中華人民共和国の経済 - Wikipedia

中華人民共和国の経済

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中華人民共和国の経済
会計年度 1月1日 - 12月31日
貿易機関 WTO, APEC
経済統計
GDP (2006年、名目)[1] 2兆5180億ドル(第4位)
GDP (2006年推定、PPP) 約6兆1020億ドル[2] (第2位)
一人当たりGDP(2006年、名目) 2034ドル(第105位)
一人当たりGDP(2006年推定、PPP)[1] 約4680ドル(第80位以下)
GDP成長率(2006年)[1] 10.7%
部門別GDP(2005年)[3] 農業(12.6%)、工業(47.5%)、サービス業(39.9%)
インフレ率(2006年推定)[1] 1.5%
家計収入あるいは消費における最上位/最下位パーセンタイルの割合(2004年)[1] 最下位10%パーセンタイル: 1.8%、最上位10%パーセンタイル: 33.1%
貧困線未満の人口(2004年)[1] 10%
労働人口 (2005年)[4] 7億7877万人
部門別労働人口(2005年)[4] 農業44.8%、工業23.8%、サービス業 31.4%
失業率(2006年推定)[1] 4.2%
貿易相手国[1]
輸出 9740億ドル(FOB)(2006年推定)
主要相手国(2005年) アメリカ合衆国 21.4%、香港 16.3%、日本 11%、大韓民国 4.6%、ドイツ 4.3%
輸入 7779億ドル(FOB)(2006年推定)
主要相手国(2005年) 日本 15.2%、 大韓民国 11.6%、 台湾 11.2%、 アメリカ合衆国 7.4%、 ドイツ 4.6%
財政状況
国庫借入金 GDPの22.1%(2006年推定)[1]
海外債務(2006年) 3056億ドル
外貨準備(2007年3月現在) 1兆2020億ドル
歳入 (2006年)[1] 4466億ドル
歳出 (2006年)[1] 4896億ドル
経済援助(ODA)

中華人民共和国の経済(ちゅうかじんみんきょうわこくのけいざい)は、名目GDP換算で世界で4番目に大きく、2006年の名目GDPは2.68兆USドル[5]と大きいが一人当たり名目GDPに換算すると約2000USドル(購買力平価による換算では4560USドル)となり、世界水準ではまだ低い(2005年では、183か国中110位)。しかし、中華人民共和国の経済は急速に成長を続けている。2005年、中国のGDPの70%は民間部門が占めており、公有部門は公益事業、重化学工業、資源・エネルギーといった約200の大規模な国有企業によって支配されている[6]

1978年12月の第11期三中全会改革開放路線を採用して以降、中国政府は計画経済から市場指向型の経済への改革を続けてきている。この経済体制は「中国の特色を持った社会主義市場経済(en/zh)」と呼ばれており、中華人民共和国の経済体制は資本主義社会主義の混合経済である。

1978年来の経済改革の結果、数億の中国人民が貧困線から脱出することに成功した。1981年には人口の53%が貧困線以下だったが、2001年には8%にまでに減少した[7] 。 中国政府は農業をかつての人民公社から生産責任制zh)に変更し、産業における地方政府の権限を増やし、サービス業や軽工業における様々な小規模企業(郷鎮企業)を許可し、外国との貿易や投資を増やす為に経済を開放した。政府は個人の収入及び消費の増加や、生産性向上を助ける為の新しい管理制度の導入を強調した。中国政府の統計の正確さに対して議論する点は残っているが、中華人民共和国の経済は1978年の10倍にまで成長した。

目次

[編集] 歴史

1978年以前についての詳細は中華人民共和国の経済史を参照。

[編集] 改革開放以前

出典:世界銀行、中国のGDP。世界銀行の最新公式データによると、2005年のGDPは2兆2248億USドル。
建国宣言を朗読する毛沢東

1949年国共内戦が終了し、中華人民共和国が建国されると、中国政府は重化学工業発展戦略を採用した。急速な産業化を最優先としている間、消費は減らされた。中国政府は経済の多くの部分を統制し、資源を建物や新しい工場の建設に振り分け、新しい産業が生み出された。より重要なことは経済成長を後押ししたことであった。予算とマネーサプライの厳しい制限により1950年末にはインフレが抑制された。 また、建国から間もない1950年6月30日、中華人民共和国土地改革法が公布された。政府からの指導と農民たちの地主に対する自主的な闘争も相俟って、「1952年春には土地改革は既に全国的に範囲にわたって基本的に完成した」と宣言された。自分で耕す田畑をもつことにより、農民の生産意欲は向上し、1952年の農産品の約半数の項目で1949年以前の最高を突破した[8]

こうして、日中戦争、国共内戦による経済のダメージから中国の経済は回復していった。

1952年の中国の工業生産高は当時の価格換算で349億元と推定されている[9]。それは当時の世界のGDPの約3%を占め、日本やインドのGDPの1.5倍であった(しかし、一人当たりGDPではない)。一人当たりGDPも1960年代はわずか17%しか成長しなかった [10]

その後、第1次五カ年計画(1953 - 1957年)でソビエト連邦型の計画経済を模倣し、重化学工業への投資を行い、経済成長を達成した[要出典]

毛沢東は1958年に当時世界2位の経済大国であるイギリスを追い抜くために野心的な計画の遂行を指示した。農業の集団化(人民公社)を行い、農民を大量に動員して鉄鋼の増産が行われたが、鉄鋼生産に伴う環境破壊は農業生産量の減少を引き起こし、最終的には数千万人の餓死者を生み出し失敗に終わった(大躍進政策)。

大躍進政策の失敗により、毛沢東は一旦、権力者の地位を降り、劉少奇鄧小平らが、経済調整を行った。農村の集団化の見直しを図り、農家にわずかではあるが自由に耕作できる農地を与え、農業生産のインセンティブを付与した。

しかし、毛沢東が文化大革命を発動、復権すると、劉少奇・鄧小平らは失脚した。この間、知識青年が都市から農村に学習の為に下放されたり、毛沢東謁見の為に紅衛兵を輸送したりしたことにより経済活動は停滞した。

[編集] 改革開放以降

[編集] 第11期三中全会から1980年代

鄧小平

1976年毛沢東が病没し、四人組が逮捕されると鄧小平は権力を奪取した。そして、1978年の第11期三中全会で、改革開放路線が採用され、従来のソビエト連邦型の計画経済は否定され、市場指向型の経済に大きく舵を切った。

1980年代になると、中国政府は中央集権の計画経済とインフレ失業財政赤字無しに生産性、生活水準、技術水準を増大させる為の市場指向型の経済を組み合わせようとした。中国政府は人民公社を解体し、農民に、農作の決定権を与えるという生産責任制を採用する農業改革を実行した。また、農村にある郷鎮企業といった非農業活動を勧め、より自発的な国有企業の経営を推奨し(従来は中央の管理下にあった)、市場競争を強め、中国大陸と外国企業との直接の接触を促進した。その上、中国政府は改革開放以前の時よりも、外資や輸入に依存した。

中国の最高指導者である鄧小平は1984年6月30日、次のことを言った。

「社会主義とは何か? そしてマルクス主義とは何か? 我々は過去、このことについてあまりはっきりとさせてこなかった。マルクス主義は生産力を増加させることをことさら強調した。我々が言ってきたことは社会主義は共産主義の第一段階であること、そして、発展段階では能力によることから必要性によることにいたるまでの原則があてまはるということである。その原則は高度に発達した生産力と物質的豊かさを要求しいる。それゆえ社会主義の段階への基本的な課題は生産力を増加させることである。資本主義体制下での生産力よりも早く、大きく社会主義体制下での生産力が増加することによって、社会主義体制における優越性が示される。生産力が増加するにつれ、人民の物質的・文化的生活は絶えず発展する。中華人民共和国建国後の我々の欠点は生産力を増加させることに気づかなかったのである。社会主義は貧困を根絶することを意味する。平等主義は社会主義でなく、いわんや共産主義でもない[11]。」
中華人民共和国の経済特区

そして、1984年、4つの経済特区(北から厦門汕頭深圳珠海)と14の対外開放都市(大連秦皇島天津煙台青島連雲港南通上海寧波温州福州広州湛江北海)を設置し、外資を呼び込んだ(その後、海南省が経済特区に指定された)。

1980年代の間、経済改革により農業及び工業生産高が毎年約10%で成長した。農村の実質所得は2倍になった。とりわけ香港周辺の沿岸部である広東省や台湾の対岸にある福建省では、外国資本が国内向け及び輸出向けの製品の生産増加に拍車がかかり、工業生産高が飛躍的に伸びた[要出典]。中国は穀物を自給できるようになった。農村工業は農業の生産高の23%を占め[要出典]、農村における過剰労働力の吸収に役立った。様々な軽工業の品々や消費財が増加した。経済改革は、財政面、金融面、物価の安定、労働市場の面で始まった。

経済成長の暗黒面として、中国は社会主義の最悪の結果(官僚主義汚職財産権の侵害)と資本主義の最悪の結果(貧富の格差、急激なインフレ)に直面することになった。中国政府は定期的に中央集権による引き締めと緩和の政策を行った。1988年の終わりには、価格改革の急速な進展によってもたらされたインフレ[12]への対応として、緊縮財政を実行した。

[編集] 1990年代から現在

1989年六四天安門事件による民主化運動の弾圧によって一旦経済の停滞を示したが[13]、1990年代初期に、中国経済は回復した。1992年春節の時期に鄧小平は、中国の南方を訪問した(南巡講話)。1992年末の第14回中国共産党全国代表大会で鄧小平は中国政府の責務は1990年代に「社会主義市場経済」を構築することだと述べ、市場改革を改めて推進した。南巡講話は1990年代の10年間の経済発展計画のお墨付きとして、政治体制は中国共産党の支配の継続及び経済体制の大幅な変革が推進された。

1993年、経済成長とインフレが加速した。中国国外からの投資が浸透し、外資の進出が容易になったことにより経済は拡大した。中国政府は市場指向型の経済制度を構築するのに一層役立てること、また、金融システムを中央でコントロールすることを強化することを狙い、長期間の改革を承認した。社会主義市場経済の名の下に国有企業が主要産業を支配することを継続した。中国政府は投機的な融資に対し回収に動き、利子率を上げ投資計画の見直しを行った。結果、インフレ率は1995年の17%から、1996年はじめには8%にまで落ち着いた[14]。1990年代後半にはアジア通貨危機の影響により経済成長は鈍化したが、21世紀には経済成長が加速した[15]

2005年におけるGDP比較。緑はドイツ、赤はイタリア、紫はフランス、水色はイギリス、橙色が中国。単位は億ドル

2005年12月、中華人民共和国国家統計局は、2004年の中国の名目GDPを16.8%上方修正した2兆3363億元(2819億ドル)[16]であり、イタリアを追い抜き世界第6位の経済規模であると発表した。2006年初め、中国政府はUSドル為替換算レートで計算しなおした場合、第4位であり、イギリス、フランスを追い抜いたと発表した。2007年初め、購買力平価ベースでは中国の経済規模は世界2位の約10兆ドルに達した。但し、購買力平価による計算はかなりラフなものであり、中国のような巨大な国家では上海四川省の間では購買力平価にかなりの開きがある点は留意する必要がある。

2008年末には、中国は為替換算レートベースではドイツを追い抜き、第3位になると予測され、2020年までには日本を追い抜くと予想されている[17]。また、John Bryan Starrによると2040年までにはアメリカ合衆国を追い抜くとしている[18]

[編集] 一人当たりGDP 他の国との比較

中国の急激な経済成長にもかかわらず、一人当たりGDPの成長は他の国に先を越されている。1999年から2006年までロシアの一人当たり名目GDPは1334ドルから6879ドルまでに5.16倍成長したのに対し、中国のそれは、870ドルから2000ドルと2.29倍に過ぎない[19]ベトナムは1999年から2006年の間にドル換算で一人当たり名目GDPで3倍の成長を遂げた。

中国の一人当たり経済成長が鈍化している主な理由は過剰な労働力人口であり、それによりインフレを抑制し、人民元の増価を拒絶している。但し人民元の増価を拒絶することにより、経済成長が進展してきたことは否めないがそれが為に、歪みを起こしている。

中国共産党中央委員会2006年から2010年までの第11次五カ年計画において、2010年までに、GDP1単位当たりエネルギー消費量を20%削減すること並びに45%のGDP成長を要求した[1]

[編集] 中国経済の課題

[編集] 民事法体制の不備

財産権(動産・不動産等)の法的保護が十分だとは考えられていない。また公民・法人の財産権の保護が政策レベルに依存しがちで司法過程による規範的保護が保証されているとはいえない「依るべき法がない(無法可依)」問題を抱える。[20]

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 広がる経済格差

詳細は民工流動人口中華人民共和国の戸籍制度三農問題をそれぞれ参照

2005年の1人あたり地区GDP(単位、元)[21]
西部 中部 東部 東北
内蒙古 16,331 山西 12,495 北京 45,444 遼寧 18,983
広西 8,788 河南 11,346 天津 35,783 吉林 13,348
重慶 10,982 江西 9,440 河北 14,782 黒竜江 14,434
四川 9,060 安徽 8,675 山東 20,096
貴州 5,052 湖北 11,431 上海 51,474
雲南 7,835 湖南 10,426 江蘇 24,560
西蔵 9,114 浙江 27,703
陝西 9,899 福建 18,646
甘粛 7,477 広東 24,435
青海 10,045 海南 10,871
寧夏 10,239
新疆 13,108
地区別GDP合計(上段、単位:億元、%)[22]、人口(下段、単位:万人、%)[23]及び構成比
西部 中部 東部 東北
GDP合計
及び構成比
33,493
(16.9%)
GDP合計
及び構成比
37,230
(18.8%)
GDP合計
及び構成比
109,925
(55.6%)
GDP合計
及び構成比
17,141
(8.7%)
人口合計
及び構成比
35,976
(28.0%)
人口合計
及び構成比
35,202
(27.4%)
人口合計
及び構成比
46,388
(36.1%)
人口合計
及び構成比
10,757
(8.4%)

1995年から1999年の間、中央銀行による金融引き締めならびに食糧価格の上昇を防いだことを反映し、インフレは収束した。同時に中国政府は(a)省、企業、個人から歳入を増やすこと、(b)腐敗及び経済犯罪の減少を減らすこと、(c)経済成長しているにもかかわらず、経営改革が進まないことにより労働者に十分に賃金や年金が払えず倒産しかねない多くの大規模の国有企業を破綻させないことに努めてきた。

改革開放以降、農業生産額が増加し、農家所得も徐々に向上してはいるが、沿海都市での急速な工業発展や住民の所得増加には追いつけず、都市と農村の格差は拡大している。沿岸部(東)と内陸部(西)間の経済格差--例えば2005年において上海と貴州省の1人あたり収入は表を見ても分かるように約10倍と拡大している--、農村‐都市間の経済格差--2005年には都市住民の一人当たり賃金は10,493元なのに対し、農村の一人当たり純収入は3,255元に過ぎず、その格差は都市:農村=3.22:1となっている[24]。経済格差のため、農村から都市部へ多くの労働者が豊かさを求め出稼ぎし、低賃金の日雇いの仕事に従事している。農村から都市への人口移動は合法的に、あるいは水面下で続き、農村は労働力の確保に苦慮している。

地域間経済格差を是正する為、西部大開発が実施されている。また、中国政府は農業保護に重点を置き始め、2006年からは農業税の全廃を実施した。これは春秋時代以来、中国の農民に課されてきた地税が約2600年ぶりに撤廃された歴史的決定で、中国は封建体制から毛沢東主義まで前提となっていた農業中心社会から改革開放政策による商工業中心の社会へと移行した事を象徴する出来事になった。ただし、地方政府の腐敗などで農民の不満は増大し、全国各地での暴動の発生が伝えられている。

[編集] 過熱する中国経済

中国経済の他の重要な課題は、過去10年の急速な経済成長による経済の過熱とインフレが世界経済に影響を与える恐れがあるということである。中国政府は、インフラが整備されていないため、経済の舵取りがあまり上手くいっていない為、ある特定の地域が経済が過熱気味であることを認めているが、全体的には経済は過熱しているということは否定している。

課税もまた、ある特定部門や特定産業に対し減税をしている中国経済を安定させるための課題である。特定部門や特定産業への減税政策の主な狙いは、都市-農村間の投資の格差を減らし、国有企業が外資との競争に勝つように促す為のものである。

一方、急速な経済成長は環境問題を引き起こしている(中華人民共和国の経済#環境)。

[編集] 労働

[編集] 失業

中国の社会主義経済の顕著な特徴の一つに、労働者全員の雇用及び年金を保証するというのものがあった。改革派は労働市場を非生産的であると標的にした。というのも、企業は頻繁に社会主義者の目標及び雇用の保証を満たす為に過剰に労働者を雇い入れ、労働者が働く意欲を失わせたからである。この社会主義政策は軽蔑的に鉄飯碗zh)と呼ばれた。

1979年から1980年にかけて、中国政府は労働者に賃金を増やすことにより工場の改革を進めたがこれはインフレ率が6~7%と急激に上がってきた為相殺された。換言すれば、労働者に賃金を払えば払うほど、物価が上昇し、貨幣価値が下落し、労働者は物を買う量が少なくなり、より貧しくなった。国家は部分的に賃金への補助を分配することによりこの問題を部分的に改善した。

1979年鉄飯碗を解体した後、20百万人の失業者が発生した[25]

2006年推定での失業率は4.2%[1]になっているが、中国経済の研究者の間では、それ以上との見解が多い。改革開放に伴い、国有企業が外資や民間企業との競争に曝されると、国有企業は一時帰休(レイオフ・下崗)を行い事実上の解雇を行った[26]

[編集] 労働力不足

中国の人口ピラミッド(2006年)。若年層が急激に減っているのが分かる。

2005年、より高い賃金、よりよい職場環境を選ぶことができ、制限のある寮生活から離れることが出来たり、広東省や福建省にある輸出産業が主体の退屈な工場勤務から離れたり出来る労働に対する強い需要があった。

企業が人材を確保する為に先を争って従業員に毎月平均150ドル程度を払った為、最低賃金が1月に100ドルも上がり始めている。厳格な家族計画(一人っ子政策)の結果として、労働力不足は部分的には中国の人口動態(en )に起因している[27]。 ニューヨークタイムズは、人件費は上昇し続け、非熟練労働者の不足により百万人以上の従業員の求人があったと報告した。低賃金の労働に依存した企業経営は、中国内陸部か或いはベトナムやバングラデシュといった国々へ拠点を移し続けることになる。多くの若者が最低賃金の工場で働くよりも大学進学を希望しており、一人っ子政策に起因する人口変動により、若年の内に働き始める人数が減り続けている。また、最近の中国政府の、内陸部の経済発展を進める努力により新たな雇用が創出されている[28]

[編集] 労働法

中国は、労働者への不払いといったありふれた労働問題を解決するための労働法を施行しており、2006年に改正された新しい労働法では、パブリックコメントを求めていた。合法的な労働組合は中華全国総工会zh)--中国共産党が公式に認めている組織である--と提携関係を続けている。労働法の草稿段階では欧米諸国に似た団体交渉権が許可されている。労働運動家は新しい労働法を支援しているが一方で外資企業--欧米企業の支店を含む--は反対している。

とはいっても法律が制定されれば、労働問題の改善があるという予想されており[29]、2006年ウォルマートで労働組合が結成され、その後、イーストマン・コダックDell等の外資企業でも労働組合が結成された[30]。日経新聞によると、孫春蘭・中華全国総工会副主席は記者会見で2008年には外資系企業の労働組合の総組合員数が2億人に達するとのことである[31]。また、この記事では、孫副主席は「いまだに三割の外資が立ち上がっていない。今後一層の普及を図りたい」[31]とコメントしている。

[編集] 農業

出典:FAO 小麦の生産量(1961年~2004年) 縦軸の単位はトン

中国の農業生産高は世界1位である。

主要農作物: 小麦じゃがいもとうもろこしピーナッツ大麦綿花菜種

また、中国の穀物自給率は、100%である。 中国の労働者の半分弱が農業に従事しているが、耕地面積が国土の14%と限られている為、農業の生産性はアメリカ合衆国に比べてかなり低い。限られた農地で穀物を生産しており、米、じゃがいも、とうもろこし、黍、大麦、ピーナッツ、茶、豚肉の生産量は世界1位である。他の非食用の農作物として菜種、綿花などの繊維を生産している。果物や野菜、魚介類、肉類、穀物は香港に輸出されている。

農地の狭小さのために集約型農業を展開しているが、生産量増加の為に穀物貯蔵用倉庫や肥料の使用、科学技術の進展が望まれている。その一方、生産量増加のために利用する農薬などが国際的な安全基準を満たしていないという検査結果が日本などから発表され、低価格を武器に長ネギなどで日本市場での占有率を上げていた中国農業は痛手を受けた(中国製品の安全性問題中国産食品の安全性参照)。

国際連合世界食糧計画によると、2003年において世界で耕作可能な土地のたった7%で中国の人口は世界の20%を養っているということである[32]

遺伝子組み換え食品については、政府が積極的に取り組んでいる。政府の研究費は、2003年で約2億ドル。栽培面積は360万ヘクタールで、世界第6位。主食である米については、中国では水不足が深刻なことから、水が少なくても栽培できる米の開発を目指している。米の認可はまだ下りてないものの試験栽培は行われており、試験栽培された遺伝子組み換え米が欧州や日本の米加工品市場に流れ、問題になったことがある[33]

豚肉は中国経済において重要な地位を占めており、一人当たり1日の豚肉消費量は1/5ポンドである。豚の飼料となっているとうもろこしは、エタノール生産との競合していることより、とうもろこしの値段が世界的に上昇していることと関連し豚肉の値段も上昇している。悪いことに賃金上昇が豚肉の値段の上昇に追い討ちをかけている。学生や都市の貧困層の為に政府は豚肉増産のための補助金を出すと反応した。中国政府による戦略的豚肉準備(strategic pork reserve)が検討されている[34]

[編集] 鉱工業

中国の工業生産高は世界3位である。

主要産業

繊維衣服石炭石油および化学製品セメント機械兵器玩具食品加工物自動車家電製品電話IT

工業生産の成長率

11.7% (2005年)[35]

主要国有企業は、鉄、石炭、機械、軽工業、兵器、繊維である。これらの産業は1979年から1989年までの10年間において、会社経営の改革があまり進まなかった。

一方、電気機械、自動車、石油化学は最近急速な発展を示しており、とりわけ電気機械は中国の主要な輸出品となっており、2005年の中国の輸出高7619億USドルの内、3220億USドルを占めている[36]

[編集] 鉄鋼

中国の粗鋼生産量は世界1位である。経済成長に伴い、家電製品、自動車といった工業製品や不動産、インフラストラクチャーの建設による需要の増加に伴い、1997年の10894万トンから2007年の48966万トンと10年間で5倍近い生産量となった[37]

中国には2007年世界5位の粗鋼生産量を持つ上海宝鋼集団公司[38]、同7位の鞍山鋼鉄集団公司zh[38]、同8位の江蘇沙鋼集団zh[38]、9位の唐山鋼鉄集団[38]、11位の武漢鋼鉄公司zh[38]、18位の馬鞍山鋼鉄[38]等が存在する。

[編集] 電気機器

1978年の鄧小平・松下幸之助の会談[39]を嚆矢として、安価な労働力と10億人を越える巨大市場を狙い、日本の家電メーカー(松下電器産業日立製作所東芝三菱電機ソニーシャープ三洋電機など)や韓国のサムソン電子LG電子等が沿岸部を中心に工場を設立し、中国市場に参入していった。1990年代初めは日本ブランドが市場を席巻したが、後半になると、品質の向上、生産規模の拡大によるコスト削減、現地メーカーのサービス網・販売網の整備、家電製品の製造の垂直分裂により競争力が高まり、ハイアール長虹zh)、TCL集団zh)等といった現地メーカーが台頭してきた[40]

また、情報機器分野では、聯想集団IBMパソコン部門を2004年12月に買収し、世界でのシェアの拡大を図っている。

2007年現在、中国での主要家電製品生産台数は、冷蔵庫4397.1万台、テレビ8433万台、エアコン8014.3万台[41]、パソコン12073.4万台、ファックス888.5万台、携帯電話54857.9万台[42]となり、一大産業に成長している。

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 自動車

[編集] 自動車の生産

2007年時点で、世界第3位の生産をほこる。雇用面では、就業人口の6分の1が自動車及び関連企業で働いている[43]

BMWなど外資系企業が進出しているが、国産企業も多い。ただし、国産企業は零細企業が乱立している。零細企業の乱立は、質の低下や過剰生産を招いているため、政府は業界再編の方針を打ち出している[44]。国産企業の主な輸出先は、アフリカや東南アジアなどの途上国となっている[44]

[編集] 自動車の消費市場

中国国内における市場規模は約880万台。これはアメリカに次ぐ世界第2位の規模である(2007年時点)[45]

中国における販売台数は年々増加しているが、購入の主力層は時代とともに移り変わっている。当初は政府や企業が公用車として自動車を購入し、続いて富裕層が主役となった。その後、経済成長を背景とした所得の増加により、新たな中間層が自動車購入の主役となっている[45]。このため、先進国と違い中国における新車購入者は「初めて車を購入する人が多い(購入者の6 - 7割は初めて車を購入する人)」状況にある[45]

車両別に見ると、小型車は価格競争による消費者の買い控え、利益率の低下が、各企業を苦しめている。一方、中型・大型車は堅調に伸びている[46]

[編集]

2006年時点における生産量は100億足を超え、約8割が輸出されている。生産量は多いが

  • 零細企業が多い
  • 単価が安く、利益率が低い(単価は約250円。利益率は約15%)
    • 単価が安いため、反ダンピングの対象となることが多く、マカオを経由した迂回輸出が行われている

ことが、業界の課題となっている[47]

[編集] エネルギー及び天然資源

エネルギー及び天然資源に関する統計
電気[1]
生産量 2兆5000億kWh(2005年)
消費量 2兆4940億kWh(2005年)
輸出 112億kWh(2005年)
輸入 50億kWh(2005年)
電気生産のエネルギー源
化石燃料 80.2%
水力 18.5%
原子力 1.2%
その他 0.1%
石油[1]
生産高 3,631千バレル/日(2005年)
消費 6,534千バレル/日(2005年)
輸出 443千バレル/日(2005年)
輸入 3,181千バレル/日(2005年)
純輸入 2,900千バレル/日(2005年)
確認埋蔵量 161億バレル(2006年推定)
天然ガス[1]
生産高 528.8億m³(2005年)
消費 479.1億m³(2005年推定)
輸出 27.9億m³ (2005年)
輸入 0m³ (2005年)
確認埋蔵量 2兆3500億m³(2005年推定)

過去10年間、中国はエネルギー消費量の成長率がGDPの成長率の半分になるようなんとか維持してきた。しかし、IEAによると、2030年までには中国本土のエネルギー消費量は2005年の2倍以上になり、2010年にはアメリカ合衆国の消費量を上回る世界最大のエネルギー消費国家になると予測されている[48]。中国は約15,000メガワットの発電量を毎年増やすと期待されており、その20%は外国からの供給である。中国は環境問題の観点から発電するエネルギー源を現在の石炭から、石油や天然ガス、再生可能エネルギー、原子力発電へと変えようとしている。

中国は石炭の過剰生産を削減する為に1990年代後半から数万の炭坑を閉鎖した[49]。これにより石炭の生産量は1996年の13.97億トンから1998年の12.5億トンまで減少したが、2001年には減少前のほぼ同水準の13.81億トンにまで回復、2007年には経済成長も相俟って1996年の2倍近い25.36億トンを産出している[50]

中国には大慶油田勝利油田等の油田が存在するが、中国経済の発展に伴い1993年より中国は石油の純輸入国となった。純輸入量は2006年の3,500千バレル/日から2030年には131,000千バレル/日まで上昇すると予測されている[48]。また、国務院発展研究センターは、中国の石油需要は2020年には2007年の3億6200百万トン(予測)の1.5倍の5億6300万トンにまでなると見積もっている[51]

中国は1998年の国有企業改革により、中国石油天然気集団公司中国石油化工中国海洋石油総公司の三社に再編された[52]。これら三社が高まる中国国内の石油需要に対応すべく石油利権の獲得に乗り出している。アフリカではダルフール紛争が起きたスーダン[52]、スーダンの隣国のチャド[52]、累積債務の返済について先進国と交渉している最中のアンゴラ[52]、アフリカ最大の原油産油国のナイジェリア[52]等の国々が挙げられる。また、中国は中央アジアからの石油資源開発に乗り出しており、中国中信集団公司zh)はカザフスタンの油田に投資してきている[53][54]

中国政府はまた、天然ガスの増産にも乗り気であり、第10次五カ年計画(2001年~05年)においては、2005年までに中国におけるエネルギー生産の2%から4%を天然ガスにする戦略が掲げられた。

中国政府はまた、エネルギー効率改善にも継続する意図を持ち、環境に悪影響を及ぼさない石炭利用技術en)の利用を促進した。新しい石炭火力発電所の20%が1995年から2000年までの間に脱硫装置を取り付けた。再生利用可能なエネルギーへの関心は高まっているけれども、近い将来、水力発電を除いてエネルギー政策への転換をしてもエネルギー消費量を1~2%程度の上昇に抑える見込はない。

第一に(長期間の融資を含む)資金調達が困難なこと、第二に地方政府の保護主義に起因した市場の分断のせいで、効率的かつ大規模の発電所が建設が難しく、規模の経済が働かないことにより、中国のエネルギー部門の成長が妨げられている。


[編集] 商業・サービス業

中国の商業・サービス業の生産高は、世界第7位である。

[編集] 通信

2005年12月31日段階で、中国には37,504千のブロードバンド回線があると推定されており[55]、それは世界の18%の割合を占める。70%以上のブロードバンド回線がDSL回線経由で残りがモデム接続であると見られる。また、世界銀行は中国では約18日で電話回線が入手できると推定している[56]

[編集] 観光

観光業は、世界でもトップクラスの規模を誇る。ただし、中国人のマナーの悪さなども指摘されている。詳細は、中国の観光を参照。

[編集] 警備サービス

2005年時点で、会社数約2,300社、警備員は230万人以上(警察官人数よりも多い)となっている。治安維持への貢献などプラス面がある一方で、住民への暴力行為が起こるなどのマイナス面も存在する[57]

課題は、政府の法規関連の未整備、負傷・死亡といったリスクの高さに対して賃金が低い、今後の人材不足が予想されている、会社の管理能力が低いことなどが挙げられている[57]

[編集] 金融

[編集] 貨幣制度及び為替レート

詳細は人民元人民元改革をそれぞれ参照

対ドル為替レート(1993年~)

中国の通貨単位は人民元であり、1元(正確には圓)=10角=100分となる。中央銀行中国人民銀行である。

1994年、外国為替取引センターが設立され、為替レートが一本化された[58]。そして、1994年1月1日中国人民銀行は銀行間外国為替市場における先日の為替レートに基づいたUSドル仲値を当日の基準為替レートとした。その結果、は8.28人民元/USドル近傍で推移していた。

2004年頃より、経済成長とともに、人民元が過小に評価されているという圧力が中国にかかってきた。そこで、2005年6月21日温家宝首相は8.28人民元/1USドルから8.11人民元/USドルに切り上げるとともにドル・ペッグの固定相場制から、11の通貨による通貨バスケットととする変動相場制に移行した(人民元改革)。

こうして、2006年初めには8.07人民元/USドルに、2007年初めの人民元の為替レートは、7.75人民元/USドルとなっていった[59]

[編集] 銀行

中国の銀行は、四大国有銀行である、中国工商銀行中国銀行中国農業銀行中国建設銀行がマーケットのシェアの過半を占める[60]

[編集] 証券市場

中国にある二つの証券取引所--つまり上海証券取引所と深圳証券取引所--の上場株式の時価総額は2007年1月、1兆ドルに達した。これは日本、香港に継ぐアジア3位の時価総額である[61]新華社によると、2016年までに世界第3の証券取引所になるということである[62]

[編集] 保険

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 貿易

貿易統計
輸出金額 9630億ドル(2006年)
主要輸出製品 機械設備、プラスチック、光学医療用機器、鉄鋼
輸入金額 7950億ドル(2006年)
主要輸入製品 機械設備、原油、プラスチック、光学医療用機器、有機化合物、鉄鋼

中国の貿易額は2006年で1兆7580億ドルと見積もられている[63]。貿易額が初めて1兆ドルを突破したのは2004年(1兆1500億ドル)であり、2001年から3年間で2倍になった[64]。2004年の終わりには、中国はアメリカ合衆国、ドイツについで第3位の貿易立国となった[65]

貿易黒字は2004年までは300億ドル台を維持していたが、2005年になって1,000億ドルを突破した[64]

中国の主要貿易相手国はアメリカ合衆国、日本、大韓民国、ドイツ、シンガポールマレーシア、ロシア、オランダ等である。対米貿易黒字が2004年には800億ドルに達し、翌年には1,000億ドルを突破した[64]。アメリカ小売最大手のウォルマートが中国の第7位の顧客であり、イギリスをしのぐ金額になっている。貿易の活発に伴い中国の3つの港が、世界で最も忙しい上位五つの港に入っている。

中国は外国との貿易を地方に分散させようと試みている一方で、世界の貿易体制と統合しようと模索している。1991年11月、中国はAPECに加盟し、自由貿易及び経済・貿易・投資・科学技術の問題に関する協力を促進した。2001年には、中国はAPECの議長に就任し、上海ではAPEC首脳会議が開かれたのであった。

[編集] 世界貿易機関加盟

1999年、朱鎔基(当時、首相)はアメリカ合衆国を訪問し、二国間の農業協力協定(Agricultural Cooperation Agreement)に署名した。この協定は、長年の間、中国への輸入を禁じていた柑橘類・穀物・牛肉鶏肉を解禁するものであった。1999年11月、米中両国は、中国の世界貿易機関(WTO)加盟の下準備として二国間の市場参入協定(bilateral market-access agreement)を結んだ。そして広範囲の貿易自由化協定の一部として、WTO参加後、中国政府は関税を引き下げ、市場にある障害を取り除く事を認めた。--例えば、中国や外国のビジネスマンは自分自身の商品を輸出入する権利を得、政府の仲介を通すこと無しに商品を売るといったことが挙げられる。--2004年にはアメリカ合衆国からの輸入農作物の平均関税率は31%から14%に引き下げられ、翌2005年には工業製品の関税が25%から9%に引き下げられた。この二国間協定は銀行保険通信といったサービス業にもまた認められた。欧州連合や他の国々との自由貿易協定締結後、2000年夏、中国は多国間のWTOの枠組みに入った。輸出が増えるにつれ、中国政府は、輸入した部品から輸出用の消費財を生産する外国資本の工場の速やかな発展を進めるといった政策を推進している。2001年12月11日中国はWTOに加盟した。

[編集] 米中貿易

アメリカ合衆国は発電所飛行機及びその部品、コンピュータや産業機械、原材料、化学製品や農作物を中国に輸出する主要な供給国であるが、中国の制限貿易政策及びアメリカ合衆国の輸出規制より公正に市場参入出来るかに懸念を抱いている。中国における知的財産権侵害は、多くの日本や欧米企業を悩ませている問題である。日本や欧米の政治家や製造業者のいくらかは人民元が自国通貨よりも不当に安く、そのために人民元安が中国の輸出を有利にしていると主張している。アメリカ合衆国議会の中には、中国からの輸入品に27.5%の消費税を含めよといった保護貿易を後押ししようとしているものもいる。

[