そうなると私は意地が悪いということになるのでしょうか。うーん。--Giftlists 2010年3月4日 (木) 14:49 (UTC)
-
- ああ、わかりにくかったですね。すみません。「参考文献を読めばわかる」という前提で書いていました。
- インラインではない形で参考文献が書かれていて、挙げられた参考文献をあらかじめ調べ、その参考文献から得られることを記事に反映させ、その上で出典がない時に「要出典」などを貼るのは妥当だと思います。
- インラインではない形で参考文献が書かれていて、挙げられた参考文献をあらかじめ調べ、参考文献に書かれていることを承知で、どこに何が書いてあるのかを知った上で、「要出典」などを貼るのは意地が悪いと思います。--Ks aka 98 2010年3月4日 (木) 17:45 (UTC)
- ああ、わかりにくかったですね。すみません。「参考文献を読めばわかる」という前提で書いていました。
-
-
- みなさん、コメントありがとうございます。まず、問題となったのはSu-no-Gさんのおっしゃるとおりのページです。また、論点もSu-no-G さんのおっしゃるとおりです。私は原理主義者の気味があるんですかねえ。結局公式ルールとガイドライン以外に共通に通用して確実なものもないので、出典を示す責任は掲載を希望する側にに書かれたように全部やったつもりだったんですが...。独自研究などのテンプレート嫌がる人もいるでしょうが、テンプレート貼らなかったらどれくらいの人がノートをチェックしてくれてるのかもはっきりしないですし。それに薄弱とは言え、それなりの根拠もノートに書いておいたんですがね。人にはそれぞれの違った常識や流儀があるでしょうし、違う流儀でやられたら人によってはむっとするってこともあろうかとは思いますが、ウィキペディアのルールの通りにやったら他人の癇に触れて非難された、というのであれば、ウィキペディアでは一体何が確実な指針なのかと嘆息するばかりです。文献を読むことを薦められる方もいらっしゃいますが、やるとすれば6、7冊あげてある参考文献の中の新書1冊くらいが私のチェックできる範囲ですかね。ただ、本当に読むとすると、なんだか釈然としない感じは残りますね。ルールの通りにやったら、結局、ルールとは反対に出典を求めた側に仕事が回ってきたことになって、じゃあ、ウィキペディアのルールって結局何なんだ、という徒労感があります。--亜顎十郎 2010年3月4日 (木) 16:48 (UTC)
-
-
- 横から失礼しますが、ウィキペディアのルールって結局何なんだに関しては「過去に先人達が大体こんなもんだろうと考えて合意した議論の結果」です。それは重視し充分に考慮するに値する先人達の知恵と経験のまとめですが、墨守しなければならない法ではないのです。
- 一応問題となっているノート:交響曲第7番 (マーラー)を見ました。みっち氏の言っていることは(百科事典として)間違っていると思いますが、氏は(氏の主張に拠れば)当時考えられる限り最善の努力を行なったのであり、亜顎十郎氏の行為を「自分は何もしないくせに他人の努力を評価しない侮辱的行為」と受け取ったものと思われます。またみっち氏の主張から推測するには、該指針が公開された当時には既に似たような状態のページが大量にあって検証可能性の確認が事実上出来ず手が付けられない状態だったのでしょう。その問題を拡大させない為に、件の指針が出来たものと思います。やはり「指針は重視し充分に考慮するに値する先人達の知恵と経験のまとめですが、墨守しなければならない法ではない」としか言いようが無いですね。
- 件の文献を読んで信用性やら独自研究やらに疑問がある部分に一つ一つ脚注を付けていくのが最善の方法だと私も思いますが、とりあえず頭の固い執筆者のことはうっちゃって(≒放って)おいて他の記事の改善に力を注ぐ方がwikipediaの為なのではないでしょうか。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 14:45 (UTC)
コメント 追加します。亜顎十郎さんは「6、7冊あげてある参考文献の中の新書1冊くらいが私のチェックできる範囲ですかね」と仰る訳ですが、その程度の覚悟で記事を弄ろうとし続けるならば、執筆分野によってはこの先、もっと不愉快な局面に立ち会うかもしれませんよ。Wikipediaの各種ガイドラインは、共同で百科事典を編集するためのものなのであって、盲目的に何かのルールに従っていれば良いというものではありません。特定のガイドラインを盾にとって強引に議論を進めるあまり、Wikipedia:礼儀を忘れないという大事な公式方針を蔑ろにするユーザーは跡を絶ちませんが、そのような愚には踏み込まないように注意くださればと思います。「個人的には共感できない見方です」(亜顎十郎さんの文章から引用)程度の根拠で議論を仕掛けるのは感心しません。--おーた 2010年3月5日 (金) 15:42 (UTC)
-
(インデント戻す)ウィキペディアのルールって結局何なんだと言うなら、それはもちろん百科事典を編纂するためのルールです。Wikipedia:検証可能性にしても、脚注の形式で出典を表記することを求めるテンプレートも、ウィキペディアに執筆する側で参加すること(記事に問題を感じ指摘すると言う行為も含めて)も、記事を編纂・改善するためです。そういう意味では、ある記事に口出しをするということは、(具体的に何をするかはさておき)その記事に関わって改善することに対する意志の表明ではないでしょうか。もしそうでないなら、それは単なる言いがかりにしかならない。そうでしょう?
もちろん、人によって知識があること/ないことというのも確かにある。だから、記事を改善するために、出来ること/出来ないことやその程度は色々でしょ う。だから、具体的に何ができるかは様々でもいい。だけれども、共同作業をやっている(他の人を相手にしている)以上、少なくとも真剣さを欠いているのは すごくマズいんじゃないでしょうか。
確かに出典を示す責任は掲載を希望する側にとルールに書いてあるでしょう。だけれど、それは記事を問題を指摘するにあたって、必要な知識もなしに「個人的には共感できない見方です」などという薄弱なことで云々し、「6、7冊あげてある参考文献の中の新書1冊くらいが私のチェックできる範囲ですかね」という程度のことしか自分はしないなんていう、「教えてクン」紛いのおよそ真剣さの欠落したことをして良いっていうのとは違うんじゃないですかね。「自分は何もしないくせに他人の努力を評価しない侮辱的行為」(世界最狂の魔法使いCray-Gさん)ってのはそこら辺を言い当てた表現で、そんな態度で何か言いに来られたら、こいつはテキトーにケチをつけに来ただけで、記事を改善しようとして真剣にやってきたのではない、と思われても仕方ないのではないか。みっちさんにああいう風に険悪な対応をされたのって、つまりそういう事なのではないですか?
私は以上のように考えました。--ikedat76 2010年3月6日 (土) 16:25 (UTC)
[編集] 検証可能性などの解釈について ゲームそのものは出典となりえるか
いい加減アカウント作成から3年にも達しようかとしている今時分にこの様な質問も恥ずかしいのですが、できるだけ日本wikipediaの流儀に従って行きたいと思いますので、恥を忍んで質問させて頂きます。
wikipediaの各種方針を素直に解釈するならば、あらゆる記述に出典を明記する必要があります。自動車が4つのタイヤで走る乗り物である事さえも!出典の不明瞭な行や文節は存在してはいけません。まあこれはいいのですが、私などはコンピューターゲーム関係の記事にも手を出しておりまして、ここで疑問が生じるのです。
例えば、「某シミュレーションゲームではマップはヘクスで構成され・・・1ユニットは10の耐久力が・・・・」と言う記述に、出典は必要なのでしょうか。検証可能性の原則から言えば、入手が容易なものであればですが、このゲームを入手し起動することで誰にでも検証、確認が可能ですので、別途出典は必要ないでしょう。文献資料を購入する手間と違いはありません(ネットの文献は信頼できる資料とは見なされていません)。しかしながらWikipedia:検証可能性では、その辺りの言及はありません。どうも紙媒体しか想定していないようです。まあどうしてもというなら、説明書のnページ、と記しておくのでしょう。
また、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかでは、「ウィキペディアは規則主義ではない」ので「もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。」と明記されています。
この辺り、どう判断していけば、多くのウィキペディアンの同意を得られるものでしょうか。皆様が特別に心がけている事が有れば、アドバイスを頂戴致したく思います。--Hman 2010年3月4日 (木) 18:39 (UTC)
- 起動させれば誰でも明らかに分かることならば、ゲーム自体を情報源としてもよいでしょう。しかし、将来にわたって、ウィキペディアが存在する限り、そのゲームを入手し、起動させることができるわけではありません。説明書のnページ、と記すことができるなら書いておいてください。また、ゲーム雑誌などで情報が得られるなら、それもお願いします。--Ks aka 98 2010年3月4日 (木) 18:47 (UTC)
- 早速のご意見、ありがとうございます。確かに現在のところ、ゲームについては「図書館」の様なシステムがありませんので、数十年後となると不安ですね(後進がうまいことやってくれるでしょうが・・・)。各文節に「nページ参照」などと書くと到底読めた記事にならないことは明かですので、ゲームそのものが出典となり得ると言う観点を踏まえて、色々と考えてみます。--Hman 2010年3月4日 (木) 18:59 (UTC)
過去に関連する議論がありました。全部ではない可能性もありますが、さしあたり見つかったのは次の2つ:
ゲームを情報源とした場合に、将来にわたって情報源にアクセスが確保できるかという問題もそうですが、「起動させれば誰でも明らかに分かること」とそうでないことの線引きが難しいことから、ゲームそのものを情報源とすることには慎重に…というのがおおまかな方向性だったと記憶しています(私個人の意見としては「ならない」と思います)。参考になさってください。--ikedat76 2010年3月4日 (木) 19:16 (UTC)
- わざわざお調べ頂き、ありがとうございます。今更な質問に対するご厚意に、心から感謝申し上げます。私の疑問と思っている点とは若干違いがありますが、非常に参考になりました。検証可能性と独自研究の絡みは複雑怪奇ですね。しかしwikipediaでは、正確性は重視されていないと言う点は、言われてみればごもっとも。コロンブスのなんとかでした。真実を追究したい時は別のコミュニティーを選択するべきですね。とりあえず「ターン制のシミュレーションゲームである」「名前はひらがな4文字」「Bボタンで走れ、ジャンプして敵を踏むと倒せる」レベルであれば、問題は無さそうですが、「くれぐれも慎重に」を肝に銘じ、ご紹介頂いたログを何度も熟読しながら、今後の身の振り方を考えていきたいと思います。差し当たって自身の行った不穏当な加筆についての削除を検討していきます。将来的にきちんとしたガイドラインができるといんですけどね(^^;)--Hman 2010年3月4日 (木) 20:05 (UTC)
- どのような記述をしたいかにもよります。概要の説明で事実を述べていることならとりたてて必要ないと思います。ただウィキペディアは説明書ではありませんので、「Bボタンで走れ、ジャンプして敵を踏むと倒せる」といったレベルの記述が必要かと聞かれれば私は必要ないと思います。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2010年3月5日 (金) 14:11 (UTC)
-
- 私の例えが不穏当だった様で、申し訳ありません。操作法の記載に関しては、改めて相応のノートで議論すべき問題でしょうね。ごく簡易かつ重要なもの(ストリートファイター2は6ボタンである、程度のもの)以外は、確かに取り立てて言及することはないかもしれません。ジャンルにや発売日に関しては専門誌での紹介を引用するのが理想でしょうね(バックナンバーが入手困難な雑誌を出典として良いのかと言う議論も有る様ですが)。いつものことながら、この辺りは悩ましい所です。ご意見ありがとうございました。将来の編集活動の参考とさせて頂きます。--Hman 2010年3月5日 (金) 14:23 (UTC)
- 追伸。その後考えてみたのですが、やはり「パソコンそのもの」の類も出典となり得るかは微妙な所ですね。同じ意味で。まあそんなこと言い出すと「マンガそのもの」もそうなのですが・・・・・・。適用には慎重に慎重を重ね、WP内でやる以上、WPのルールには徹頭徹尾従わないといけませんね。「分別のある大人」には自明や否やの判別も難しい所ですし。--Hman 2010年3月9日 (火) 15:33 (UTC)
- こんばんは。確か何処かの議論で昔書いた記憶がありますが。英語版等では、ゲームソフトの秀逸な記事が数多くありますが、そうした記事の中でゲームそのものを出典として用いている記述も多くあります。ゲームソフトの記事においてゲームは一次情報源だと思いますが(日本語版では零次情報源だと仰る方もわりといらっしゃいますが)。この一次情報源を用いてはいけないという意識は日本語版の創作作品記事では根強く根深く根ざしていますが、英語版の秀逸な記事等を見ているとあちらではそうでもない雰囲気ですので、WPのルールで否定されているというものでもないと私は思っています。
- 余談ですが。英語版のゲーム系秀逸記事は探すとたまに面白いものもあります。昨年秀逸入りした「en:MissingNo.」(日本語版:けつばん)などは異色の記事ですが。ゲーム系の秀逸記事は英語版が充実していますので、色々見て回って、ゲームソフトの記事でゲームそのものを出典として用いることが、どういった記述なら許され、どういった記述だと不可なのかを探って参考にしてみるのも一つの手ではないかと思います。--Giftlists 2010年3月9日 (火) 16:29 (UTC)
- ご教授、ご紹介に感謝致します。英語は堪能と言うにはほど遠く、今すぐどうこうと言う訳にも参りませんが、これまで投稿した記事を再検討した上で、今後どの様なスタンスを築いていくかの参考にさせて頂きますm(_ _)m--Hman 2010年3月9日 (火) 16:40 (UTC)
[編集] 韓国起源説
記事:韓国起源説で編集合戦が発生しております(日本時間の午前4時に!)。どうしたものか。--大和屋敷 2010年3月4日 (木) 19:41 (UTC)
- Wikipedia:井戸端/subj/検証可能性などの解釈について ゲームそのものは出典となりえるかに当件が割り込んでいたため、当該サブページからこちらへ移動しました(依頼者が1日ブロック中の為代行)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月5日 (金) 15:33 (UTC)
コメント高度に政治的な問題のようなそうでないような。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年3月6日 (土) 12:41 (UTC)
[編集] 日本語の指示表示
メタウィキメディアに書くべきことのようですが、横文字わからんので。 くわしい方、本記事は適切に移動、転載、削除してください。 http://fi.wikipedia.org/wiki/Japanin_kieliで、日本語を指示する統一表示(?)に、JAやJPでなくJAPが使われていました。 オリンピックなどではJPNですよね。 フィンランドでは意図的にJAPにしているんでしょうか。—以上の署名の無いコメントは、219.105.2.149(会話/Whois)さんが 2010-03-05 09:01:27 (UTC) に投稿したものです。
- 質問もよく判らない部分もありますが。フィンランド語版(Suomi)の記事「日本語」に対応する記事「Japanin kieli」では言語リンクとして[[ja:日本語]]が使われています。「JAP」の三文字は記事内の検索で現在(この書き込み時点)は見られません。「日本語を指示する統一表示」とは何処に書かれていますか。「日本語」と「日本語版」とは違いますのでこの点も正確にして下さい。当方、貴方の質問を取り違えていますか。--Namazu-tron 2010年3月5日 (金) 05:20 (UTC)
- 話を取り違えまくっているどころじゃすまないと思うんですよね。219.105.2.149さんが質問されるにあたってごらんになったと思われる3. helmikuuta 2010 kello 05.48版の記事冒頭に「Japanin kieli (jap. 日本語, nihongo, nippongo」(強調はikedat76)とはっきり書いてあるわけですが? 頓珍漢なコメントをつけて話を混乱させないでください。--ikedat76 2010年3月5日 (金) 07:04 (UTC)
- ご指摘の通りで、書こうと思ったら指摘されますた。冒頭にありました。検索で見逃しました。japの小文字では有りましたが。--Namazu-tron 2010年3月5日 (金) 07:17 (UTC)
- fi:Keskustelu:Japanin kieli#Is jap represent Japan or Japanese ?に質問しておきました。早速5分後に返答あり、japは日本語を表すそうです。--Namazu-tron 2010年3月5日 (金) 07:48 (UTC)
- 「JAP」という英文字が「Japan」または「Japanese」の蔑称で用いられていた経緯があるため、英語としてはJAPというのを使わないようにしているはずです。フィンランド語ではJAPが日本という意味になるんですかね?フィンランド語ではなくて英語でJAPを用いているならJPNに変更するように求めてみてはどうでしょうか?(言語コードならjpnが割りあたってるはず・・・)--アルトクール 2010年3月5日 (金) 11:16 (UTC)
- 「jap.」(小文字、ドット付き)はフィンランド語の「japaniksi」(「日本語」)の省略だそうです。フィンランド語では「jap.」に悪い意味は無いそうです。(fi:Keskustelu:Japanin kieli#Is jap represent Japan or Japanese ?のHerra Makaさんのコメントより)--Widehawk 2010年3月5日 (金) 12:03 (UTC)
- 「JAP」という英文字が「Japan」または「Japanese」の蔑称で用いられていた経緯があるため、英語としてはJAPというのを使わないようにしているはずです。フィンランド語ではJAPが日本という意味になるんですかね?フィンランド語ではなくて英語でJAPを用いているならJPNに変更するように求めてみてはどうでしょうか?(言語コードならjpnが割りあたってるはず・・・)--アルトクール 2010年3月5日 (金) 11:16 (UTC)
- 話を取り違えまくっているどころじゃすまないと思うんですよね。219.105.2.149さんが質問されるにあたってごらんになったと思われる3. helmikuuta 2010 kello 05.48版の記事冒頭に「Japanin kieli (jap. 日本語, nihongo, nippongo」(強調はikedat76)とはっきり書いてあるわけですが? 頓珍漢なコメントをつけて話を混乱させないでください。--ikedat76 2010年3月5日 (金) 07:04 (UTC)
- 2006年から使われているテンプレートですね。しかし……フィンランド語版なのに、何故、jap がどうのこうのといった「下らない」話を持ち出すのでしょうか。まったく関係ないでしょう。「○○語では××は悪い意味を持っているから、日本語版でも××という言葉を使うべきではない」などと言われたら、それに従うのですか。
- 日本人が普通フィンランド人の蔑称を知らないように、フィンランド人もまた日本人の蔑称など、知らないのでしょう。少なくとも、その知名度は低いと考えるほうが自然です。日本関連の記事を編集するくらいですから、知っている可能性も十分ありますが、そうだとしても、英語以外の言語において、jap という表記を意図的に避ける理由などありません。余談ですが、そもそも J の文字の発音が違うとか、もしかしたら、あちらでは子音を連続して使うことが少ない…語頭では基本的にない(フランス (France) → ランスカ (Ranska) 、 グラス (glass) → ラシ (lasi) のようになる)こととかもあるのかもしれませんね。--氷鷺 2010年3月5日 (金) 12:38 (UTC)
- 氷鷺さんの言う通りです。その後の要望やコメントが有りますので敢えて当方も言い出しっぺ二番手としてですが、彼らの言語ににおいて事実、真実なのだからそのまま受け入れるしかないでしょう。所変われば品変わるということでしょう。地球は広い、言葉も色色です。目くじら立てるこのではない。--Namazu-tron 2010年3月5日 (金) 13:26 (UTC)
- 遅くなりましたが私がfi:Keskustelu:Japanin kieli#Is jap represent Japan or Japanese ?で念を押したのに対する返答によれば、「フィン語において、”jap”という表現は確実に否定的な意味を持っていない」とのことなので、219.105.2.149さんはご安心ください。--ろう(Law soma) D C 2010年3月8日 (月) 07:10 (UTC)
- 氷鷺さんの言う通りです。その後の要望やコメントが有りますので敢えて当方も言い出しっぺ二番手としてですが、彼らの言語ににおいて事実、真実なのだからそのまま受け入れるしかないでしょう。所変われば品変わるということでしょう。地球は広い、言葉も色色です。目くじら立てるこのではない。--Namazu-tron 2010年3月5日 (金) 13:26 (UTC)
[編集] 「○○したければご自分でホームページやブログを開設して下さい」は「暴言または嫌がらせ」か?
表題のとうりなのだが、これで利用者:オンブズマンを利用者:Chatamaがブロックしたのだが[5]これがブロック対象だとすると管理者も含めて多数が対象になると思うのだがどうか。--219.111.119.226 2010年3月5日 (金) 10:44 (UTC)
- 別件で井戸端をたまたま見ていたザコユーザーの率直な意見ですが、オンブズマン氏は少々熱くなられている様です。暴言かどうかと問われれば、暴言に聞こえます。言葉の端々に敵意を感じる、という奴です。ただ、「(暴言を)故意に継続しており、複数利用者からの中止要請に応じない」とは、思えませんでした。ですが、ブロックは慣習的に、熱くなっているユーザーを一時的に強制隔離するためにも行われているようです。そういう意味で論拠がないと言えなくもないかもしれません。--Hman 2010年3月5日 (金) 11:07 (UTC)
- 私はリンクで示されたその前段の「なにわけわからん言い訳…辞めたら?」が暴言の範疇に該当すると考えます。つまり「辞めたら」とは「本人の意に沿わない行動の命令・強要」なので暴言です。--あら金 2010年3月5日 (金) 12:07 (UTC)
-
- 確かに、「失礼ながら貴殿の管理能力に疑問を感じます。管理者の辞任を検討されてはいかがですか?」なら暴言で無かったのかと問われると、字面(じづら)が綺麗なだけで、暴言は暴言のような気がしますね。吉本新喜劇でありそうな、「おくたばりあそばせ」みたいな。この辺り、所詮は主観的なやりとりになってしまう点は否めませんが。--Hman 2010年3月5日 (金) 12:24 (UTC)
- あと管理者が投稿ブロックできるのは(釈迦に説法ですが)、コミュニティの同意(短時間で目的を限定した場合はルールで同意)が取り付けられているからであってその点では管理者の判断のほかにコミュニティの意志があるので許可されているわけです。なので「これがブロック対象だとすると…思うのだがどうか」ブロックする権限の根源について思い違いをしています。--あら金 2010年3月5日 (金) 12:37 (UTC)
- (インデントこれでいいのか?)始め題名からして「Wikipediaには相応しくない雑多な内容やデータベースを書きたい」ユーザーに対する「独自のWikiやまとめサイト作成の勧め」というパターンかと思いました(このセリフはそのパターンでよく見かけるので)が、当件はどうやら違うようですね。このような用法の場合、ブロックするほどだったかは置いておいて、暴言かと言われたら暴言とも取れます。というか、この場合はぶっちゃけ「○○したければご自分でホームページやブログを開設して下さい」などという字面などどうでもよくて、単に欅さんの説明を全く無視してそのような発言をしている行為自体に問題があるのではと思います(復帰依頼での状況説明、SD貼った事自体は別の方である事、削除依頼など今後の展開次第では復帰した記事も削除されうることを説明しているのに、「わけわからん言い訳」ではねぇ)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月5日 (金) 15:57 (UTC)
- まず、オンブズマン氏の発言は暴言ではありません。「合意に従う気がないなら管理者辞めたら?」は「本人の意に沿わない行動の命令・強要」でもなんでもなくてただの助言です、条件付きの。「風邪を引いたらうちの病院に来たら?」っていうのと同じだから暴言ではありません。
- 次に、欅氏の説明は「わけのわからん言い訳」といわれても仕方ありません。なぜなら、多数での合意を少数で反故にすることの是非を問われているのに、復帰依頼がどうとか関係ありません。それに、今後削除依頼で新しい合意ができれば古い合意が無効になるのは当たり前ですが、それも少数で反故にすることとは関係ありません。一人じゃなくて二人ですという言い訳もわけのわからん言い訳といわれても仕方ありません。
- 次に、管理者が不足しているから何をしても許されるとかいう輩がいますが、多い少ないは関係ありません。いい加減なことをしたら一つ一つ指摘してあげるのが本人とコミュニティーのためになります。他の利用者には常に上から目線なのに管理者には媚びへつらう輩がいることのほうがよっぽど遺憾です。--220.100.87.39 2010年3月6日 (土) 05:00 (UTC)
- 今回のオンブズマンさんの投稿は「暴言または嫌がらせ」と判断されても仕方ないものと思います。また、そういった評価に対するIP:220.100.87.39氏の抗弁は、率直に申し上げて屁理屈の類であると感じました。ただし、最初の呼びかけにある「これがブロック対象だとすると管理者も含めて多数が対象になると思う」については敢えて反対いたしません。同程度の暴言を吐いておいてブロックも注意もされない人はいるでしょうね。ただし、それを以ってオンブズマンさんへのブロックをどうこう言うのは、いわゆる「スピード違反の論理」であり無意味でしょう。今回のケースは、直後に荒らしの跋扈を招いているようですから、尚更です。 -- NiKe 2010年3月6日 (土) 07:15 (UTC)
- なんか名指しで批判されたような(笑)。「辞めろ」(動マ下一)と「来い」(動ラ五)ではどちらがどのような印象を与えるかもう一度考えてみてください。「管理者が不足しているから何をしても許される」そんなバカげた話はない。いつ誰が「何をしても許される」と発言したか差分で示して頂きたい。我田引水の言い方もいいところ。--akane700 2010年3月6日 (土) 08:22 (UTC)
- (私はオンブズマンさんの発言内容より行為を問題視しているのでとりあえず「わけわからん言い訳」について)IPさんは復帰依頼の議論と削除された理由を理解していますか。最初に即時削除されたのは「宣伝である」ためで、復帰依頼は「宣伝ではない」との主張で起こり、「特筆性」の事について懸念されたが依頼者が利用者:あるふぁるふぁ/サンドボックス6を提示されたのでそれに置き換える“条件”で賛成意見が集まり、復帰されたのです。ところが復帰後にそのサンドボックスの内容に置き換えられなかったために、依頼の場で問題視された「特筆性が欠如している」状態の記事であったため、別の方がWP:CSD#記事1(定義なし)≒「特筆性が無い」として即時削除テンプレを掲示し、そう判断されたということです(利用者‐会話:あるふぁるふぁ#浅めし食堂についても参照)。なので、即時削除/復帰依頼と再即時削除はそれぞれ異なる理由によって実施されたものであり、そもそも因果関係にありません(まぁ復帰依頼での条件を満たしていなかったという意味では因果がありますが)。そこらへんの理由も考えずに、ただ単に多数決のことばかり主張して、欅さんの説明を「わけわからん言い訳」とされるようでは問題ではないかと(繰り返しますがブロックに値するかどうかは別として、あくまで適切でないという意味です)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月6日 (土) 10:45 (UTC)
-
- 私の筆が遅いばかりにいろいろとご迷惑をお掛けしております。大きなことを言える立場でないのは重々承知ですが、一言だけ。
私が利用者:あるふぁるふぁ/サンドボックス6をお示しした段階で記事が対象とする食堂自体の特筆性は確認されたと考えています。その後は記事に特筆性が書かれていない状態でしたが、特に食堂自体の特筆性を改めて疑われたことは無かったと思います。記事の対象とする事物に特筆性がなければ削除の対象になりますが、記事に書かれていないだけであれば加筆の対象となりこそすれ削除の対象ではないはずです。すなわちWP:CSD#記事1(定義なし)≒「特筆性が無い」と解釈したとしても、「特筆性が無い」ではなく「特筆性が記事の中では示されていない」だけですので、削除の対象ですらなく、即時削除は妥当ではなかったと思います。
ただオンブズマン氏に対する「暴言または嫌がらせ」でのブロックは支持します。内容について意見が分かれるにしても、あの言い方ではブロックされて仕方ないでしょう。--あるふぁるふぁ 2010年3月13日 (土) 12:53 (UTC)
- 私の筆が遅いばかりにいろいろとご迷惑をお掛けしております。大きなことを言える立場でないのは重々承知ですが、一言だけ。
- 暴言です。[1]
- ^ 少なくとも、使う側には害意があると思われますが、良く使われる普遍的表現であるため認識次第では暴言ではない可能性があります。各人の対応についてはその投稿履歴などで総合判断すべきだと考えます。出来れば、やさしい言葉遣いを遣いたいものでありますね。
-
- 今回のオンブズマンさんの投稿は「暴言または嫌がらせ」と判断されても仕方ないものと思います。また、そういった評価に対するIP:220.100.87.39氏の抗弁は、率直に申し上げて屁理屈の類であると感じました。ただし、最初の呼びかけにある「これがブロック対象だとすると管理者も含めて多数が対象になると思う」については敢えて反対いたしません。同程度の暴言を吐いておいてブロックも注意もされない人はいるでしょうね。ただし、それを以ってオンブズマンさんへのブロックをどうこう言うのは、いわゆる「スピード違反の論理」であり無意味でしょう。今回のケースは、直後に荒らしの跋扈を招いているようですから、尚更です。 -- NiKe 2010年3月6日 (土) 07:15 (UTC)
[編集] 管理者解任制度における擬似任期制への関心について
現在管理者の解任制度を利用した擬似任期制の試行が行われています(制度についてはこちら)。ところが信任投票を目指しているはずなのに投票者が少ないのです。過去1年間の管理者立候補時の票数が39から74票(直近だとTriglav氏の40票)なのに擬似任期制投票はTomos氏26票、Lupinoid氏20票(投票中)とほぼ半数以下のレベルなのです。こういう顔が見えないの人たちが集う場で管理者が公平に役目を遂行するには多くの利用者の目が必要だと思います。なぜ票数が少ないのでしょうか?--いんでぃご 2010年3月5日 (金) 17:30 (UTC)Tomos氏票数修正--いんでぃご 2010年3月6日 (土) 13:59 (UTC)
- まず、信任制度に対して積極的でない人というのが考えられます。また、ウィキペディアの投票は、公開されたままで行われますから、自分の票が意味をなさないような状態であれば、投票しないという人もいるでしょう。それから、信任投票を目指しているとしても、解任すべきかどうかを考えるべき具体的な論点がないのですから、特に投票する動機がないということはあるでしょう。顔が見えないとしても、公平に役目を遂行していないならば、その権限行使があった時に、または履歴やログは誰でも確認できますから、コメント依頼の段階で指摘がなされているはずです。それでもなお投票ということで場を作り、コミュニティに行動を求め、それを受けて行動をする必要があるかどうか。などなど。--Ks aka 98 2010年3月5日 (金) 18:11 (UTC)
- 正確にどの程度から上が「上級」ウィキペディアンであるかは存じ上げませんが、概して、「中級」「初級」に該当するユーザーの投票は不要でしょう。「投票資格」の1つとして、初投稿から1ヶ月以上、5回以上の編集と言うものがありますが、本気でその程度のユーザーの意見を尊重したいと思われている方は、少ないと思います。正確な判断が下せる訳もありません。私も「上級者」同士のみの合議で話を進めるべきであると思います。また、Ks aka 98氏の仰られる通り、論点が明確ではありません。管理者も人間である以上、ログを漁れば不手際の10や20は見つかるものです。それをもって「この輩は管理者に相応しくない!!」と断言できる人が、どれほど居るのでしょうか。ユーザーのレベルに関わらず、とにかく何が何でも投票数を増やしたいのであれば、色々アイディアもあるでしょうが、まずはその点ではないでしょうか。ちなみに、以上の意見は、編集歴600回弱のユーザーの手によるものですが、まあ上級と言うには少なくとも桁がもう2つ必要でしょう。あくまで井戸端ですので返信致した次第で、公式な場では怖くて一行も書けたものではありません。--Hman 2010年3月6日 (土) 08:58 (UTC)
- 茶番だからでしょ?「理由はないけど4年やったから解任したいです」なんて投票やったって賛成票が集まるはずもないのは分かりきってるし、だったらわざわざ反対票入れるモチベーションも上がるはずがありません。ほっといたってどうせ解任されないんだもん。単に「信任された」という形式を作るためだけの儀式です。ですから儀式の邪魔をして報復されるのを恐れて賛成票を入れる人もいないでしょう。このスパイラルが回るので、この擬似任期制とやらは単に諸手を挙げて賛成するだけの儀式になってしまっています。普通のユーザーにとっては馬鹿馬鹿しくて関わりたくもないと思うのは自然な考えでしょう。
- 敢えて「無条件でとりあえず賛成する」活動でも始めれば面白いのかも知れませんが、下手すると荒らし扱いされかねませんからねぇ…(「理由はないけど解任したいです」に「理由はないけど賛成」したって別にいいはずなんですけどね)。相手が管理者じゃそんな勇気ある人もいないでしょう。かくして馬鹿なダンスは続くのです。--QQ81 2010年3月6日 (土) 10:36 (UTC)
- せっかく井戸端なので恐ろしく私的な意見を述べますが、wikipediaの管理者に関して任期制を導入するというのが意味不明だからではないでしょうか。
- 任期制というのは基本的に、特定人物が長期に渉って人数に上限のあるポストを独占しないようにすることで民意が正常に反映されるようにする為に導入する制度です。ですがwikipediaの管理者の人数には特に上限はありません。ものすごい極端なことを言えば、信任の結果全てのウィキペディアンが管理者になっても構わないのです。なので管理者の独占を防ぐ意味はありません。
- wikipediaでは管理者の横暴を防ぎ民意を正常に反映させることが既に可能です。民意が正常に反映されていないと思えば、いつでも誰でも解任動議を起こすことが出来るのです。それに加えて任期制を導入し制度を複雑化させウィキペディアン達の仕事を増やす意味がわかりません。
- コミュニティーから管理者への「信任」とは、単に「新人管理者がなって早速問題を頻発してwikipediaを混乱させ他の管理者達の仕事を増やす」ことを防ぐだけの意味しかないし、それで充分です。提案者の言うような「コミュニティの意見を再度問う必要」など微塵も感じられません。管理者は、解任動議以上にコミュニティの意見を問わねばならないような権限などそもそも与えられていない単なるガードマンなのですから。盗みを働くようなガードマンに鍵を持たせておくわけにはいきませんが、単に「鍵を持っている」というだけのことで任期制の導入とか、何かコンプレックスでも抱いているとしか思えません。はっきり言って異様です。
- 会社やマンションのガードマンの任期なんぞ、誰も興味を持たないわけですよ。興味があるのは新しいガードマンが来た時と、ガードマンが問題を起こした時だけで。それと同じことだと思います。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月9日 (火) 14:04 (UTC)
[編集] コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件
在日特権とい記事において、長らく「在日特権であるという批判」がされているわけでもない「事実」を、記事に羅列するという状態が続いていました。あるIPユーザーが「在日特権であると主張する出典」を上げるようにノートに書きましたが、一週間を過ぎても誰ひとりとして(たとえば、事実を羅列させた編集者)が出典を明記しようという動きがなく放置されていたため、私が「出典が挙げられていない記事」をコメントアウトしました。
なぜコメントアウトをおこなったのかというと、現在の記事では「在日特権であると誰も主張していないように見える事実」が羅列されていることで、あたかもこれらの事実(出典が明記され独自研究ではないと判断できるものに限るが)が在日特権であるという風に読者の判断を誘導する恐れがあると考えられるからです。 在日特権について何も知らない人がこの記事を見た場合、そこにあるのは「特別在住者は帰化しやすい」だとか「プロスポーツには通称在日枠がある」といった事実の記述だけです。それを読んで、反論が何一つ載せられていないため「そうか、これが在日特権の例なんだ」と判断してしまうと想像することは容易なのではないでしょうか。
このような少し複雑な理由で、該当箇所を全てコメントアウトしました。 すると、nakata88というユーザーから「荒らし」だとしてリバートされてしまいました。 彼の言い分では、表から見えなくすることは削除することと同じで、大量削除(表から大半の記述が見えなくなる)は荒らし行為である、ということらしいのですが、私はどうも腑に落ちません。
削除したわけではなく、上述した「誘導」を回避するために見えないようにしただけであり、もし在日特権だとする主張が見つかれば容易に復帰させることが出来るよう、コメントアウトという配慮したのに、そういうこと全てを荒らしだと判断されてしまったのです。
これについて、みなさんはどう思いますか。意見をうかがいたいです。--グラン 2010年3月5日 (金) 20:03 (UTC)
- nakata88さんという方は、たしか「ヒカルの碁」で
荒らしまくった合意形成に関して孤独な戦いを続けて議論を長引かせた人だと記憶していますが、コメント依頼をされたらいかがでしょう。「削除」と「除去」のことばの区別ができない人があれこれいうのはどうかとも思いますが。 --ねこぱんだ 2010年3月6日 (土) 01:18 (UTC) 叙述をすこし改めました --ねこぱんだ 2010年3月8日 (月) 05:45 (UTC)
-
- ねこぱんださん、失礼ですが、私のヒカルの碁の編集のどこが荒らしなのでしょうか?説明していただけますか?このケースと整合的にご説明願います。Nakata88 2010年3月8日 (月) 04:31 (UTC)
-
- コメントありがとうございます。コメント依頼も検討しています。とりあえず見ている人がコメント依頼のほうより多いと思われる井戸端に書いてみました。依頼をしても誰からもコメントされなかったということもありえるので。「削除」と「除去」のことばの区別ができない人とは私のことでしょうか。確かに区別していませんけど、除去という言葉をわざわざ使う意味が分かりません。--グラン 2010年3月6日 (土) 05:55 (UTC)
- ウィキペディアにおいて、削除というのは管理者が持っている削除権限を使って削除することをさします。利用者はどうがんばっても文章を編集して除去することしかできません。ただ、文章を除去された側からすると、最新版には表示されないので「削除された!」と思うかもしれないですね。(これが区別できていないというのはグランさんに向けられた言葉ではないでしょう)--アルトクール 2010年3月6日 (土) 06:42 (UTC)
- アルトクールさんの御指摘と若干重なりますが、ウィキペディアでただ「削除」とだけ言った場合、慣習的に『記事やページ自体を閲覧不能にする』ことを指しています。これと区別して、記事の一部テキストを編集で削除するような場合には、「除去」が慣習的に良く使われています。記事の「削除」は合意や手続きが必要となるが、テキストの「除去」は編集の一部に過ぎないので大抵は自由に行える、という違いがあります。そして、ウィキペディアに不馴れな(そして自己中心的な)人は、しばしば記事そのもののを混同してトラブルを起こすという現状があるので、これらの差異についてウィキペディアに馴れている人は敏感になりがちなのです。御理解いただければ、と思います。 -- NiKe 2010年3月6日 (土) 06:56 (UTC)
- コメントありがとうございます。コメント依頼も検討しています。とりあえず見ている人がコメント依頼のほうより多いと思われる井戸端に書いてみました。依頼をしても誰からもコメントされなかったということもありえるので。「削除」と「除去」のことばの区別ができない人とは私のことでしょうか。確かに区別していませんけど、除去という言葉をわざわざ使う意味が分かりません。--グラン 2010年3月6日 (土) 05:55 (UTC)
-
-
-
- 「削除」と「除去」という用語について、本題から外れるため節を改めてWikipedia:井戸端#「削除」と「除去」について(いずれサブページ化されると思いますが)にてコメントさせていただきました。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 11:44 (UTC)
-
-
(最近ケースバイケースの問題を一律問題視するような案件が多いなと…)とりあえず「削除」「除去」などの言葉の問題は棚に上げて、グランさんの手順(問題提起→意見なし→コメントアウト)については、全くもって適切な処理だと思います。むしろ編集除去はなくコメントアウトに留めているだけグランさんは十分遠慮というか譲歩しているかと。Nakata88さんにはWikipedia:検証可能性#方針を読んでもらいたいものです(出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。)。ただ、一週間という期間の短さを問題視する方もいるかもしれません(私はそうは思いませんが)。これはWikipedia:合意形成#合意形成に『合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。』とあるように、別段1週間でも特別「短い!」という訳ではありませんが、やはりここでもケースバイケースというか、調査に時間がかかる場合や紛糾している記事の場合は各人自主的に2~4週間、はては(端から見て放置プレーみたいですが)3ヵ月くらい用心している場合もあり、1週間では短いと感じる場合が多いのが現状です。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月6日 (土) 10:22 (UTC)
みなさんありがとうございます。削除と除去の違いについて丁寧にありがとうございます。管理者が行うものを削除と区別していたのですね。
ButuCCさんコメントありがとうございます。私としては、この問題提起?は時間の長さというより「理由つきコメントアウトを(量の多寡で)荒らしと判断する」ことについての意見をうかがうためのものでした。 もちろん、これはコメント依頼にすべきものであるという意見もあるでしょうし私もそう思いますが、コメントアウトはどの記事でも行われているので、もしかしたら同じような経験をされた方がいるのではないか、このことについて普段考えている方がいるのではないかと思い、井戸端に投稿しました。--グラン 2010年3月6日 (土) 10:34 (UTC)
- 結論を先に申しますと、荒らしではありません(その意味じゃここでの問題提起は解決しているようなものですが)。ただ、荒らしかそうじゃないかの2極ではなく、行為として最適かあまりよろしくないかという話になると、猶予期間、つまり時間が関わってくるのです(以下、『出典なき記述の除去(コメントアウト)』は上記方針どおり適切な行為であるという前提で話します)。
- なんだか本論と逸れてしまうようで申し訳ありませんが、私は「量の多寡」単体からどうすべきか考えるのはあまりよろしくないかと思います。除去する内容を「A:量も多く重要で荒れやすいもの」「B:量は少ないが重要で荒れやすいもの」「C:量は多いが明らかな間違いや確認するまでもないもの」「D:量も少なく明らかな間違いや確認するまでもないもの」の4つに分けて考えてみると、Aは時間を長く取り、議論が過疎化しているならそのままノーコメントで流すのではなくコメント依頼などで意見を募るべきで、Bもほぼ同様です。Cについては確認で十分なのでノーコメントのままでも期間経過すれば実施しても大丈夫でしょうし、Dについては即時対応でも可でしょう。つまり量より質というか、A,Bのように重要で意見が分かれる内容なら量の多寡は関係なく慎重に行動すべきで、量が少ないからといって拙速に対応するのはよくないですし、量が多いからといって慎重に対応した行動を糾弾すべきではありません。「CにしろDにしろ除去しても反論は皆無だが、Cは規模が大きいのでお知らせするべきだ」といったように、量の多寡はC,Dのように質が問題とされないような案件で初めて考えるべきです。要するに(その除去やコメントアウトがどんなに適切でも)除去・コメントアウトによる影響をどれだけ考慮するかに尽きる話ではないかと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年3月6日 (土) 11:23 (UTC)修正--ButuCC+Mtp 2010年3月6日 (土) 11:27 (UTC)
-
- コメントありがとうございます。とりあえずコメント依頼の報告だけをしておきます。みなさん是非おいでください--グラン 2010年3月6日 (土) 13:31 (UTC)
ここで話題にされたものですが、一応反論しておきます。すでに、ページを見られた方もいるかも知れませんが、IP氏の提案はノートにあったもので、ページにおいてその提案がされているという表示が無く、期間の経過も多くの人にとって不可知なものでした。したがって、私は、提案がなされたとわかるように、ページに要出典などのソースをつけてから大規模な編集をするべきだと申し上げたわけです。このような、通知無く編集するのは合意形成に対する阻害ですから、一種の荒らしだと書いたわけです。このケースで、ねこぱんださんが私に気軽に荒らしまくったという言葉を使われてますがその程度の用法です。グランさんはその言葉使いにもこだわられたようですが、私にプロジェクトページのことも知らせず、一種の欠席裁判のようなことをしたのもかなり妥当では無いと思います。いずれにしても、ノートの片隅にある程度の提起があり議論が継続しているのにもかかわらず、その議論をふまえずに大規模にコメントアウトされたのは協同的な編集における阻害行為と思います。このような行為はある種のルールのグレーゾーンですが、私は、グランさんにある程度の配慮がほしいと思いおはなし差し上げてるわけです。これ以上は現場をみてお話をされた方がいいと思いますので、みなさんも現場をのぞいてみてください。Nakata88 2010年3月8日 (月) 04:44 (UTC)
[編集] 投稿前の記事の体重を量る方法
投稿前の記事が大体何バイトあるかを量る方法はあるのでしょうか?1文字3バイトで計算すれば済む話なのですが、算数は苦手ですし「 [ 」とかあると尚更面倒だし、予めどのくらいの量の編集をしたらばどんな感じの記事の体裁になるのかを簡易に知りたいなと思いまして。ガイドラインや過去の議論で既出の話題でしたら申し訳ありません。--胡亂堂 2010年3月6日 (土) 12:47 (UTC)----
投稿前の記事をプレビューしファイルとしてローカル保存し、OSにファイル容量を自動計算させる方法が考えられます。欠点としては、プレビュー用語句による誤差が考えられます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年3月6日 (土) 12:58 (UTC)
- Help:ページサイズという文書の古い版ではローカルで記事の容量を軽量する方法が2007-11-17 19:18:21 (UTC)版までは掲載されていました。それ以降、記事の編集履歴にサイズが表示されるようになったことを以って計量方法が省略されたようです。まあ、単に容量だけをローカルで測りたいという要望ってあまり無さそう、ということなんでしょうかね…よく分かりませんが。一応、方法としては現在でも正しいはずです。
- もっと便利な方法としては、利用者:Kiyokさんが開発・公開されているWP Studioというツールがあって、記事(というか原稿?)の容量を表示してくれます。「予めどのくらいの量の編集をしたらばどんな感じの記事の体裁になるのか」と書いておられるのを忖度すると、単に容量だけでなく編集結果も見たいということなのでしょうが、プレビュー機能もありますので、多分ご希望にかなうのではないかと思います。まあ、詳しくはWP Studioの公開先を見ていただくということで。--ikedat76 2010年3月6日 (土) 13:09 (UTC)
- ご回答ありがとうございました。Ikedat76 様ご教示のツール、凄く助かります。改めてお二方と開発元のKiyok様に感謝を。--胡亂堂 2010年3月7日 (日) 12:45 (UTC)
[編集] UTCの時刻を地方時で表示するガジェットについて
「Help:UTCの時刻を地方時で表示する」のノートでの話なのですが、議論に参加するかたがいなく、このガジェットを使っているかた全員に関わる話なので、広く議論する必要があると思ったのでここに書かせていただきます。
UTCの時刻を地方時で表示するガジェットの「本日」の表記なのですが、堅苦しく違和感を感じます。ガジェットが導入されてからずっと気になっています。これを普通に「今日」に変更したほうが良いと思うのですが、みなさんはどうでしょうか? Mac OSのFinder(WindowsのExplorerにあたるもの)はファイルの更新日時などで「今日」と表示していたはずです。--Widehawk 2010年3月8日 (月) 11:49 (UTC)
[編集] リンク切れは削除してよいのでしょうか?
外部リンクや脚注のリンク切れは削除してよいのでしょうか? また、この手の事でリンク切れという事でセット削除がされている場合にはどのように対応するのが適正なのでしょうか。 —以上の署名の無いコメントは、114.148.77.131(会話・履歴)さんによるものです。
- 特に決まった方針やガイドラインはなかったと思います。個人的には次のように考えます。
- 単なる除去はしない。リンク切れがあった場合、まずはリンク切れであるという情報を追記する。次いで、以下の試みをする。
- 他のメディアが得られるかどうかを確認する。新聞や電子ジャーナルなどは、特に。
- アーカイブ系のサイトを確認する。
- どこかに移動されていないかを確認する。
- 当該記述を引用しているものを探す。
- その記述内容を検証できる他の情報源を探す。
- これらの情報源が見つかった場合、元々あった情報源の情報に、見つかった情報源を追記する。
- たとえば新聞社のサイトに掲載されている記事を情報源としていれば、紙名、見出し、日付があれば、多くの場合、その情報に辿り着くことができるでしょう。容易に得られなくなったとしても、「情報源の情報」自体が手がかりとなりますから、安易に除去するべきではありません。リンク切れという事でセット削除がされている場合は、セットで書き戻して、リンク切れということを追記してください。
- ただし、その記述自体の有用に疑問がある場合や、存命人物の批判などであれば、その情報は保持されるだけの価値がなかったと判断されたということで、除去したほうがいいこともあるでしょう。また、虚偽であったという疑いがあるならば、除去が望ましい。そういう場合は、かつて情報源が示されていたが、後にリンク切れによって除去した情報があるということをノートや要約欄で他の編集者に伝えるようにしてください。百科事典の記事として明らかに不要な記述であれば、情報源の有無は関係なく除去した方がよいでしょう。--Ks aka 98 2010年3月8日 (月) 18:13 (UTC)
コメントこれに対する英語版の指針はen:Wikipedia:External links#Longevity of linksとen:Wikipedia:Citing sources#Preventing and repairing dead links。参考までに。--Afaz 2010年3月8日 (月) 19:30 (UTC)
- そのリンクが記事の出典になっているならば、既に述べられているような対応が妥当だと思いますし、逆にリンクが記事の出典になってない場合(例えば、その主題となる人物の個人サイト・ブログ、あるいは主題となる作品の公式サイト)は、(全てが全てではないけど)除去しても構わないと思います。つまり、関連リンクのような奴ですね。リンク切れしたら、もう何の意味も意義も無いので。--EULE 2010年3月9日 (火) 04:25 (UTC)
-
- 出典付与の頻度については人によっていろいろ考えがあるでしょうが、「公式サイトを見れば判ることだから、公式サイトへのリンクを設けてあれば、あえて出典付与する必要もないだろう」として出典が記されていないことは、そこそこあるように思っています(人物記事のプロフィール情報など)。そして、ウェブアーカイブの出典適格性についてはいろいろ意見があるかもしれませんが、左記のように「公式サイトを見れば判ることとして、出典を記していない情報」を念頭に考えた場合に、過去にどのURLで公式サイトが開かれていたかという情報が何の意味もないかというと、私には疑問に感じます。人物記事では公式サイト閉鎖とともに隠したい情報というのもあるのかもしれませんが、ソフトウェア分野の記事などでは公式サイト以外からは辿ることが難しくなる(検証容易性を下げることになる)情報も含まれていると思います。
例:Packet Stormのようなものは、書籍に取り上げられるとしても、(明の)セキュリティ系書籍で「攻撃試験用ツールをここから入手しましょう」とか、(暗の)セキュリティ系書籍で「攻撃ツールの入手に便利なダウンロードサイト」とかの形で取り上げられることはあっても、そのサイトの役割の詳細や歴史などの情報は書籍からはあまり得られないだろうと思います。このサイトの役割、フルディスクロージャとの関係、サイト規模を示す「ミラーリングに15GB必要」などの情報は、記述に値する情報だと思っていますが、公式サイト以外であればどこから入手可能でしょう?もちろん公式サイト内には説明があります。--NISYAN 2010年3月11日 (木) 00:53 (UTC)
- 出典付与の頻度については人によっていろいろ考えがあるでしょうが、「公式サイトを見れば判ることだから、公式サイトへのリンクを設けてあれば、あえて出典付与する必要もないだろう」として出典が記されていないことは、そこそこあるように思っています(人物記事のプロフィール情報など)。そして、ウェブアーカイブの出典適格性についてはいろいろ意見があるかもしれませんが、左記のように「公式サイトを見れば判ることとして、出典を記していない情報」を念頭に考えた場合に、過去にどのURLで公式サイトが開かれていたかという情報が何の意味もないかというと、私には疑問に感じます。人物記事では公式サイト閉鎖とともに隠したい情報というのもあるのかもしれませんが、ソフトウェア分野の記事などでは公式サイト以外からは辿ることが難しくなる(検証容易性を下げることになる)情報も含まれていると思います。
-
-
- 「(全てが全てではないけど)」と断りを入れているように、そういう特殊な事情下では認めうるでしょう。別に公式サイトのリンク切れは一切の考慮なく除去すべしとは言ってません。あるいは、一般的にあえて出典を提示する必要が無いほど、公式サイトで閲覧すれば良い程度の基本情報なら、別に公式サイトだけが出典ではなくて別の出典があるでしょう。こういう場合の、わざわざ出典を提示するまでもない情報ってのは、自明な情報か、ありふれた情報ですから。逆に公式サイトでしか手に入らないような情報であるなら、それはその情報を記述した個所に出典として付けるべき物であって、そういった物は除去すべきではないと思いますよ。--EULE 2010年3月11日 (木) 08:54 (UTC)
-
-
-
-
- 全てが全てでないとおっしゃっていることは理解していたのですが、ここでの話から極論に向かって行動するような人を想定してしまったので、ちょっと言葉足らずで申し訳なかったです。ソフトウェア関連の情報については、基本的過ぎることは1次情報源以外に記されないことも結構あるのかなと思うのです。リリース日付とかも、雑誌掲載時点やダウンロードサイトのインタビュー時点の最新版が何か、ということは公式サイト以外で検証できる場合があっても、メジャーバージョンアップの日付の一覧となると、公式サイトやソフトウェア付属ドキュメント以外では見つけにくいものもあるように思います。「Neko (ソフトウェア)」でも移植時期が判らなかったものがありましたし、「お座りマスコット」なんかも公式サイトやソフトウェア付属ドキュメントに頼っている部分があります。≪公式サイトで閲覧すれば良い程度の基本情報なら、別に公式サイトだけが出典ではなくて別の出典があるでしょう≫に対して、そうでない分野もあるようです、というのが私の感想です。--NISYAN 2010年3月12日 (金) 00:37 (UTC)
-
-
-
-
-
-
- いえ、私の方も1か0で判断する人がいると想定してたので、わざと「わざわざ全てが全てでない」と補足しておいたのでお互い様です。で、私は基本的に人物系か、フィクション系(映画や漫画、アニメ)を念頭に置いてます。後者は既に全て言った通りですし、人物系の場合は、そもそも個人ブログやサイトってのは出典になりにくい物(信頼できる情報源の問題)ってのもあります。
- ただ、サイト(もっと言えば電子情報)と言う物が主題(もしくは、それに類する物)になる場合は、確かに難しいと思います。先にフィクション系云々言ってるけど、これも10年しないうちに(ってか既に)、電子情報のみってのも確実に出てくるでしょう。そういう場合も、除去するのは少し考えた方が良いと思ってます。--EULE 2010年3月12日 (金) 09:34 (UTC)
-
-
-
- 他の方も書いてますが、例えば新聞社のWeb版を下敷きにして記事が追記されていた場合、本来であれば記事掲載日も記載しておくべきでしょうが、脚注に表題だけ、あるいはURLだけ記載する人がいます。全国紙の場合、Web版の記事は大抵は本紙のも掲載されているため、Webから削除されていても本紙をあたれば確認できるのですが、掲載日が無いとそれが困難です。そういうとき、URLに着目すると掲載日が推測できます。例えば、毎日jpであればURLは「ドメイン/カテゴリ/日付・記事ID.html」のような命名規則があります。脚注などに掲載日が記述されていない場合、この日付・記事ID.htmlの部分、例えば「20100312k0000eXXXXXXXX.html」を見れば「2010年3月12日掲載の記事である」と推測できるので本紙をあたるときはその前後の日付を見ればいいわけです。あるいは3月12日前後の日付で他紙やポータルサイトのアーカイブを確認することもできますが、そもそもこのURL自体を削除されるとそういう作業が困難になるので(編集履歴を遡ればいいが、余計に手間がかかるので)安易に削除しないで欲しいです。リンク切れのタグを貼る、あるいは目障りであればコメントアウトで留めて欲しいというのが個人的な考えです。--そら太 2010年3月12日 (金) 10:38 (UTC)
[編集] 新規作成時の出典明記
多数の外部サイトを参考にして新規に項目を作成する場合、いちいちそれらの出典先を明記していたら注釈だらけとなり、大変見づらくなってしまいます。
初版の段階で出典のないページが多いですが、 新規作成時に限っては必ずしも出典先を明らかにする必要はないのですが?--124.85.32.2 2010年3月9日 (火) 11:16 (UTC)
- 検証可能性の方針をご確認ください。情報源を示さなければ、「多数の外部サイトを参考にした」のか、適当に書いたのかがわかりません。参考にしているなら、それを書いてください。
- 見づらくなることは、あまり気にしなくてもよいでしょう。簡単に情報を知りたいというだけであれば、情報源を確認することなく読むでしょうし、きちんと読む人にとっては、一般的な書式に沿って情報源を示してあるものを見づらいと感じることはないです。
- 初版でも、加筆でも同じです。初版で情報源が示してなければ、即時削除される可能性もあります。初版で出典を示してあれば、以後の編集者も出典を意識するでしょうから、是非出典を示してください。--Ks aka 98 2010年3月9日 (火) 11:45 (UTC)
ご回答ありがとうございました。今後項目を立ち上げる際には、そのようにしたいと思います。--124.85.32.2 2010年3月9日 (火) 12:16 (UTC)
[編集] 「削除」と「除去」について
Wikipedia:井戸端/subj/コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件におけるねこぱんださんとアルトクールさんのご発言で少々気になったので、(本論から逸れるため)節を改めてコメントさせていただきます。Wikipedia日本語版における「削除」という言葉と「除去」という言葉なのですが、確かに管理者による記事(あるいは記事を含んだあらゆるページ)の削除を「削除」と呼んでいますし、記事中の一部の記述を削除することを「除去」と呼ぶ方もいます。ですが、後者を「除去」と呼ばなければならないということはない、と私は思います。NiKeさんのおっしゃるように「慣習的に良く使われている」というのがせいぜいではないでしょうか。
個人的には「除去」という言葉は意図的に多用しないようにしています。というのも「除去」という言葉にはどこかネガティブな印象を受けるからです。「削除」の方がよりニュートラルに感じます。以下辞書から引用します。
- 『広辞苑 第六版』より
- 削除 「文章・名簿などの、ある部分をけずりのぞくこと。「不当発言を議事録から―する」」
- 除去 「とりのぞくこと。「障害を―する」」
- 『Yahoo!辞書(大辞泉)』より
- 削除 「文章などの一部を、けずりとること。「不穏当な発言を議事録から―する」」
- 除去 「じゃまなものをのぞき去ること。取りのけること。「障害物を―する」」
「除去」というのは、障害のような何か悪いことを取り除く、というニュアンスを含んでいると思います。ですから他の利用者が執筆した記述を「除去」する(ノートや要約欄でそのように言及する)のは相手に対して失礼だと感じますし、Wikipedia:礼儀を忘れないやWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいの精神にも反するようにも思えます(後者の方針文書内で「除去」と呼んでいるのは私には奇異に感じられます…)。もちろん、明らかな荒らしによる書き込みの「除去」や「Wikipedia:個人攻撃の除去」といった使い方は問題ないと思いますが。一方「削除」は比較的色が付いておらず、また本来文章等の一部を取り除くことです。
ちなみにMediaWiki検索で「ノート」「利用者‐会話」「Wikipedia」「Wikipedia‐ノート」「Help」「Help‐ノート」の名前空間で検索したところ、以下のような結果となりました。
|
|
おそらく文意を明確化するために、記事を削除することが「削除」で記事中の一部記述を削除することが「除去」、と意図的に用語を使い分けされている方もいらっしゃるのだと思いますが、Wikipedia日本語版全体としてコンセンサスがある状況ではない、と思いますし、両方「削除」としても、ほとんどの場合、文脈で区別できるのでは、とも思います。
上記の理由から私は意図的に「除去」を多用していない(対話の中で相手に合わせるなど状況に応じて使う場合もあります)のですが、そういう利用者もいるということを知っていただきたく、敢えてコメントさせていただきました。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 11:33 (UTC)
コメント「管理者の削除」と「編集除去」は、権利侵害に関わる場合などでは確実に区別されるべきもので、両方「削除」としても、ほとんどの場合、文脈で区別できるとは思いません。削除と除去の区別をしていない人もいますし、削除すべきかどうかの判断について一般的な知識をもっていない人もいます。表現は、「消去」でも「閲覧停止」でもいいですし、管理者の除去/編集削除でもいいですけれど、明確に使い分ける必要があります。- 個人的には、除去と削除の区別は、それほど大きなものだとは思いませんが、Penn Stationさんの認識に合わせて考えてみます。
- 編集除去というのは、一般には他の書いた人の情報は保存するよう努めるということを前提としてもなお「百科事典の記事として掲載するべきではないと考えられる困った記述」です。そうでなければ、取り除く必要はない。「何か悪いことを取り除く、というニュアンスを含んでいる」のは、妥当なものであり、その判断基準について齟齬があるならばノートで話しあうことで、何か悪いことだと思っていたけれどそうではないので「除去」しない、あるいは悪いことだとは思っていなかったけれど、適切ではないということを理解したので「除去」する、というふうに、合意を得る。百科事典の記事を書く上では、どちらの記述がよいか、その記述があるほうがいいのか悪いのかということは、きちんと考えていかなければ、質的な向上には繋がりません。
- 削除の場合は、直接の問題がある記述については「悪いこと」という面があります。しかし、巻き込まれる記述については、「困った記述ではないけれどGFDL上削除しなければならない記述」です。そうした場合には、より中立的な表現として「削除」を用いるのが望ましいと思います。
- そのように考えれば、悪いことのニュアンスを持つものを編集で取り除くことに用い、比較的中立的なニュアンスを持つものを管理者による閲覧停止措置に用いることが適切ではないかと思います。--Ks aka 98 2010年3月10日 (水) 12:37 (UTC)
-
- Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディア用語に関する意識調査に一部似たような話題があります。個人的には「除去」を多用しています。これは、用語を使い分けるという面ももちろんですが、意味を知ってからはあえて使っているということもあります。また私はこちらの活動に加わるまでは、「除去」という言葉を知らなかったので、ネガティブな印象を持っていない(むしろこちらの方がソフトに感じたぐらい)ことも、理由としてあるのかなとは思います。--春日椿 2010年3月10日 (水) 12:45 (UTC)
-
-
- 早速のご意見ありがとうございます。春日椿さん、以前にも似たような議論があったのですね。ご紹介ありがとうございました。
- Ks aka 98さん、必ずしも用語だけで区別する必要はないように思いますが、用語の使い分けができればそれに越したことはないと私も思います。ただ「除去」には上述の理由であまり賛成できません。「何か悪いことを取り除く」のは、取り除く側の人の立場で、「除去」された記述を書いた人の立場からはそうではないことが多いと思います。そのような場合はもちろんノートで議論し合意形成することが望まれますが、初めから「除去」と言い放ってしまっては、相手を硬化・反発させてしまうおそれもあります。特にWikipediaにまだ不慣れな利用者にとっては、なおさらではないでしょうか。不要な対立やネガティブな感情をわざわざ招くおそれのある言葉より、より中立な言葉を使った方がより客観的に中身の議論ができるのではないかと思うのです。もちろん、これは私のように「除去」にネガティブな印象を持っていることが前提になりますけれども。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 13:46 (UTC)
- 参加したばかりの人もいるのですから、用語だけで区別できるという状態になるのは現実的には無理ですが、ある程度慣れたウィキペディアンや削除に関係するウィキペディアンの間では、用語だけで区別できるような状態は、切実に必要だと考えます。Penn Station の書きぶりは、書く側は区別しなくてもいい、区別して読み取るのが当たり前だ、というようにも読めてしまいます。これには強く反対します。
- 容易に区別できて、混乱しない程度に個々の利用者が使い分ける分には自由だと思います。除去を避けるなら、「管理者権限による削除」(「管理者による削除」には曖昧さが残ります)と「編集による削除」とか。
- 区別する上での用語については、日本語版内である程度定まった使い分けがあるとわかりやすいです。慣習的には、削除と除去で使われているという感覚があります。そこで、個人として「除去」を避けるということではなく、日本語版全体で「除去」を避けたいということなら、これまでの慣習的な用法、または慣習的とみなせるかどうかということを棚にあげてでもいいですから、これとこれで使い分けをしましょう、と提案して頂ければ。--Ks aka 98 2010年3月10日 (水) 14:25 (UTC)
-
-
-
-
-
- 言いたかったのは、概念の区別を示すためには用語を使い分けなければならない(must)、ということはない、ということです。例えば「記事を削除する」「○○節を削除する」「……という記述を削除する」と書けば、わざわざ「除去」という言葉を使わなくても概念を区別できます。もちろん初心者は区別できないかもしれませんが、それは用語を使い分けたとしても同じです。また前述のとおり、用語の使い分け自体に反対している訳ではなく、むしろ望ましいと思いますが、「除去」に関しては、「分かりやすさ」と前述の「ネガティブ・インパクト」のトレード・オフという気がします。
- 今回私がWikipedia日本語版全体での用語統一提案、あるいは「除去」に代わる代替案提示、といったところまで至らなかったのは、(1) 自分のように「除去」にネガティブな印象を抱く利用者が果たしてどれだけいるのか計りかねる (2) 前述のとおり用語を使い分けなくても概念の区別は示せる(示せている) (3) 実際に「記述を削除」「内容を削除」といった用例が多数みられる(現状「除去」で統一されている訳ではなさそう) ……からです。ただWikipedia:井戸端/subj/コメントアウトをしたら削除荒らしと判断された件での発言を見て、このように考えている利用者もいます、ということを共有しておきたかったのです。--Penn Station 2010年3月10日 (水) 16:36 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
- deletion(deleteすること)の訳語は「抹消」だと思うのだがなぁ………「抹」が細かく砕いて粉にすること、つまり跡形も無く粉砕して「消」すわけだ。
- 原理主義的には「削除」されるのは部分であって全体ではないのだから、記事の内容と対比して使うのなら記事本体に使うのは本来異常だろうに。全体から削って除くのであって、全てを削り去るわけではないのだ。削り節じゃあるまいし、彫刻で石が無くなるまで削るとか意味がわからん。削り節が全部削る(のを目指す)のは「削られた部分」に意味があるのであって、「削って除く」わけではないのだからな。面倒なのは、百科事典から記事を「削除」とか、履歴から版を「削除」と言う事が出来るところかな。「全体」が何かを示す指示語さえあれば何でも「削除」に出来るし、目的語や文脈から「全体」が暗黙に了解されているなら指示語は特に要らんことになる。異常さがわかる例としては「夏目漱石の小説を削除する」あたりではどうだろうか。「夏目漱石の小説」は何かの部分ではないので、「目録」から「夏目漱石の小説の欄」を削除する、などと解釈することになる。足元に落ちている「夏目漱石の小説」を「抹消」すると解釈するのは異常だろう。
- 「削除」が全体の存在を前提とした語であるのに対し、「除去」にはそういった前提が無い。つまり「全体」に関する指示語が無くとも使える語だ。「夏目漱石の小説を除去する」と言うと普通は使わん言い回しだが、足元にあるのかなぐらいは想像出来ると思う。まさにremoveするわけだ。ネガティブイメージがあるとの意見があったが、恐らくは「去」るところから「捨て去る」とのニュアンスの近似を覚えたからかも知らん。原理主義的には、「去る」は当面気にしなくて良くなった、程度の意味しかない。履歴には残っているわけだしな。(苦笑)
- 提案というほど大仰に言う気は無いのだが、「削除」を汎用的な日常語として「抹消」と「除去」をwikipedia用語として明確な意味を与えるのが、意味的にも現状を鑑みても都合が良いのではなかろうかと思うのだが如何だろうか。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月10日 (水) 16:53 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
-
- 「除去」を避けたい気持ちは受け取りました。そのように考えている利用者もいるということも、以後留意します。後者を「除去」と呼ばなければならないということはない、ということもわかります。
- しかし、Penn Station さんにとっては周辺的なことかもしれませんが、見逃せないと思うところがいくつかあったということです。
- 「記事を削除する」「○○節を削除する」「……という記述を削除する」と書けば、わざわざ「除去」という言葉を使わなくても概念を区別できることも多いです。削除か除去かという区別が問題にならなければ、対象を示していれば、多くの場合区別ができます。逆に、複数の表現を使い分ければ、わざわざ「……という記述を」というようなことで特定させなければいいとも言えます。たとえば「記事全体を削除する」だと、白紙化の説明でも「削除」でも使われますし、「……という記述を削除しなければならない」だと、その記述を含む版を削除しなければならないという意味でも「除去」でも使われます。「○○という記述を削除するだけではダメでその版全体を削除しなければならない」では使い分けられていないことが、多くの書き手/読み手に共有されるというのは困難です。
- 表現の使い分けの必要性は、しばしば区別できない利用者が多い「管理者権限による削除」と「通常の編集除去」の違いを、しっかりと認識することがとても重要な削除関連の議論や審議に継続的に関わっているぼくにとっては切実なものです。削除と除去の使い分けが慣習化したことで、ずいぶん説明が容易になりましたし、論点となる行為を特定することで議論もしやすくなりました。無理に、二つの表現を使い分けることを義務化させる必要はないですし、互いに意思疎通できるなら、それでいいのです。個人的には、削除や除去の一般的な用法に、ウィキペディアならではのニュアンスが付いてしまうのも嫌なので、文書化するのもあまり好みません。しかし、その使い分けが重要な場面では、どちらかの表現をつかうことが慣習的にでも共有されているということは、とても大きなことなのです。認識の齟齬があると、権利侵害のある記述を放置してしまうことにも繋がるのです。
- 「除去」という表現は、ぼくも他の人が使っているのに合わせて使うようになったのだという記憶があります。特別にこだわるわけではないですが、それほど悪い表現ではないと思っています。その記述を生かすのではなくて、除去という対処方法を俎上にのせるという行為自体が、「あなたの記述は最新版として表示されるところに置いておくのは好ましくないので、そこから取り除きます」というネガティブな評価を反映する行為です。「撤去」とか「破棄」とか「却下」とか言うのは強すぎる言葉だと思いますが、「お隠れにさせていただく」とかに言い換えたところで、反発はされるでしょう。「除去という言葉」が持つネガティブさは、「編集除去というネガティブな評価を伴なう行為」と釣り合っていると思うのですが、いかがでしょうか。だからこそ、編集方針にあるように、いろいろな配慮が求められるのではないかと。Penn Stationさんがいうネガティブさは認めますが、そのネガティブさは避けるべきことではなく、編集除去という作業をする以上は、相手にネガティブな印象を与えることを覚悟し、また除去された側もネガティブなものとして受け取る必要があることだと思うのです。
- 削除というのは、経緯としてはdeletionの訳語として選ばれたのでしょうが、最初はおそらくウィキペディア全体に対する一部というようなニュアンスがあったのだろうと思います。最近の日本語版では、その記事の「過去の版すべて」の一部というニュアンスがあるように思います。「一部」を特定版削除というのに対して、初版から最新版までを削除するときは「全削除」という言い方をすることもあります。「抹消」というと、ウィキペディアでは「復帰」も可能ですから、これはあまり適切ではないと思います。復帰も不可能なかたちで情報を消す場合に対して「抹消」というのがしっくりきます。
- ぼくが申し上げたいのは、(1)「除去」のネガティブさは避けるべきではないのではないか。(2)用語の使い分けなしに概念を区別するのはかなり難しい。(3)概念の区別が共有できていなければけっこうな問題が残る。単に「除去」を使わないという流れが生じるだけで話が終わってしまうようでは困る…ということです。そして、会話ページではなく井戸端で書かれたので、Penn Stationさん個人として「除去」を避け、丁寧に区別するということであればよいのですが、この概念区別については、閲覧している人たちにも、あまり安易に考えて欲しくないということで、繰り返し意見を書かせてもらっています。--Ks aka 98 2010年3月10日 (水) 19:11 (UTC)
- こんにちは。興味深い議論と感じました。
- 通常の日本語概念と乖離がある方、つまり記事(版)自体のデータベースからのDELETEについては、特殊な意味合いがあるので、こちらについてはウィキペディア独自の用語を用いるのが良いと考えます。それに対し、編集で取り除く行為については、通常の日本語概念との大きな乖離はありませんから「削除する」「抹消する」「除去する」「取り除く」等、適宜表現すれば良いのではないでしょうか。
- 日本語の通例としては、こういったテクニカルタームについて「デリーション」なり「デリート」といった外国語そのままの片仮名書きを使うのがひとつの選択肢と思います。あるいは「記事削除」といった助詞を含まず、明らかに一般用語と区別のつく一語のテクニカルタームを作ってしまうという選択肢もあるかと思います(なお、「管理者削除」よりも「記事削除」なり「版削除」の方が差異を適切に表していると思います。SQLのDELETEを日本語で表現するなら「行削除」ですから)。通常の日本語から確実に区別が付くのは片仮名用語の導入です。「○○の編集について独自研究と思われるためデリートしました」と書いてしまうことまで心配する必要はないでしょうから。
- #ところで、通常の日本語表現で編集について「抹消」を使うのは、打ち消し線を引いて誤記修正するときに「○字抹消」と表記するくらいかな。--T.Kimura 2010年3月11日 (木) 05:32 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
コメント おそらくKs aka 98さんの一番のご懸念は、「認識の齟齬があると、権利侵害のある記述を放置してしまうことにも繋がる」という点だと思います。同じ認識です。「除去」という言葉を使った方がそのような齟齬の回避に資すると判断すれば、敢えてそれを避ける必要はないと思います。ただ重要なのはそのような齟齬を避けるためにどれだけ配慮・丁寧な説明ができるかであって、「除去」という言葉を使いさえすれば認識が共有できる、という訳でもありませんし、他の方法もある、ということだと思います。Ks aka 98さんと私とで同じことをそれぞれ真逆から言っているようにも思えますが、「あまり安易に考えて欲しくない」というのは共通認識だと思います。敢えて井戸端に投稿させていただいたのも、当たり前と思っていることが実はそうでもないかも、と再考していただくきっかけ・一助になれば、という思いもあります。- 「除去」の語感や行為との釣り合いに関しては、感じ方は人それぞれだと思いますので、私はこう感じる、としか言えません。状況にもよると思います。ネガティブさをストレートに相手に伝えることの是非も状況次第かなと。まぁ私だけの感覚かもしれませんが…(Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディア用語に関する意識調査によると、無言雀師さんが同じような感覚をお持ちかもしれません)。他の方のご意見も伺いたいところです。世界最狂の魔法使いCray-GさんのおっしゃるようにWikipedia用語として改めて明確に定義してみる試みは価値あることだと思いますが、もしやるなら、Wikipedia‐ノート:管理者#「管理者」の呼称問題についてのように、ある程度期間をかけて広く意見を募集するということになるのかな、と思います(ただ個人的には、今すぐそこまでやるモチベーションはあまりありません…)。
- それからT.Kimuraさんの「記事(版)自体のデータベースからのDELETE」はちょっと誤解を与えてしまうかもしれません。Wikipediaの記事(版)の「削除」はSQLレベルのDELETEではなく、一般利用者から見えなくしてしまう、というだけです。「特殊な意味合い」には違いないのですけれども。--Penn Station 2010年3月11日 (木) 09:03 (UTC)
- ごめん。ぼくは、思っていることが、なんともPenn Stationさんには伝わらないなあ、と思っている。--Ks aka 98 2010年3月11日 (木) 16:54 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- 観点が違うからではないでしょうかね。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月12日 (金) 16:50 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- 使い分けを優先する考え方やそのような考えを持つ方が多くいらっしゃることは理解できます。「単に「除去」を使わないという流れが生じるだけで話が終わってしまうようでは困る…」というのも同感です。ただ言葉の感じ方や価値観が若干異なるのかなと思います。現時点で私の側からはあまり大きな問題があるとは感じていないのですが、もしKs aka 98さんから見て大いに気になる点があれば、また必要に応じてご指摘いただければ幸いです。--Penn Station 2010年3月14日 (日) 04:03 (UTC)
-
-
-
-
-
-
-
Wikipedia:ウィキペディア用語集に「削除」も「除去」も載っていることを知ってから私自身は使い分けていますが、ここの議論を見てもわかる通り、あまり知られていないのが現状です。もっと「用語集」をPRすべきでしょう。この議論をご覧になった方は是非積極的に「用語集」の存在をPRしてください。--アルビレオ 2010年3月10日 (水) 22:40 (UTC)
- ここでの議論参加者(アルビレオさんの書き込みまでに3人しかいませんが)が用語集の掲載について知っていたか否かについて第三者が判断はできないと思いますが…。ただあまり知られていないのでは、という実感は共有します。また、もし用語集が言葉の用法を厳密に制限してしまうのであれば、それは本末転倒だと思っています(そうはなっていないと思っていますけれど)。--Penn Station 2010年3月11日 (木) 09:03 (UTC)
-
- 逆に「用語集が言葉の用法を厳密に制限してしまう」可能性を考えるPenn Station氏が「気にしすぎ」なのではないかと思いますよ。
- 死んだ木にインクを乗せたものだか電線を流れる電気の波だか知りませんが、そんなものに人間の行動を縛ることは出来ません。「そんなもの」が縛ることが出来るのは、「そんなものに縛られたがる人間」の行動だけです。
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんも参照して下さい。大切なのは目的です。規則でも規範でもありません。それらは真摯に受け止められ充分に考慮されるべきものですが、縛るものではないのですから。
- アルビレオ氏>是非積極的に「用語集」の存在をPRしてください
- 機会があればそうしましょう。共通見解が多ければ多いほど議論の軋轢は起こり難くなり、相互理解が深まり易くなり中立的な観点を得易くなりますからね。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月11日 (木) 09:57 (UTC)
-
- Wikipedia:ウィキペディア用語集に「除去」が掲載されたのは、履歴を見ると2007年12月なので、ベテランの方は掲載を知らないでいたのかも知れませんね。とはいえ「ウィキペディア用語集」はWikipedia:ウィキペディアへようこそにもWikipedia:ガイドブックにも先頭にリンクがあるので、用語集にある程度長い期間載っていて議論になっていない用語はコンセンサスを得ていると私は判断しますし、同じように考えている方も多いのではないかと思います。この用語集を金科玉条とすべきとは言えないでしょうが、用語や用法に異議があれば先ずは用語集の改訂を目指すべきだと思います。(実際私も最初は「除去」に違和感がありました)--アルビレオ 2010年3月11日 (木) 23:12 (UTC)
- 議論などで、ウィキペディア特有の表現を説明するためにウィキペディア用語集へのリンクを簡単に張りたいときに使える利用者:Widehawk/Template:用語集を作ってみました。詳しい説明はテンプレートページにあります。よろしければTemplate名前空間に移動して使ってください。--Widehawk 2010年3月12日 (金) 09:03 (UTC)
- Wikipedia:ウィキペディア用語集に「除去」が掲載されたのは、履歴を見ると2007年12月なので、ベテランの方は掲載を知らないでいたのかも知れませんね。とはいえ「ウィキペディア用語集」はWikipedia:ウィキペディアへようこそにもWikipedia:ガイドブックにも先頭にリンクがあるので、用語集にある程度長い期間載っていて議論になっていない用語はコンセンサスを得ていると私は判断しますし、同じように考えている方も多いのではないかと思います。この用語集を金科玉条とすべきとは言えないでしょうが、用語や用法に異議があれば先ずは用語集の改訂を目指すべきだと思います。(実際私も最初は「除去」に違和感がありました)--アルビレオ 2010年3月11日 (木) 23:12 (UTC)
過去に削除の意味について誤解しかけたこと( Wikipedia‐ノート:追放の方針#「生まれ変わり」の節での「削除」とは)があり、それ以来、意識して「削除」と「除去」を使い分けるようになりました。方針類の表現もおそらくはこのころから便宜的に使い分けされるようになってきたのではないでしょうか。方針上でこの二つが混同されると混乱を招くため、少なくとも、そういう「決め」の場ではなるべく曖昧さを残さない用語がよいと思います。 ただ、言葉のニュアンスとして、Penn Stationさんのいわれることはわかる気がします。ワープロや表計算などのソフトでテキストやデータを削るときは「削除」でしょうし、「添削」といったりするように、作文や文章を扱う言葉としては「削除」あるいは略号的に「トル」がふつうで「除去」(どけるという意味にも取れる)という言い方はあまりしません。この点では、除去がふつうに使われ、削除がある意味特殊な位置づけにあるウィキペディアは独特といえるでしょう。 もし私が最初に用語を選べたとしたら、管理者の特定版削除はT.Kimuraさんのいわれる「版削除」がふさわしいと感じます。とはいえ、これでも通常の文章削除との曖昧さが残ることからすると、現状の使い分けの方が勝っているのかなあと思います。--みっち 2010年3月12日 (金) 10:21 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。「除去」に関してアルビレオさんも含め同じような感じ方や違和感を持っている(いた)方がいらっしゃることが分かり、本件投稿してよかったです。また使い分けを優先する考え方やそのような考えを持つ方が多くいらっしゃることは理解できます。
- 個人的には、「削除」はPC等でファイル等(デスクトップ・メタファにおけるオブジェクト)を削除する用語として一般に広く受け入れられていますので、記事に対して同じように使用してもそう違和感はないのかなと思います(復活できることを含めて)。「除去」については、もし別の用語を使うのであれば、「消去」あたりが妥当かなという感覚です。「除去」について同じような感覚をお持ちの方が一定数いらっしゃれば代替用語を提案すべきかなと思いますが、今さら変えることに抵抗感を持たれる方もいらっしゃるでしょうし、様子を見たいと思っています。
- p.s.「特定版削除」は何故「特定版」なのか不思議ですね。「版削除」で十分と思うのですが、また別の話ですね…。--Penn Station 2010年3月14日 (日) 04:03 (UTC)
- 私も違和感を持っていました。「除去」は節冒頭で挙げられているように、悪いものを取り除くという語感を含有していますから、他の語で代替できるのであれば、代替した方がよいと思います。現行「除去」となっているremoveは「削除」、「削除」となっているdeleteは「抹消」にすると良いのではないでしょうか。Removeは履歴に旧版が送信可能化状態で残りますが、管理権限によるdeleteは履歴から抹消されます。これを考えれば、管理権限によるdeleteは抹消と呼ぶにふさわしいと思います。復帰がありえるので適切でないということですが、復帰時は相応の理由が付記されるのでしょうから、問題ないように思います。--Akaniji 2010年3月14日 (日) 09:54 (UTC)
えーと。二つに話が別れちゃってるように思いました。
- 使い分ける必要があるので、それを周知しようという話
- 「除去」への違和感をどうするか、という話
で、前者は、後者の結論まちということになると思います。
使い分けについて、ネガティブな語感と、実際の作業と言葉との関連についての違和感を持つ人がいるということになりそうです。
ネガティブさについては、本来的に記述を取り除くという行為は、その記述が不要であるということを示すのですから、ネガティブなニュアンスを伴うのは避けられないと思います。「除去」には不要のものをというニュアンスがありますが[6]、これは「除く」に由来するものだと思われます[7]。あるいは「足場を除去する」という表現には、それほどネガティブなニュアンスは含まれないと思います。他方、「消去」にも「不必要なものを」のニュアンスはありますし(『類語新辞典』角川)、『削除』の例示にある「不当発言」「不穏当な発言」も邪魔なもの、不要なものと言えるでしょう。受け取り手として、
- 個人的なエッセイを除去
- 個人的なエッセイを削除
- 個人的なエッセイを消去
あるいは
- 百科事典的な項目ではないということで削除を依頼します
- 百科事典的な項目ではないということで抹消を依頼します
で、相手を硬化・反発させる可能性が違うかどうか、検討してみてください。個人的には、前三者は特に違いを感じません。後者については、「抹消」は強すぎる表現で、反発させる可能性があると思います。また、「除去」は慣習を改めるだけで済みますけれど、「削除」を他の表現に変える場合は、かなり大きな変更になるということも考慮した上で意見をお願いします。
ワープロでデータを「削除」したりゴミ箱に入れたファイルを「削除」すると普通は復帰できない状態になると思います。これは、ウィキペディアでは、管理者しかできない「削除」と同じじゃないでしょうか。ぼくは「除去」に相当する、誰でも閲覧可能だが、最新版には表示されない記述というもののほうが、ウィキペディア独特のものだと感じます。
編集の除去は、最新版の記述からは消去されますが、以前の版に残されています。店頭からディスプレイを除去して、ニュースサイトのトップにあった記事が、アーカイブ化されるのを「削除」や「消去」とは言わないのではないかと思う。倉庫にしまうようなイメージで「除去」が適切ではないかと思います。必要ないものだけれど「除けて」いるだけですから、たとえば出典が示されたりすれば、再度戻すこともできます。「削っ」たり「消し」たりするよりは、語感として近いのではないかと思うのです。
慣れない利用者との削除に関係するやりとりで、しばしば話がすれ違うのは、「編集で取り除く行為」は、容易に書き戻すことができるし、その他の記述は残すことができるということを理解されていないということです。
また、通常のウェブページで「削除」というと、閲覧できない状態になることを指すと思います。特に権利侵害削除しなければならないものを、編集除去し、履歴から過去の版を閲覧できることを知らずに、削除されたからそれでよしというようなやりとりが生じることは避けたいと思います。
「記事削除」というのは、白紙化との混乱の可能性があります。「版削除」は、一般的な操作を指す場合には(全削除に対して)「版削除」でもいいかもしれませんが、実際の作業としては版を特定して削除するということで「特定版削除」でいいんじゃないかと思います。--Ks aka 98 2010年3月15日 (月) 16:07 (UTC)
- 郷に入りては郷に従え、ローマではローマ人のようにせよ、というところですかね。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月15日 (月) 18:31 (UTC)
「消す」だけじゃなく「作る」だとか「書く」だとかにも色々な二字熟語があるでしょう。それが日本語なんですから。それら各熟語への個人の主観の感じ方を言い合って何になるんですか?まさか今から全部「抹消依頼」とかに変えろとでも?ウィキペディアにおいての「消す」は、履歴に残る「除去」と残らない「削除」の2つに分かれる。この2語を使い分け、この2語以外の語は使わない事が求められる。ヘビーユーザーなのにそれを知らないほうが問題ってだけの事。--Khhy 2010年3月16日 (火) 01:23 (UTC)
用語として定着していると思って、使ったのですが。術語として定義づければいいだけの話ではないでしょうか。違和感うんぬんは、別の話題でしょう。 --ねこぱんだ 2010年3月16日 (火) 01:29 (UTC)
[編集] テレビ番組の遅れ日数について
本来はウィキプロジェクトで提言すべきなのでしょうが、適用範囲がやや広範なためこちらで提言させていただきます。
テレビ番組(やテレビアニメ)記事の放送局リストによく「(キー局・本放送・最速の放送より)○日遅れ」という記述が見られます。具体的には開運!なんでも鑑定団#ネット局と放送時間のような感じです。しかし、キー局にしろ地方局にしろ特番などで休止になればその遅れ日数は変化します。放送局によっては集中的に放送して遅れを取りもどすこともあります。放送リストもそのたびに更新するのでしょうか。「何月何日までは何日遅れだった」「○日遅れだったのが△日遅れになった」のように、過剰なまでに親切に書かれている記事も見かけます。
このように、放送番組記事において「何日遅れ」という情報はすぐ古くなるものであり、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないから見ても問題があり除去すべきなのではないかと思います。--Avanzare 2010年3月12日 (金) 11:38 (UTC)
- 1クールで終了するアニメのようなの場合は、「すぐ古くなる」情報となる可能性は限りなくゼロに近いものと考えられます。少なくとも一律除去はありえません。--Sanjo 2010年3月12日 (金) 12:39 (UTC)
- 提示された「開運!なんでも鑑定団」の例は確かにWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないから見て問題がありますが、その対策は除去ではなく、時期が特定できる表現にする、でしょう。Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいも参考にしてください。--アルビレオ 2010年3月12日 (金) 22:54 (UTC)
[編集] ヘルストン人工温泉の掲載について
先日、投稿した内容が削除されました。 その内容は以下のとおりです。 2010年3月12日 (金) 17:00 Faso (会話 | 投稿記録) 「ヘルストン人工温泉」を削除しました (WP:CSD#記事1 定義なし: 内容: '麦飯石のみを原料として製造されるヘルストン(医薬部外品・49D第600号)および原料麦飯石を循環風呂に使用しものを指し...' (投稿者 [[Special:Contributions/222.228.)
削除されるべき正当な理由は見当たらないと思われます。 削除された方の専門性が疑われます。 翻って、専門家から、ウィキペディアの低い信頼性を指摘する声が多々発せられていますが、ここに原因が あるように思われます。 ボランティア、匿名性に問題があることは明らかですから削除、編集、投稿に関して、何らかの専門機関に 所属していることを条件とするか、氏名、所属(専門分野)、メールアドレスを公開するなどの措置が必要で はないですか?
私は、インターネットを利用するものとして、ウイキペディアが正確な情報を発信し、信頼性を勝ち取り、 発展してほしいと願っています。 すばらしいメディアであることに間違いはありませんが、信頼性を高める工夫が必要だと思われます。
以上、ご検討ください。—以上の署名の無いコメントは、222.228.177.104(会話/Whois)さんが[2010年3月13日 (土) 04:51 (UTC)]に投稿したものです(あるふぁるふぁによる付記)。
- Wikipediaでは、専門家でなくとも誰でも執筆できる方針をとっていますが、執筆者を博士号取得者等に限定したプロジェクトもあります。ヌーペディアは失敗に終わりましたが、スカラーペディアは現在でも続いており、Wikipediaのスカラーペディアのページによると2007年10月14日現在で267本の記事が存在するそうです。あなたの活躍の場はこちらかもしれませんね。--あるふぁるふぁ 2010年3月13日 (土) 08:34 (UTC)
- 誰でも自由に書けなければ、それはもうウィキペディアではない気がします。各種ガイドラインでそれを抑制しようとの努力が見られますが、誰もが(IPユーザーでさえも)執筆できる以上、2ちゃんねるよりはいささかマシではありますが、まあそういうことです。ウィキペディアにあまり多くを求めてはいけないのではないでしょうか。完全無欠なプロジェクトなど、あろう筈もありません。私としましてはウィキペディアがデファクト・スタンダードになってしまっているこの現状、インターネット初心者・・・若年者、主婦層、お年寄り・・・などが、ウソをウソと見抜けずに損害を被ってしまうことを、時折真剣に危惧しております。最大手ながら、あくまで「数多(あまた)ある百科事典的wikiの一つ」でしかないのですから。--Hman 2010年3月13日 (土) 10:17 (UTC)
- Wikipedia:自分自身の記事をつくらない をご覧いただくべきケースかと思います。ご自身がかかわっている特定の商品についてウィキペディアに投稿されるのはあまりお勧めしません。--Su-no-G 2010年3月13日 (土) 11:05 (UTC)
- 「ヘルストン人工温泉」の即時削除の理由としてWP:CSD#記事1(定義になっていない、あるいは文章になっていないもの)と表示されています。宣伝目的の投稿と判断されて削除されたのであれば、WP:CSD#全般4(宣伝・広告が目的であるページ)と表示されますので、宣伝を理由とした削除とは考えにくいです。削除された文章を確認できず、温泉に関しては専門外なので断定はできませんが、宣伝目的の投稿でないのであれば、定義や文章を改善さえすれば再投稿は可能と思われます。--4行DA 2010年3月13日 (土) 12:35 (UTC)
-
- そうですね。既に記事が存在しない以上なんとも言いかねますが、単に「ウィキペディアの書式」にマッチしてなかっただけかもしれませんね。投稿前に誰かに見て貰えれば良いのでしょうが・・・。--Hman 2010年3月13日 (土) 15:23 (UTC)
- 削除された場合、「削除理由を受け入れ、修正した後に再投稿する」以外の選択肢としては 削除の復帰 というものもあります。--Frozen-mikan 2010年3月13日 (土) 17:19 (UTC)
[編集] 記事のない項目への内部リンク
ヘルプでも扱われている、記事のない項目への内部リンク。私は、読者が「リンクをクリックしたが記事がなかった」とがっかりさせることのないように、普通は使用は避けるようにしています。しかし編集者によっては、あたかも他人によりリンク先の記事が立項されることを望むかのように、積極的にリンク付けする方も見受けられます。このリンクの扱い方について、明確な取り決めとかないのでしょうか?--Coldfoot 2010年3月15日 (月) 06:02 (UTC)
- 草案ですがWikipedia:赤リンク--Ks aka 98 2010年3月15日 (月) 06:19 (UTC)
- ご指摘のヘルプに「Wikipedia:赤リンク」も参照とあるのですが、それではなくということでしょうか。Help:リンクによれば、
- 赤リンクは、そのページの存在の有無の判断の助けになり、作成される予定のページへリンクすることを可能にし、ページ作成を簡単にし、かつそのきっかけを与えるのに役立ちます。
- とあります。個人的には赤リンクは記事の執筆を促す意味があると解釈しています。リンクが赤色になっている時点で記事が書かれていないことはすぐ分かりますから初心者でもがっかりするのは1回だけで済みますが、逆を言えば1回はがっかりさせるわけですね。しかし記事になる可能性が高いなら普段から赤リンクを付けておかないと、いざ記事を執筆した際にリンクすべき箇所を探して回るのに結構な手間が掛かります。--Gwano 2010年3月15日 (月) 06:26 (UTC)
- 私が問題提起していたのはその赤リンクです。草案に気づかなかったとは、お恥ずかしい限りです…。目を通しておきたいと思います。ありがとうございました。--Coldfoot 2010年3月15日 (月) 06:33 (UTC)
[編集] 学校の略称の曖昧さ回避・リダイレクトについて
たとえば松高のように学校の略称の曖昧さ回避やリダイレクトは必要でしょうか?私は必要ないかと思うのですが・・・ 理由としては、高校・中学・小学校などの場合、○○高等学校なら○高と省略パターンが決まっており、さらに略称を使う人は少なくとも○○高校という名称は知っていると思うからです。検索するときわざわざ○高ではなく○○高校で検索すると思います。ですので、これらの曖昧さ回避やリダイレクトページは必要性を感じないのですが、実際どうなのでしょうか。これ以外の特殊な略称があるならリダイレクトや曖昧さ回避も理解できますが・・・ --ふるさと 2010年3月15日 (月) 13:41 (UTC)
- そうですか?松高で見ても一番目の松の場合と二番目の松を取っている場合があって、必ずしもパターンが決まっているとも思えませんが。まあ二番目の場合は小松に限られていますが。知っている人だけが検索するとも限らないと思いますよ。ネットとかで略称を見て、高校っぽいことはわかってもどこかわからないとか。そういう人にとってはある程度参考になると思います。それと数が多いと見つけるのに大変ですが2つ、3つほどの場合はあえて略称で入れると早く行けるという点もあるとは思います。とりあえず、松高に関しては高校以外のこともありますし、それ以外でも地名などとかぶることも割りとある気もしますので、別にあっても構わないと思いますけど。--43.244.94.229 2010年3月16日 (火) 11:09 (UTC)
- 一応、井戸端の話題として一般論化して申せば、略称のリダイレクト化はよほどの著名性が無い限り、余り必要ないもののように感じます。略称は辞書・辞典の性質として一意性に欠き、検索キーワードとしては甚だ不適切であり、いわんやその略称で記事を探すというのは、読者の側の不手際に過ぎず、まして不特定多数参加型のウィキペディアにあっては読者と著作者はしばしば重なるところがあり、ある読者が自身の視点に基づいて「この略称はこの記事に紐付けられるべきだ」とリダイレクトを設置したとしても、他の読者は別の記事に紐付けるべきだと考えるかも知れず、この可能性は略称というあやふやな(ともすれば出所不明な)もので検索する限り付きまとい、よしんば曖昧さ回避化したとしても記事の数が増えれば相対的に該当項が増える性質から鑑みても、余り芳しい状態とも考えられません。まあこの問題は愛称にもいえることで、例えば「カッちゃん」という「よくある愛称」の場合には実在の人物から架空のキャラクター、あるいは芸能人からCM中の蚊の愛称(ヲイ)まで様々な項目が網羅されたとしても、もはや収拾が付かず混乱した内容にしかならないのでは…とも思う次第。学校限定で○○高とか○○小とかやっても、地元でしか通じないような略称リダイレクトが許容され続ければ、名称の類似性からくる重複や「先に作っちゃったモノ勝ち」状態で、結局は何処に飛んでくか知れたものではない(これは読者の立場としても無駄な時間を過ごすだけ)ので略称で検索する意味を失うと考えます。--夜飛(話/歴) 2010年3月16日 (火) 11:31 (UTC)
[編集] 大韓民国
サイバーテロ の記事を追加しても削除されます。サイバーテロは韓国がおこなった事実でありそれを記載する事に何の問題もない。削除するのは事実を湾曲してるにすぎない。 さらには「今までと同じ記述を繰り返すなら荒し行為と同じでブロック依頼を出します。」などと脅迫までされています。とても不愉快です。 —以上の署名の無いコメントは、Bisuke(会話・履歴)さんによるものです。
- 単に、百科事典のいち国家を扱うページに、そんな些末なことを書かなくてもいいって事なんじゃないですか?必要なら別途、今回の韓国人によるサイバーテロ事件の項目を作成し、「愛国心と民族主義」のセッションで軽く触れつつリンクを張っておく、というアプローチが自然なのではないでしょうか。10年後にも相変わらずサイバーテロばかりやっている様なら、最早些末ではないので、また事情が変わってきますが。--Hman 2010年3月15日 (月) 22:19 (UTC)
- ノートページや井戸端への発言には署名を。なおBisukeさんの今回の行動は常軌を逸しており、まして「2ちゃんねる上で観測された書き込み」を記述するに至っては「ああ、なんと狭い世界の視点よのう」(そのような視点に基づく記述はウィキペディアでは歓迎されません・WP:NPOV参照)と悶絶を禁じえません(朝っぱらから漏電中)。なお韓国人による2ちゃんねるへのサイバーテロ事件という記事もありますが、Bisukeさんの直近の記述を見るに付け、まずはウィキペディアは何ではないかをよく理解されるよう願いたいものであります。--夜飛(話/歴) 2010年3月15日 (月) 22:49 (UTC)
- もうお二人が色々とおっしゃっていますが、なぜ大韓民国の記事にそれを書かなければいけないのでしょう。あなたの認識では、サイバーテロは国家ぐるみで行われた犯罪だとでも言いたいような感じに見えますよ。
- 何か自分たちが嫌いな国の悪いニュースが出ると、すぐにその国の国民全員があたかも悪いニュースに加担したかのような認識をしたがる人間はたくさんいますが、冷静になってよく考えてみたほうがいいです。もっともらしく理屈を述べているウラで、「Wikipediaで韓国人の悪行をさらすべきだ!」っていう声がなんか聞こえてくるようですよ。もちろん気のせいですけどね。
- まぁそういう与太話はともかく、サイバーテロは韓国人の一部が自主的に起こしたものであり、さらに言うと、いわゆる2ちゃんねるの組織犯罪と構造は同じで国家の記事に書くべき理由は何もありません(問題のあるアダルト動画配信サイトをF5攻撃しようみたいなそういうノリ)。
- 国家が加担したわけではなく単なる群衆の熱狂のもとに行われた行為を、あたかもその国の国民性であるかのような記述を行おうとするのはおかしいですよね。多分、冷静になってこの事件を見ようという意識が芽生えないうちは誰がいくら言っても納得できないと思いますが。落ち着いてくださいとしか言いようが無いですね。--冬ぐらたん 2010年3月16日 (火) 00:26 (UTC)
- 事実をかいたまでですが?事実を消し去る行為こそ問題ではないですか?そもそもなぜそこまでして韓国のサイバーテロを無かった事にしたいのか?理解できない。--bisuke_φ(^^*) 2010年3月16日 (火) 11:37 (UTC)
-
- 事実と「百科事典に書くべき事柄」には大きな隔たりがあります。百科事典は事物の性質を説明することこそが存在意義ですが、例えば「富士山の高さは3,775.63mある」という事実を、日本の項に書いたとして、それは「日本」というものの説明足りえるでしょうか。また、五反田駅の記事で、五反田駅のあるトイレの個室に秀逸なジョークが書かれているという事実があったとしても、それを書くことは説明的とはいえません。まして「韓国(同国内ホスト)からのサイバーテロ」が発生したからといって、それをさも韓国全体の問題のように書くことは、日本で東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生したことをもって、日本人は須らくオタクでペドで誘拐殺人犯だと主張するのと大差ありません(それこそ地球の直径における数メートルオーダーの誤差くらいしか違いは無いでしょう)。この問題に関してはWikipedia:特筆性が参考になることと存じます。百科事典としての説明に不満があるのなら、ご自身のブログで心行くまで書き綴ることをお勧めします…少なくともウィキペディアが目指すところは百科辞典以外にはありませんので。--夜飛(話/歴) 2010年3月16日 (火) 13:14 (UTC)
- wikiも朝鮮民族に支配されてようですね。事実をねじ曲げる行為は明らかに朝鮮民族の特徴です。
そんなに書かれてまずいのならばサイバーテロなどしなければ良い事です。それから私の文面にどこの誰かが顔文字をいれてまでといって不愉快なメールを送ってきていますがこのHNはもう15年も使っているHNであります。この記事に特別に書いたものではありません。あしからず、今回の不当な記事削除でWIKIの内容の信憑性が0になった事はあきらかです。事実を事実として受け入れれないのですから… --bisuke_φ(^^*) 2010年3月16日 (火) 13:21 (UTC)
- この件に関しては、氏のあんまりな態度もありWikipedia:投稿ブロック依頼/Bisukeが提出されました。なお氏は現在、目的外利用者(主張に基づく記事編集)もあって2010年3月16日22:47より1日のブロック中です。--夜飛(話/歴) 2010年3月16日 (火) 14:25 (UTC)
[編集] 「日本五大××」や「日本三大××」の単独記事立項の目安について
現在、日本五大山岳城および日本五大山城の記事の特筆性について、利用者:ブレイズマンさんと議論しております。前者は小和田哲男が、後者は安部龍太郎がある文書の中でそのような概念を用いたということを根拠に立項されていますが、著名人1名が自著の中で「日本三大なんとか」「日本五大なんとか」の概念を提起したというだけで立項出来るとなると、極めて立項へのハードルが低くなるように感じます。
特筆性の判断の根拠の一つにあげられているWikipedia:信頼できる情報源を注意深く読んでみますと、「情報源の評価」の中で「 同意または非同意の先入観は常に自明ではないので、1つだけの情報源では不十分です。違うのを探して照合してください。複数の独立した情報源が合意していて、どちらも先入観の入っていることを示す強い理由がないか、先入観が違う方向を指していれば、信頼できる根拠があるといえます。」とあります。1名の著名人が自著で提起したというだけの概念では、複数の独立した情報源による、この概念の存在そのものに対する同意が確認出来ないと思うのですが、いかがでしょうか。--Peachkiller 2010年3月15日 (月) 22:29 (UTC)
- ひとことだけ。ある著名人が自著で列挙しただけという観念の場合、あるいはほかの著名人は若干違うリストを書いてるかもしれず、それらの論を集積したら「それなりに面白そう」(読者の注意を惹くという意味で)な気がします。あとはどうまとめるかで百科事典的に出来る余地があるかもしれません。ま、程度問題ですね。--夜飛(話/歴) 2010年3月15日 (月) 23:07 (UTC)
日本百名山の記事内容が参考になるのでは。 --ねこぱんだ 2010年3月16日 (火) 01:36 (UTC)
[編集] CC-BY-SAの帰属表示の書き方は?
CC-BY-SA がしばらく前に利用可能となりましたが、帰属表示の書き方がよくわからないので教えてください。現在計画しているものはテキストマイニングの一種で、ランダム性の強い方法でページを選び、その本文から単語の出現頻度など様々なデータを取り出し、見やすいように整形して出力します。Wikipedia:ライセンス更新によれば、帰属表示には「最新の著作者と以前の著作者」を含める必要があり、このアプリケーションの場合、参照したすべてのページのすべての編集者を帰属表示に含める必要があるのですか?その場合、帰属表示は大変な量になることが予想されるので避けたいところです。また、「作品のタイトル」とはウィキペディアではなんのことを指すのでしょうか?項目のタイトルでしょうか?また、参照したすべてのページのタイトルを帰属表示に含める必要があるのでしょうか?また、帰属表示の場所は「任意の合理的な方法で提供される」そうですが、例えばこのアプリケーションのデータを掲載したサイトの1ページにすべてまとめて書く方法でよいのでしょうか。しばらくウィキペディアに関わっていないので件のライセンスの議論も全く追っていません。これらの疑問についてのページも探しましたが、見つかりませんでした。もしこのような帰属表示について詳しく具体的な説明があるページがあったら、それも教えていただけたら幸いです。--Foxtrot 2010年3月16日 (火) 18:40 (UTC)
- CC-BY-SAの詳細については、原文[8]を参照ください。非公式訳Wikipedia:クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植、非移植ではなく日本版の訳のドラフトPDFが参考になるかもしれません。ウィキペディアでの定義などについてはWikipedia:著作権が参考になるでしょう。以下、簡単にぼくなりの説明をしますが、できるだけご自身で判断してください。責任は負いかねます。
- 「その本文から単語の出現頻度など様々なデータを取り出し、見やすいように整形して出力」の結果、元の文章の思想・感情の表現が感得できるほど残っていなければ、著作物の使用とは言えず、ライセンスを守る必要がないということになります。
- 使用となるような場合であれば、すべてのページのすべての編集者を帰属表示に含める必要があります。許諾者又は原著作者ではない編集者、つまり執筆や改変に創造性が認められないと考えられる編集者については、共同著作物の著作権者とならないと判断するならば、履歴の差分を追って除外することもできるかもしれません。帰属表示は大変な量になりますが、そうでなければ、編集に参加したすべての著作権者に許諾を得ることになりますから、それと比較すれば労力は相当軽減されると思います。「作品のタイトル」は通常記事名になるでしょう。「このアプリケーションのデータを掲載したサイトの1ページにすべてまとめて書く方法でも」よいと思います。
- ウィキペディアを使ったデータマイニングでの論文発表などを考えられているのであれば、cinii[9]で「ウィキペディア」または「Wikipedia」で検索すればいくつか論文が得られますし、過去2度のWikipediaワークショップ[10][11]での発表資料が参考になるでしょう。--Ks aka 98 2010年3月16日 (火) 19:14 (UTC)
Warning: curl_setopt() [function.curl-setopt]: CURLOPT_FOLLOWLOCATION cannot be activated when in safe_mode or an open_basedir is set in /www/motocykle_www/spam/jp/richFeeds.php on line 59
| Pomyślna próba silników komercyjnej rakiety nośnej |
|
Na przylądku Canaveral, na Florydzie dokonano podczas weekendu pomyślnej próby silników rakiety Falcon 9, pierwszego skonstruowanego przez prywatną firmę pojazdu kosmicznego, który ma przewozić ładunki - a w przyszłości także ludzi - na orbitę okołoziemską.
|
| Przełomowe odkrycie naukowców pomoże policji |
|
Bakterie na naszych rękach mogą być używane do identyfikacji podejrzanych, podobnie jak do tej pory DNA – informują amerykańscy naukowcy w czasopiśmie "Proceedings of the National Academy of Sciences".
|
| Australia cieplejsza o 0,7 stopnia niż 50 lat temu |
|
W ciągu ostatnich 50 lat temperatury w Australii wzrosły o 0.7 stopnia Celsjusza, co jest znaczącym dowodem ocieplania się klimatu - informuje agencja AFP, powołując się na australijskich naukowców.
|
| Sztuczny hormon tarczycy obniża poziom cholesterolu |
|
Eksperymentalny lek przypominający hormon tarczycy zmniejsza poziom cholesterolu, nie wywołując efektów ubocznych, jakie występują niekiedy przy leczeniu statynami- informuje "New England Journal of Medicine"
|
| Ponad 22 proc. energii elektrycznej w OECD z atomu |
|
W krajach OECD pracuje 350 elektrowni jądrowych; wytwarzają one ponad 22 proc. energii elektrycznej. Polska jest jednym z niewielu dużych krajów OECD, które nie mają elektrowni jądrowej - powiedział PAP szef agencji energii atomowej przy OECD Luis Echavarri.
|
