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福知山市

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福知山市
ふくちやまし
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府 
団体コード 26201-3
面積 552.57km²
総人口 80,438
推計人口、2008年12月1日)
人口密度 146人/km²
隣接自治体 京都府舞鶴市綾部市宮津市
船井郡京丹波町与謝郡与謝野町
兵庫県丹波市豊岡市朝来市篠山市
市の木 ケヤキカシヒノキウメ
1991年4月制定)
市の花 キキョウサツキハギ
レンゲツツジフジ
1991年4月制定)
市の鳥 ウグイスキジ
1991年4月制定)
福知山市役所
所在地 〒620-8501 京都府
福知山市字内記13番地の1(内記3丁目)
福知山市役所遠くに福知山城が見える
電話番号 0773-22-6111
外部リンク 福知山市公式ページ

福知山市位置図(京都府)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
市長 松山正治
2008年6月就任)
市議会議長 加藤弘道
2007年5月15日就任)
一般会計予算
(平成20年度)
394億8000万円[1]
郵便番号 620-0xxx
市外局番 0773(市内全域)
市民憲章 『幸せを生きる』
1991年4月制定)
キャッチフレーズ 北近畿の都
ドッコイセの町
世帯数 34,075世帯[2]
平成19年12月末現在)
人口明細 男子40,416人[2]
女子42,609人[2]
平成19年12月末現在)
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)

福知山市(ふくちやまし)は、京都府北部(旧丹波国)の丹波地方に位置する、京都市と旧伏見市に続いて府下三番目に市制を施行したである。

目次

[編集] 概要

さまざまな出土品から、少なくとも縄文時代の始め頃から人が住んでいたと考えられており、古くから交通の要綱として栄えた市でもある。

特に織田信長の命を受けた明智光秀塩見信房を倒し、その居城であった横山城を大修築し福智山城(後の福知山城)としてからは、その城下町として大いに栄えた市でもあり、現在でも鋳物師町、呉服町など地名にその名残を残す。更にたびたび大氾濫を起こしていた由良川の治水に光秀は成功し、地子銭を免除するなどの善政を敷いたことから、その治世がわずかであったにもかかわらず御霊神社に祀られ市の花も明智氏の家紋であるキキョウとするなど、福知山における光秀への信望はあつい。

一方特産品の藍染め品や藍染品などのさまざまな農産品を生産し、それらを扱う商いのまちとして栄えてきた福知山は、後継者不足などの問題によりそれらの産業は衰退しほぼ完全に消滅してしまった。現状としては内陸型工業団地としては比較的大規模な長田野工業団地1974年(昭和49年)に整備着手がなされたことによる商工業が主な福知山の産業になっているが、それらのかつての伝統と歴史を復活させようと総合的な学習の時間で学ばせる教育機関や、そういった活動の趣旨の民間団体が結成されるなどの動きも見られる。

[編集] 市の象徴

[編集] 市章

福知山市章

現在の福知山市章は、1938年(昭和13年)12月に公募により二千点近くの中から選ばれ制定されたもので、「ふくちやま」の頭文字である「ふ」をカタカナにし、それを九つ並べて図案化されたものであり[3]、その図案はフ九」つまり「福」をこの市章は表している。

[編集] ドッコちゃん

福知山市のイメージキャラクターであり、名前は福知山音頭にたびたび繰り返される「ドッコイセ」という独特のフレーズから由来し、その姿はその踊り子をモチーフにしたものである。

[編集] 酒呑童子

ドッコちゃんと並ぶイメージキャラクター。福知山市にある大江山には酒呑童子が住んでいたとされる鬼伝説があり、商工イベントとしての「鬼まつり」などが開催されるなど、このキャラクターに限らず鬼は親しまれてきた存在である。福知山では鬼を核としたまちづくりが行われ、成田亨デザインの鬼像や、鬼瓦の回廊、鬼の博物館など鬼にまつわるものが多数存在する。

[編集] 光秀くん、ひろこさん

福知山観光協会のイメージキャラクター。明智光秀とその正室である煕子がモデルとなっており、忍たま乱太郎の作者で知られる尼子騒兵衛がデザインしたものである。

[編集] 市民憲章

平成3年4月1日に制定された市民憲章である。本文には福知山の四季や由良川などが謳われいる。

[編集] 歴史

[編集] 年表

戦国時代から江戸時代まで(1467年~1867年)
明治から第二次世界大戦まで(1878年~1945年)
  • 1871年(明治3年) - 廃藩置県により福知山県となる。
  • 同年11月 豊岡県に統合される。
  • 1876年(明治9年) - 豊岡県は兵庫県と京都府に分割統合、京都府天田郡となる。
  • 1889年(明治22年) - 町村制により福知山町となる。
  • 1898年(明治31年) - 旧陸軍歩兵第20連隊が駐屯開始をする。
  • 1899年(明治32年)7月15日 - 福知山線柏原駅~福知南口駅開通により、大阪~福知山間全線が開通する。
  • 1910年(明治43年)8月25日 - 山陰本線の園部駅綾部駅開通により、京都駅福知山駅全線が開通する。上記の1899年(明治32年)の大阪~福知山間全線開通とあわせて、福知山駅が市の中心駅として担うようになる。
  • 1918年(大正7年)- 福知山町に曽我井村を編入する。
  • 1936年(昭和11年) - 市制施行を念頭に庵我村・雀部村・下豊富村を編入する。
  • 同年5月 - 初代福知山市長として高木半兵衛が就任する。
  • 1937年(昭和12年)4月 - 市制施行により福知山市となる。当時の人口は3万2千人程度であった。
  • 1938年(昭和13年)12月 - 公募により全国から集められた約2000点の作品の中から、福知山市市章が制定される。
  • 1940年(昭和15年)6月 - 2代目市長として岸本熊太郎が就任する。
  • 1942年(昭和17年)7月 - 3代目市長として田中庄太郎が就任する。
第二次大戦から昭和末期まで(1946年~1988年)
平成以後(1989年~)
  • 1990年(平成2年)8月 - 8代目市長として中村稔が就任する。
  • 1991年(平成3年)4月 - 7代目市長であった塩見精太郎が名誉市民に選ばれ、市の花、鳥、木とあわせて市民憲章が制定される。
  • 1993年(平成5年)4月 - 福知山市出身の日本画家である佐藤太清が、名誉市民として選ばれる。
  • 2004年(平成16年)6月 - 高日音彦が9代目市長として就任する。
  • 2005年(平成17年)11月 - 福知山市を走る鉄道は福知山市街地を南北に分断する形に走っていたため、市街地の移動には非常に不便であった。その解消策として中心駅である福知山駅とその周辺の路線を高架化する。
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 大江町三和町夜久野町の3町を編入合併して、新しい福知山市が誕生する。
  • 2008年(平成20年)6月 - 松山正治が10代目市長として就任する。

[編集] 鎌倉時代以前

綾部市舞鶴市など周辺の地域を含め、この地では考古学上貴重な資料ともなる大小さまざまな多数の古墳や副葬品などが出土している[4]。福知山市内からは古くは縄文時代初期のころのものが出土していることから、既にそれ以前にはこの地に人が住んでいたことや、多くの有力豪族がこの地一帯を統治していたことが分かっている。福知山市の場合、それを示唆するものの一例として国の重要文化財にも指定された盤龍鏡と呼ばれる「景初四年」の年号が刻まれた鏡の出土があげられる。

しかしこういった遺跡や住居跡などは平安時代初期にかけてまでしか見つかっておらず、こういった勢力は飛鳥時代の終わりごろに滅亡していったと考えられている。

平安時代になると摂関家領の荘園として利用されるようになり、後期には天田郡(あまだごおり)のほとんどが荘園として利用されるようになった。鎌倉時代に入ると多数の守護地頭が送り込まれたために、その荘園もやがて彼らの物に変わっていった。

[編集] 室町時代

室町時代後期になると、信濃小笠原氏小笠原長清の末裔とされる小笠原頼勝は、福知山盆地の中央部に位置する「横山」と呼ばれた丘陵地に簡素な空堀と土塁だけで出来た横山城を築きあげた。のちに小笠原頼勝は塩見頼勝と名を改め、その子塩見頼氏が横山城等を拠点としてこの地を統治するようになる。

[編集] 戦国時代

戦国時代に入ると、塩見頼氏は子の塩見信房に横山城を譲り、彼が福知山を統治するようになる。

しかし1579年(天正7年)8月織田信長に丹波平定を命ぜられた明智光秀は横山城を攻め落とし、城主の塩見信房は自害し果て、塩見氏の福知山統治は終焉することになる。光秀は褒章として丹波の国を与えられ、同時にこの城を城代に命じて大改修を行った。光秀はこの改修後の城を「福智山城」と改め、ここに福知山の地名が誕生する。更に光秀はそれまでたびたび氾濫を起こしていた由良川の流れを改善し、度重なる洪水によって疲弊していた農民に対し地子銭を免除するなど善政を敷き、城下町としての基礎を築いたのであった。

そのわずか3年後の1582年6月に光秀は本能寺の変を起こし一時天下人になるも、山崎の戦いにおいて羽柴秀吉に敗れ落命し、明智氏は滅亡する。福知山を含む丹波一体は秀吉の支配下に置かれ、秀吉の家臣の小野木重勝(小野木重次、小野木重勝ともいう)や杉原家次らが、秀吉の命により福智山城城主となり統治するようになる。 重勝は秀吉の没後、徳川家康石田三成とが対立すると三成に味方し、1600年(慶長5年)には家康方の細川幽斎が守る田辺城を攻め落城させたが(田辺城の戦い)、関ヶ原の戦いにおいて三成が敗れたことにより逃亡、細川忠興に追い討ちをかけられ自害した。

[編集] 江戸時代

福知山藩も参照

関ヶ原の戦いにおいて徳川家からその功績を認められた有馬豊氏は、横須賀藩から石高を増やしたうえで福知山へと国替を命ぜられた。有馬豊氏検地を行い、今でもその名残を残す近代的な町割りを行い城下町を築き上げた。こうして福知山市の前身である石高六万石の福知山藩が立藩されたのである。

その後有馬豊氏は更に大坂の陣においてもその功績を認められ、久留米藩へと国替を命ぜられこの地を去り替わって小堀政一伏見奉行などによって統治されるようになるが、以降この地を統治していた領主は国替えや改易によってたびたび交代がなされるようになった。その間1649年(慶安2年)に福知山藩に入った松平忠房が行った検地は、地租改正が行われるまで福知山の土地制度の基準となったためこれを松平検地と呼ばれる。

1669年(寛文9年)に朽木稙昌が藩政を務めるようになって以後、十三代にわたって朽木氏が藩政を務める様になり、藩主が五代目朽木玄綱になると地名を「福智山」から「福知山」に改め、「明智光秀の治水によって水害から救われ、城下町として栄えたのは彼のおかげである」という住民の連署によって御霊神社に光秀の合祀を許したのであった。

一方でこのときの福知山藩の財政状態は、朽木家二代目朽木稙元を始めとして苦しいもので、その建て直しをはかってたびたび財政改革を行おうとするものの、たびたび百姓による強訴が起きるなど失敗に終わってしまうのであった。強訴においては特に享保の大飢饉を発端とするものと、1860年に起きたものは大規模なものであった。

[編集] 明治時代

廃藩置県により1871年(明治4年)7月14日福知山藩は撤廃となり福知山県となる。その後豊岡県に統合、分割を経て町村制施行により福知山町が誕生する。

このとき日本日露戦争を控え、京阪神と日本有数の軍港である舞鶴港をつなぐ交通網の普及が急がれたことから、福知山はその中継地点として福知山線山陰本線の敷設が行われた。同時に旧陸軍歩兵第20連隊は、このときから現在の福知山駐屯地に駐屯するようになる。

このとき但馬(丹波)牛の集散地としてや、以前から行われていた由良川河畔での桑の栽培が盛んに行なわれようになり軍需産業としても養蚕業が栄え繊維関係での中核地として栄えるようになる。

[編集] 昭和

昭和に入ってまもなく福知山の養蚕業は全盛期を迎える。更に福知山町は庵我村・雀部村・下豊富村を編入し、人口が約3万2千人の福知山市が誕生する。このとき福知山市章も制定され、後に福知山市史上初の名誉市民となる福知山出身の芦田均内閣総理大臣に就任する。

しかし時代が進み第二次世界大戦が終わり日本高度経済成長を迎えると、上記の養蚕業や藍染めなどの文化はほぼ完全に衰退していった。1974年(昭和49年)に長田野工業団地の整備が始まるようになると、福知山の産業は工業化の兆しを見せるようになる。

[編集] 平成以降

それまで福知山市内を走る鉄道は、南北に分断するように走っており市内の交通を阻害するものであった。そこで総事業費約350億円をかけて福知山駅の高架化が行われる。また平成の大合併と呼ばれる市町村合併ブームに乗って、周辺自治体であった三和町大江町夜久野町と市町村合併を行った。これにより人口は再び8万人台となり、数の上では一時期抜かれていた八幡市を再び抜き、城陽市とほぼ同数である(2007年現在、厳密には城陽市の方がわずかに人口が多い)。

[編集] 地理

市域は旧丹波国天田郡を中心とし何鹿郡(佐賀村の一部)と丹後国与謝郡(雲原村)と加佐郡(大江町)に広がり、市域面積の76%は林野が占め耕地面積は7%程度で[5]、綾部市から続く福知山盆地を中心とした平地、それをとり囲む市域面積の大部分を占める山地で構成される。

大阪市からは約70km、京都市神戸市からは約60km、豊岡市舞鶴市から約30kmの場所に位置する[3]。市内最高海抜三岳山の839.17mにまで及び、最低海抜は7.11mである。市街地は旧城下町を中心とし、由良川沿いに長田野工業団地周辺の住宅地まで伸びる。

[編集] 主な山川

[編集] 隣接する自治体

[編集] 姉妹提携都市

日本国内
当時の福知山藩主であった松平忠房が、1669年(寛文9年)の国替えによって島原藩(現在の島原市)に移り住んだのがきっかけとなり姉妹都市となった[6]
日本国外
  • なし

[編集] 地名の由来

福知山という地名は明智光秀の城改修の際に名付けられた「福智山」に由来する。和泉式部の歌「丹波なる 吹風(ふくち)の山の もみじ葉は 散らぬ先より 散るかとぞおもう」から取り、これに明智の「智」の字を当てたという説や、或いは富士山由来の名(別名)によるとの説も存在する。福智山の「智」は1728年(享保13年)に朽木氏によって「知」の字に改められた[7]

[編集] 街区

旧福知山市内には地名(字・小字)、自治会名、通称など複数の街区名が存在し、なおかつ自治会名は必ずしも別名称の街区の範囲と一致しないため非常に複雑である。(例:自治会名「岩井新町」の街区は字「岩井」と「荒河」にまたがる。通称「かしの木台」で呼ばれる地域には「岩井新町」「荒河」が含まれ、その組合わせ名で住所が表記されることがあり、更に自治会名「かしの木台○丁目」も存在する。など多数) これは、昭和期に入り旧城下町周辺に急激に新市街地が広がったのに対し、それらの字名を整理しないまま街区名や自治会名をつけていった結果である。(例:「字天田小字木村」には、通称「末広町1丁目」の街区があり、自治会名「南本町」で呼ばれる住所がある) このため7桁郵便番号は自治会名の街区で分類されふられているが、自治会名を用いない住所で検索すると該当するものを探すことができないという不便が生じている。

かつての福知山は川を利用した水運による流通が盛んで、由良川沿いには港を意味する「津」が付く「天津、高津江、常津」などの地名が数多く存在する。同じく「和久市」は川沿いにあり、水運によりこの付近に市場が出来たことの名残である[8][9]

[編集] 気候

基本的に日本海側気候であり旧三和町を除いて豪雪地帯である。旧丹後地域(雲原・大江)を除く盆地においては“やまかげ”となり、丹後地方に比較して量は少なめである(平地でも年間4~5日は30cm程度の積雪がみられる[要出典])。また盆地地形により秋と冬にはが発生する。特に冬期の早朝の山間部では霧が濃く路面の凍結も見られる。晴天時の午前中の霧、冬季の雪雲によって日照時間が少なくなることから、文字通り「山陰」の暗いイメージを拭い切れない。

平地(福知山地域気象観測所)の平均気温は14度程度、年間降水量は1500ミリ程度で年間日照時間は1400時間程度である[10]。降水量の季節分布としては旧丹後地域では降雪を中心に冬季雨量が多いが、以南では梅雨・台風により夏季雨量のほうが多くなる傾向がある[11]

[編集] 地史

[編集] 福知山盆地内

盆地内を中心に少量で限られた地域ではあるが、淡水に住む貝の貝殻の化石が出土している。貝殻の種類に加えその分布などから、2~30万年前の氷河期には福知山盆地内全てが湖あるいは沼の底であったと考えられている。この湖(沼)は福知山湖と呼ばれる[12]。また、各河川流域の調査から、かつて由良川は土師川(竹田川)を介して加古川につながり南下していたと考えられる。これらから、地形の沈降により南下の流れが止まったことで盆地一帯は湖沼を形成、さらなる変化により日本海側への流路ができると湖沼の水位は下がりやがて消滅、現在の市内を流れる由良川、土師川、牧川などに変化していった、という経緯が考えられている。盆地内の河川勾配が非常に緩く、出口付近がボトルネックとなって大雨時に停滞し度々洪水を引き起こす(参照)というのは、こういう形成履歴を持つためであろうと考えられる。また、これらの名残としては、由良川上流域に当たる船井郡京丹波町安栖里(あせり)周辺の4段にもなる大規模な河岸段丘の存在、市内の長田野(おさだの)の高位段丘面を持つ洪積台地の存在などがある[11]

また羽合の丘陵地や長田野台地には、福知山層とよばれる(れき)で構成される地層を見ることができる。その名のとおり福知山を特徴付ける地層であり、近畿地方の山間盆地埋積層を特徴づける学術上価値を持つ。しかし宅地開発が進む中、この地層の存在は危うくなっており京都府レッドデータブックに登録されている[13]

[編集] 福知山盆地外

一方、福知山盆地外にあたる夜久野町額田(ぬかた)からは約2億2千万年前の新種のアンモナイト化石が出土している[13]。出土した地名にちなんで「ヤクノセラス・ヌカタエンゼ」と名付けられた[14]。アンモナイトは本来海底に生息する生物であることから、かつての海底が隆起したものと考えることが出来るが、詳しい地形形成履歴は分かっていない。 また市内夜久野町小倉に所在する田倉山は夜久野高原を形成した京都府下唯一の火山であるが、そのふもとには柱状節理の玄武岩を見ることができる[13]

この地ではかつてさまざまな鉱物が産出されており、特に大江山は金属鉱脈が多く河守鉱山では鉱・黄銅鉱硫化鉱クロム鉄鉱鉱が、また仏性寺鉱山ではモリブデン(水鉛)が採掘された。また上川口地区の富国鉱山は国内有数のビスマス鉱山であった。(なお大江山ニッケル鉱山は、与謝野町域にあたる。)このほか現在廃坑となっているいずれの鉱山も、京都府レッドデータブックに登録[13]されており、坑道の整備、保存の必要性が叫ばれている。

[編集] 福知山と由良川

由良川

かつての由良川の流れは現在の福知山駅周辺にまで流れており[15]、また大雨が降るたび氾濫を起こし周辺の人々や建物に加え農作物などに深刻な被害をもたらす暴れ川であった。

明智光秀が福知山を統治するようになると、光秀は後に城下町ともなる城に連なる居住地造営と治水のため、長さ1kmにも及ぶ築堤により川筋を大幅に変更した[16]ことにより由良川の流れは大幅に改善されたが、それでも洪水は収まらずその後の為政者も治水に尽力を惜しまなかった。彼の築堤の名残として「明智藪」と呼ばれる堤防保護のための藪を今もなお見ることができ、現在もなお行われている堤防築造や国土交通省などによる水位の監視などは彼に始まるものである。

例えば1896年(明治29年)と1907年(明治40年)に起きた大雨による氾濫は、両者とも同じ堤防が決壊したことにより市街地は2階まで床上浸水し、水が引くまでは屋根の上で生活し移動も船でという状況だった。後者は前者と比べて教訓が生かされたこともあって被害が少なかった[15]ものの、どちらも市街地はほぼ壊滅状態にまで追いやられた。同時に由良川に架かる橋であった音無瀬橋も2度流され、その費用補填のために大人4厘、子供2厘、牛馬は5厘という通行料を徴収したほどでもあった[17]。加えて1953年(昭和28年)9月25日台風13号を起因とする由良川の氾濫は、最高水位が7.8mにもなる大量の水が福知山市街地全域を水浸しにし、市内で死者は約40名、負傷者は約900名、家屋全壊、半壊ともに1100戸以上、床上浸水においては5300戸以上もの被害をもたらした[18][16]。この台風のときの被害は地元では28水28災とも)として知られ、このときの水位は福知山と水害を伝える資料として市内御霊公園にはそれを示す標識が設置されている。

その恐ろしさや先人の築いた堤防のありがたさを後世に伝えるため、御霊神社境内には全国唯一の堤防そのものを御神体とする堤防神社が建立されており、1931年(昭和6年)以降の毎年8月15日には、神輿が市内を巡回する「堤防祭り」が行われている[16]。現在の「ドッコイセ花火大会」は、もともとはその祭りの行事の一つとして始まったものである。また旧市街地の町屋には、浸水時に家財を2階や小屋裏に引き上げる滑車を備えた「タカ」と呼ばれるこの地独特の吹抜けが残されている。他にも尾藤橋、三河橋などに代表される沈下橋の存在や、福知山市治水記念館などでも、当時をかたるさまざまな資料が残されており、水害と共に生きてきた市民の歴史を知ることができる。「タカ」も体験ができる。

しかし由良川は国土交通大臣が国民経済上特に重要な河川などに対して指定する一級水系に指定されているとおり、市内に供給される浄水場の原水や農業用水としては勿論のこと、今では市民の手によるの稚魚の放流[19][20]といったイベントが開かれるなど、市民の生活には欠くことのできない川である。

[編集] 町並み

[編集] 旧市街地

旧市街地でもある福知山の城下町は、明智光秀地子銭と呼ばれる土地税を免除したことなどから、早くから商工業が栄えた。江戸時代になると有馬豊氏によって城下町としての町割りが整備されたが、現在でも呉服町、鋳物師町、鍛冶町紺屋町などはそのままの地名として残されており、旧市街地は江戸時代の町割りが殆どそのまま残っている。ただ、寺町には文字通り多数の寺が所在するが、現在ではその地名に呉服屋や染物屋を構える店はなくなっている。(新市街地の問屋町や厚中問屋町は1975年(昭和50年)に行われた区画整理で新しくできた地名であるが、こちらは文字通り多数の卸売業者が軒を連ねている。)

前述の町屋や、大正から昭和初期にかけては木造3階建ての料亭旅館が多数建設され[21]、老朽化や都市計画による道路拡張などにより、城下町の風情でもあった珍しい木造建築は姿を消そうとしている現状もある。かつては複数の商店街で賑わった「商業のまち」の趣も、全国の例に漏れずシャッター通りと化しており現在ではほぼ居住地域となっている。しかしなおも本社や本店事務所を旧市街地に置く事業所も多く、多数の「社長が住まうまち」ではある。

中心市街地と呼ばれる区域には、これら旧城下町の西に広がる福知山駅を中心とする新市街地エリアがある。駅前には地元企業による都市型大型店が立ち上げられ、高度成長期には賑わいを見せた。その後も複数の区画整理地には新規事業所が建ち並び、現在の市街地を形成していった。旧来の商業地は近年の国道沿いの郊外型大型店やロードサイド店舗に押された形となったが、北近畿の都をキャッチフレーズに駅の高架化や未開発の駅南を含む駅周辺の整備を進めることで、中心市街地活性化につなげようとしている。しかしながら、旧城下町の活性化を含め依然として難題を抱えている。

[編集] 郊外

周辺部には、郊外型ショッピングセンターのジャスコプラントなどを擁した開発地や、旧町の集落が見られるが、大部分は多数の田畑が広がる。地形的には山地が多く、クマ[22]だけでなく、シカイノシシなどの多数の野生動物が生息している。福知山の特産品である丹波栗などを含む農作物が狙われ、年度によって深刻な被害を農家へもたらすこともあり、檻の共同オーナーを募集するNPO法人も存在する。[23]

[編集] 軍事

[編集] 旧日本軍

現在の陸上自衛隊第7普通科連隊が駐屯する福知山駐屯地には、かつては旧陸軍歩兵第20連隊の駐屯地があった。福知山線山陰本線は、国内有数の軍港である舞鶴港京阪神をつなぐ鉄道として軍事的理由によって整備促進されたという側面もあり、その中継地点である福知山は軍事都市としても栄えたといえる。

太平洋戦争末期には旧日本軍海軍の「石原飛行場」と呼ばれる航空基地も存在しており、その滑走路は現在の中丹広域農道沿いに市内前田から石原をまたぎ戸田にまで伸び、長さはおよそ1700メートルにもおよんでいた[24]。しかし戦争が終わると地元の農民が自力でその滑走路のコンクリートを剥がし農地に復興させたため、今ではその姿を見ることは出来ないが周辺には物資格納倉庫に加え、敵機を撃墜させるための高射砲も存在し[24]、米軍の機銃掃射の攻撃対象にもなっていた。全体計画の完成には至らず、主に練習場の用途であったが、もう少し戦争が長引いていれば福知山市も空襲の対象になっていたのではないかともいわれるほど、当時の軍事拠点でもあった。

[編集] 自衛隊

第二次世界大戦が終わった後でも、福知山は京阪神舞鶴港をつなぐ軍事的中継地点としての役割を受け継いでいる。上記のとおり福知山市には福知山駐屯地が存在し、第7普通科連隊が駐屯する。また近傍演習場も備えており京都府を警備担任区域としている。

自衛隊は市内の年中行事の開催の協力、災害時の救助などにおいての役割は重要である。例えば2004年台風災害の救助活動や、福知山マラソン支援、「姫髪山の送り火」も大文字山として整地できたのは自衛隊の協力があったからこそである。

[編集] 経済

[編集] 産業

産業人口
  • 第一次産業:約 2,000
  • 第二次産業:約12,000
  • 第三次産業:約21,000
主な産業
  • 卸売業、小売業、製造業、建設業

[編集] 主な企業

北近畿の各市や舞鶴港京阪神双方へのアクセスが良く、経営の三要素の「人、物、金」のうち「人」と「物」の移動が容易である。このため、この福知山を拠点と捉えて支店や営業所を置く企業も多い。市内に所在する日本有数の内陸型工業団地の長田野工業団地や、アネックス京都三和(愛称:エコートピア京都三和)工業団地には東証ならびに大証や、ジャスダックなどに株式上場している多数の企業またはその子会社が拠点を置いており、それが与える地元の雇用の影響は大きい。

[編集] 本社

非上場企業
痔の薬として知られるボラギノールを製造する企業で、営業拠点として大阪市中央区にも本社を持つ。製品の全ては長田野工業団地の工場で生産される。武田薬品のグループ企業として、その子会社である武田ヘルスケアと提携している。
1666年(寛文6年)創業の北近畿を代表する小売業業者。地域に根付いたスーパーマーケット業を主力とする。全店舗数は45にも登り、ホームセンター、衣料専門店、飲食業だけでなく、更には保険旅行宅配の代行業務などの幅広い事業を展開する。
眼鏡販売の老舗企業。会社は小規模ながらも、1894年(明治27年)創業の歴史を持つ。
スーパーマーケット事業を展開する企業。特徴ある販売方法、エコリサイクル方法で、テレビ番組(ムーブ!サンデーモーニングなど)の特集でもよく取り上げられる。なかでも自社考案のエコリサイクル方法は画期的で、まず、自社が広大な過疎の農地を買い取り、そこで大農場を経営。そこで出来た農作物を自社ブランドとして店頭で並べ販売。売れ残った商品は、自社の肥料生成工場へ持ち込み、栄養度の高い土を生成。できあがった土は、また自社の大農場で使用するという循環型のしくみ。新しいスーパーマーケットのかたちとして、全国から視察が止まない。
京都府などが出資する第三セクターの鉄道会社。宮津線宮福線を管理する企業である。
福知山市域の話題を扱う地方紙。夕刊のみ発行される。
愛称「FM-CASTLE」。コミュニティ放送局。

[編集] 支社

上場企業
旧国鉄時代の福知山鉄道管理局の流れを汲む支社。福知山線新三田駅以北と山陰本線園部駅居組駅舞鶴線播但線を管轄している。
三菱電機を取り扱う大証2部上場の商社。福知山の支社は畿北支店と名づけられており、その名の通り北近畿一帯をカバーしている。

[編集] 工場

福知山に所在する工場のほとんどが長田野工業団地に集中しており、数多くの企業が立地する。

上場企業
物の耐久テストを行うための、環境試験機とよばれる機械を生産する大手メーカー。アジアを中心とする経営基盤を持ち、環境試験機の国内シェアは約60%という高水準の占有率を誇る。日本国内に供給される全ての環境試験機はここで生産される。
パッキンなどの液体の漏れを防ぐ「シール」を生産する大手企業。工業用においての金属シールのシェアは首位で、シール業界全体で見ても4番目の規模を持つ。福知山市以外にも兵庫県三田市熊本県合志市に大規模な工場を持つ企業である。
東証及び大証1部上場の電線及びケーブルを主力製品とする企業。日本国内には工場が福知山市にしか存在せず、製品の全てがここで生産されている。
ジャスダック上場のリンゴ酸クエン酸などを生産する国内有数の化学薬品メーカー。日本国内には工場が福知山市にしか存在せず、製品の全てがここで生産されている。
大証2部上場の大手炭素製品メーカー。長田野工業団地内最大の土地を所有し、京都府下で最も消費電力が大きい企業でもある。アルミニウム製錬用黒鉛電極の世界シェアは約45%で、主力製品の全てはここで生産される。
maxellブランドで知られるDVDCDなどを制作する大手記録メディアメーカーで、日立製作所の子会社でもある。福知山の工場は主に磁気テープなどを中心に製作する主力工場となっている。
非上場企業
電線メーカー。船舶用向け電線シェア約70%。
溶接用ワイヤを製造及び販売を行う神戸製鋼の子会社。
松下電器産業の子会社。エレクトロニックフラッシュなどのOEM供給を主な事業内容とし、これらはニコンライカなどに供給される。福知山の工場ではエレクトロニックフラッシュも含め、白熱電球蛍光灯