中華人民共和国
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- 中華人民共和国
- 中华人民共和国
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(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : 義勇軍進行曲

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公用語 中国語(普通話) 首都 北京 最大の都市 重慶 通貨 人民元(CNY) 時間帯 UTC +8(DST: なし) ccTLD cn 国際電話番号 86 - 註1: 香港、マカオを含まない。
註2: 中華人民共和国と面積順位第3位とされるアメリカ合衆国の面積は非常に近く、それぞれの国土の定義によっては、順位が入れ替わることがある。
中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)は、1949年に中国共産党によって建国された社会主義国家。東アジアのユーラシア大陸東岸に位置し、その国土の大陸部は、「中国大陸」とも呼ばれる。首都は北京市。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接している。また東シナ海を挟んで日本や大韓民国(韓国)とも接している。ギネスブックによれば最も多くの国と国境を接している国である。
人口の94%を占める漢族のほか、チワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ(彝)族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家である。
目次 |
国名
正式名称は中国語(普通話)の簡体字による表記で、中华人民共和国(ジョンファ・レンミン・ゴンフゥグオ、拼音: Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó)。通称は、中国(ジョングオ)。
公式の英語表記は、People's Republic of China。通称は、China。略称は、PRC。
日本語の表記は、中華人民共和国。このほかに、かつて「中共」もしくは「新中国」と称された時代もあった。「中共」は、中国大陸においては中国共産党の略称である。一方、中国大陸の外においては、中華人民共和国が国家であることを認めない人々が「(中国大陸を統治する)中国共産党政権」という意味の俗称として使っていた(この意味による「中共」は、日中国交正常化前の日本社会で使われていたほか、現在でも、国共内戦で中国大陸から台湾に渡った中国国民党などが使っている)。それが、日本において、最初の意味から外れた、単に中華人民共和国の略称と世間的に捉えられ用いられたこともあった。また「新中国」は、主に日中の国交正常化前、つまり中華人民共和国建国後は台湾島を含む一帯を統治している中華民国を日本政府が「中国を代表する正当な政府」としていた時代に、中国共産党を支持する日本人が中華人民共和国を指して使っていたものである。
「中華」は、世界の中心にある、もっとも華やかな文明社会という意味であり、元々は黄河文明発祥の地とされる現在の河南省のあたりを指した言葉であった。因みに中華の華はもともと世界の中心の夏(古代の王朝)という意味の中夏だった[要出典]。また、近代的な概念を表す漢語はほとんど日本製だったこともあり、「人民」「共和国」は和製漢語を使うこととなった。
地理
中国行政区分の面積一覧も参照
世界最大の人口を持つ国、中華人民共和国はアジア大陸の東部、太平洋の西海岸に位置し、国土は9,597,000km²でロシアとカナダに次いで世界第3の大きさである。領土は北は漠河以北の黒竜江の中軸線から、南は南沙諸島南端の曾母暗砂まで。東は黒竜江とウスリー川の合流する地点から、西はパミール高原まで広がっている。陸地の国境線は2万2800キロで、東は朝鮮民主主義人民共和国、北はモンゴル、北東はロシア、北西はカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、西と南西はアフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、シッキム、ブータン、南はミャンマー、ラオス、ベトナムと接し、東部と東南部は韓国、日本、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、インドネシアと海を挟んで接している。海岸線は約1万8000キロで、中国大陸の東部は渤海、黄海、東シナ海に、南部は南シナ海に臨んでいる。海域には5400の島が点在し、そのうち最大の島は台湾島。台湾島の北東海域に位置する釣魚島、赤尾島は中国の最東端の島嶼で、中国最南端は南海諸島と呼ばれる島嶼群である。この南海諸島では島嶼、礁(サンゴ礁)、灘(砂浜)が散在しており、これを一括して南海諸島と言う。主要河川として黄河や長江があり、それぞれ黄河文明、長江文明を育んだ自然の恵みでもある。
地方行政区分
詳細は中華人民共和国の行政区分を参照
2004年現在、中華人民共和国の行政区分は23の省(中華民国の領土で、中華人民共和国が実効支配していない台湾省を含む)、5つの自治区、4つの直轄市、および2つの特別行政区から成り立っている。
主要都市
下の表は行政区域内の人口のうち、郊外の人口は含まずに都市部の人口のみを記載するものとする。人口は2007年に行われた国勢調査によるデータを元にしている。
| 都市 | 行政区分 | 都市人口 | 都市 | 行政区分 | 都市人口 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 重慶 | 直轄市 | 31,442,000 | 11 | 成都 | 四川省 | 3,750,000 | |
| 2 | 上海 | 直轄市 | 14,530,000 | 12 | 新界 | 香港特別行政区 | 3,730,000 | |
| 3 | 深圳 | 広東省 | 11,820,000 | 13 | 九龍-香港島 | 香港特別行政区 | 3,387,665 | |
| 4 | 北京 | 直轄市 | 10,300,000 | 14 | 青島 | 山東省 | 3,200,000 | |
| 5 | 広州 | 広東省 | 7,050,000 | 15 | 唐山 | 河北省 | 3,200,000 | |
| 6 | 東莞 | 広東省 | 6,450,000 | 16 | 南京 | 江蘇省 | 3,110,000 | |
| 7 | 天津 | 直轄市 | 5,190,000 | 17 | 淄博 | 山東省 | 2,900,000 | |
| 8 | 武漢 | 湖北省 | 4,890,000 | 18 | 福州 | 福建省 | 2,600,000 | |
| 9 | 哈尔滨 | 黒竜江省 | 4,754,753 | 19 | 長沙 | 湖南省 | 2,520,000 | |
| 10 | 瀋陽 | 遼寧省 | 4,420,000 | 20 | 南昌 | 江西省 | 2,440,000 |
歴史
中華人民共和国成立以前
詳細は中国の歴史を参照
| 中国の歴史 | ||||
| 元謀・藍田・北京原人 | ||||
| 神話伝説(三皇五帝) | ||||
| 黄河・長江文明 | ||||
| 夏 | ||||
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| 周 | 西周 | |||
| 東周 | 春秋 | |||
| 戦国 | ||||
| 秦 | ||||
| 漢 | 前漢 | |||
| 新 | ||||
| 後漢 | ||||
| 三国 | 魏 | 呉 | 蜀 | |
| 晋 | 西晋 | |||
| 東晋 | 十六国 | |||
| 南北朝 | 宋 | 北魏 | ||
| 斉 | ||||
| 梁 | 西魏 | 東魏 | ||
| 陳 | 北周 | 北斉 | ||
| 隋 | ||||
| 唐 | ||||
| 五代十国 | ||||
| 宋 | 北宋 | 遼 | 西夏 | |
| 南宋 | 金 | |||
| 元 | ||||
| 明 | 北元 | |||
| 後金 | ||||
| 清 | ||||
| 満州 | 中華民国 | |||
| 中華人民共和国 | 中華民国(台湾) | |||
3000年以上に亘り、幾つもの王朝の興亡を経てきた。漢族の王朝・明が1644年に滅亡し、満州人の清朝が最後の王朝として中原王朝の座を掌握した。だが、阿片戦争(1840年~1842年)で清朝がイギリスに敗れると植民地化が始まり、日清戦争で日本に敗れたことにより列強による植民地化が進行する。これを契機に、「滅満興漢」をスローガンとした、満州人の支配に対する漢族の革命運動が各地で起こり、その結果、1911年の辛亥革命を契機として翌1912年に中華民国が成立(直後に清朝は消滅)した。なお、中華民国は東アジア初の共和国である。
しかし、その後も日本やイギリス、フランスやドイツなどの列強による中国大陸の局地的な支配が続いた他、軍閥による群雄割拠が続いた上に、統一国家の体をなさない混乱状態がしばらく続いた。また、その後は非漢族居住地たるモンゴル・チベットなどの支配も目論んだが、活発な独立運動が行われた。その後、1930年代の満州国の建国や、その後に発生した日中戦争において中国大陸の多くの部分が日本によって統治されたものの、1945年の第二次世界大戦における日本の敗北によって日本が中国大陸から撤退し、中華民国が連合国(戦勝国)の1国として中国大陸を改めて完全統治する体制が整った。
しかしその後、1930年代から日中戦争をはさんで断続的に行なわれていた国共内戦において、ソビエト連邦からの支援を受けていた中国共産党率いる中国人民解放軍が、第二次世界大戦の終結後にアメリカからの援助が減っていた中国国民党率いる中華民国国軍に対して勝利をおさめ、1949年に共産主義政党による一党独裁国家である中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治国土を制圧した。なお、その後中華民国政府は台湾島に遷都し、その後台湾島とこれらの島嶼地域は現在中華民国の統治下にある。
中華人民共和国成立後
詳細は中華人民共和国の歴史を参照
中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と鄧小平時代(1978年 - )の二つの時代に分類することができる。
毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。毛沢東の指導のもとで大躍進政策を行なったが、多くの餓死者を出して政策は失敗に終わった。その後、経済の立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、「反革命」派とされた人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。文革は、毛沢東の死と共に終結した。その後、華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月第11期三中全会で鄧小平が実権を掌握した。
鄧小平時代の中華人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長をした。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また、政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢をとり続けている。1989年の六四天安門事件や2005年の反国家分裂法成立などはその一例である。
政治
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共産主義思想 国際組織 人物 出来事 |
詳細は中華人民共和国の政治を参照
中国共産党とその衛星政党以外の政党は認められておらず、国民には結党の自由がないなど、事実上中国共産党による一党独裁体制である。その他に8つの衛星政党(「民主諸党派」)が存在する(ヘゲモニー政党制)。
立法機関として全国人民代表大会が置かれ、行政機関として、国務院が、司法機関として、最高人民法院が存在する。法律上は全国人民代表大会に権限が集中する。三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)。実際には国政を動かすのは中国共産党であり、共産党の最高指導集団である政治局常務委員会が権力を掌握する構造となっている。そのため、かつては特に人民代表大会が形骸化し、10年間も開かれないこともあったが、最近では法治を重視する政策の下、一定の役割を果すようになってきている。
また、中華人民共和国の政治において特筆すべきことは、中華人民共和国政府が中華民国政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であるとしている点であることと、中華人民共和国中央人民政府が国際連合により侵略者という認定を受けていることである[1]。
1997年にイギリスから返還された香港、1999年にポルトガルから返還されたマカオは、一国二制度(一国両制)の下、特別行政区として高度な自治権を有する。基本法により、独自の行政、経済および法制度を持ち、本土の法律は一部を除いて適用されない。間接かつ制限選挙であるが、行政長官選挙が行われ、立法会では一部議員を直接選挙で選出している。さらに、参加資格を主権国家に限定していない国際組織への加盟や国際会議への参加も可能である。詳しくは香港もしくはマカオの項を参照。
中国共産党中央政治局常務委員
中華人民共和国の政治の動向を知るには、党政治局の常務委員を知ることが必要である。 現在の最高指導グループは以下の通り。
- 胡錦濤 - 党中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席、国家主席、国家中央軍事委員会主席
- 呉邦国 - 全人代常務委員長、元国務院副総理、党中央企業工作委員会書記
- 温家宝 - 国務院総理、党中央金融工作委員会書記
- 賈慶林 - 中国人民政治協商会議主席
- 習近平 - 国家副主席、中共中央党校校長
- 李克強 - 国務院副総理
- 賀国強 - 党紀律検査委員会書記、
- 李長春 - 党元広東省委員会書記
- 周永康 - 国務委員、元国務院党組織委員、党中央政法委員会書記
様々な政治問題
中華人民共和国では深刻な人口問題、環境問題、汚職問題、司法問題などが発生している。
人口問題
共産党政府の成立後、中華人民共和国では急激な人口増加が進んだことにより、食糧問題、エネルギー問題などが発生した。人口増加に危機感を抱いた共産党政府は、対策として1979年から一人っ子政策を実施し、出生率の統制による人口抑制を展開した結果、人口増加率は低下した。
しかし一方で、戸籍上は子供を一人しか持たないようにするため、出産しても届出を行わないことによって黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる国籍の持たない子供が増加したり、貧乏な農家の子供たちが人身売買のバイヤー経由で裕福な家庭に売られるなど、新たな問題が発生した。また、統計上では総人口は約13億であるが、盲民と言われる浮浪民の存在のため、潜在的な人口は14億を超えるとも言われている。
また、急激な出産制限は全人口に占める若年層の割合を低下させた。そのため、将来少子高齢化が問題になると指摘されている。
国内では、沿岸部など経済発展の著しい地域と、内陸部の発展に取り残された地域との格差が拡大しているため、沿岸の都市部に出稼ぎするために流入する農民が増えその数は軽く1億を超える。
環境問題
市場経済導入後の近年の急速な高度経済成長の影で、環境問題が深刻化している。そのため、国務院は環境保護部(国務院の「部」は他国政府でいう「省」に相当)を設立して、更なる環境問題への取り組みに乗り出している[2]。詳細は中国の環境問題を参照のこと。
状況
中国食品薬品監督管理局の資料によれば、工場からの汚染された工業水や、化学肥料、農薬によって、河川、湖及び近海に深刻な環境汚染が起きているという。河川、湖については6割が深刻な汚染に侵されている。また、重金属によって土壌汚染が起きている地域(渤海沿岸、華東、華南)もあり、汚染地域では癌や奇病の多発、奇形生物の発生も指摘されている[3]。また、大気汚染も深刻な状況であり光化学スモッグも発生している。この光化学スモッグは国境を越え、日本にも流れている。
- 砂漠化問題
- 遊牧地の開墾、樹木の輸出や農作物の増産などが原因で砂漠化が深刻化している。国家林業局の発表によると、今現在中華人民共和国の30省、889の県で合計174平方キロメートルの砂漠が広がり、これは国内の18パーセントに当たるとしている。この砂漠化で黄砂が年々悪化し、中華人民共和国国内や韓国、海を渡った日本にまで被害を及ぼしている主要因と見られている。
行政府の対応
中央ではある程度の危機意識を持って環境対策を打ち出しているが、地方行政府は地方の経済発展を重視して中央からの指示をないがしろにするケースも多く、実効性に問題が生じている。
食料品について
食品に関する事故・事件が頻発していて、生産・製造者における食の安全管理の向上が課題となっている。詳細は中国製品の安全性問題を参照のこと。
農村では、農作物の増産のため大量の農薬を使用しており、全世界や香港などで「毒菜」と呼ばれることがある。中華人民共和国国外においては、中華人民共和国産の農作物についてはEUでほうれん草などの野菜が輸入禁止対象となったことがある他、主要輸入国である日本が、2006年5月に残留農薬基準を超えた食品の販売を禁止するポジティブリスト制度を導入した際、6月の野菜輸入が前年同月比で約2割減少した。他には鰻が検査に引っかかった結果輸入が減り、日本国内での価格が高騰した事例がある。
農作物以外の加工食品については、工場の衛生管理が悪く不衛生であること、安全よりも利益を優先し危険な飼育法や薬品を使用していること、偽ブランドが横行していることを指摘されている。
汚職問題
地方政府の役人(共産党員)の腐敗や職権の濫用が多いことが問題となっている。特に改革開放政策開始後は、満足な補償もないままに土地を強制的に収用したり、法的根拠のない税を徴収したりすることが多い。地方政府の対応に不満を持った農民や労働者は中央政府へ訴え出たり、場合によっては暴動を起こしたりしており、大きな社会問題となっている。また政府高官でも汚職を行った者に対して死刑を適用・執行しており、2000年には成克傑(元全国人民代表大会常務副委員長)を収賄罪で死刑執行、2007年には鄭篠萸(元国家食品薬品監督管理局長)を収賄罪で死刑執行した。
司法問題
中華人民共和国の司法に関してはいくつかの問題が内外から指摘されている。中華人民共和国の警察などでは中華人民共和国政府(中国共産党政府)を非難する者に対しては動きが敏速ですぐに逮捕を行い、密かに拷問での自白強要を行っているとも言われている。司法も裁判所の制度も日欧米の諸外国と大きく異なっている。死刑の場合は判決後数日以内と、迅速に決行されるケースが多い。控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できるパターンはわずかである。(中国の人権問題も参照)
反政府運動の首謀者から汚職といった他人に暴力を振るったり生命の危機に直面させない罪などでも、死刑判決即決行に該当する。チベット解放運動家はよく処刑されていた。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルでの報告によると、パンチェン・ラマの生まれ変わりと言われた少年を政治犯として逮捕した。また同団体の報告によると、2004年で全世界で執行された死刑囚の数の9割以上(約3400人)が中華人民共和国であり、同団体に非難されている。死刑に処する罪も多く、現在もほんの一部ではあるが、凶悪犯の処刑を一般人に公開したり政府のテレビ番組内で生中継などをしていることがある。
処刑方法はほとんどが銃殺刑であるが、遺体の器官移植がよく行われるため、器官に傷つけない程度で銃殺されることが多い。最近は中華民国の死刑施行方法を取り入れて、薬物で麻酔した上で銃殺するケースも増えてきた。中華人民共和国国内には、このような銃殺刑は、現在日本で行われる死刑施行方法である「絞首刑」よりは近代的、人道的であると主張する人々もいる。
裁判官の質
特に地方の人民法院の裁判官について、質に難があるという指摘がある。裁判中に裁判官が携帯電話でしゃべり出し、審議が中断されることは珍しくない[4]。また、賄賂を要求することも多く、断ったら会社の設備を破壊され営業不能となった上、押収品を勝手に他者に渡す、といった事例まである[5]。
報道規制
中華人民共和国では、報道は新華社通信、『人民日報』、中国中央電視台などの報道機関が世界的に知られている。改革開放以後は新聞はタブロイド紙が爆発的に増え、テレビは地方局が多数開設された(キー局は中央電視台だけである)。そのため、「御用報道機関」である上記の3大報道機関の影響力は相対的に低下している。一方、新興報道機関は中小多数で熾烈な報道合戦を展開している。そのため大衆の好奇心を刺激する論評で大衆の関心の高い事柄を報道するが(段ボール肉まん事件を参照)、そのうち政府への批判的な報道は当局から「整頓」と呼ばれる修正を命じられることが多い。そのため、「上と下を見つつ報道」しているといわれる。 (詳細は中国の人権問題を参照)
中華人民共和国政府は検閲での情報操作(香港・マカオは除く)を行っている。政府に対してマイナスと認識した報道を規制している。ウェブページで、反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するページを閉鎖、または回線を切断させたりしていることが多い。
2004年11月には検閲されていない違法なインターネットカフェ1600店あまりを摘発し、更にはネット上で政府を非難する自国人を逮捕しメールの文章も検閲内容として規制されている。GoogleやYahoo!などのアメリカ企業も政府の検閲に協力している。こうした企業に対しては、国際的に多くの人々が、中華人民共和国国内での言論の自由を奪っていると非難している。
こうしたネット文化の進展にともない、中華人民共和国政府はネット規制システム金盾をバージョンアップさせた。非常に巧妙化されたシステムであり、一見、巧妙に規制されているとは考えづらい構成となっている。その一方で、そうした検閲、規制を回避するためのシステムも一部で配布されているとみられ、傲游などがその典型である。中華人民共和国政府はネットに関する取り締まりを日々強化しており、毛沢東や鄧小平の時代のような、報道規制、情報規制を目指しているとみられる。
反日活動における中華人民共和国政府の関与については見解が別れる。西側諸国においては中華人民共和国政府が情報操作、もしくは一時的に故意に報道管制や言論の自由を緩めることで「反日活動を事実上行わせている」との見解が多い。つまり体制批判ができないためそのガス抜きとして日本をはじめとする外国に対する批判を粉っているというものである。この見解とは逆に、中華人民共和国政府が日中関係への影響や国際的イメージの悪化を懸念し、反日活動の過激化を扱いかねているとの見解もある。いずれにせよ検閲による情報操作は下の項目の日中間の「歴史教育問題」にも大きな影響を与えている。
ウィキペディア規制
ちなみにウィキペディアも中華人民共和国政府がアクセスを遮断しており閲覧することができなかったが、2006年11月に上記と同様に報道規制されている記事以外の一部だけアクセス遮断を解除した。だが、数日後に再び遮断され、翌月の12月になって再びアクセス遮断が解除された。
2007年9月には、ウィキペディア創始者ジミー・ウェールズが中華人民共和国へ渡航し、政府高官へアクセスを解禁するように直談判しに訪れた[6]。
分離・独立運動
中華人民共和国にはいくつかの分離・独立運動がある。
- チベット自治区
- 1950年に中国政府は人民解放軍を中央チベットに派兵、1951年にラサを占領し、チベット全土を侵略したが、1959年に「改革」に反発したチベット人が蜂起(「チベット動乱」)した。しかし中国軍の強力な反撃により弾圧され、ダライ・ラマ14世は多数の難民と共にインドへ脱出して、亡命政府を樹立した。現在ダライ・ラマ率いるチベット亡命政府が中国共産党に対してチベットの自治権拡大を要求している。
- 2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶や市民の抗議行動が激化し、中心部の商店街から出火、武装警察(中国人民武装警察部隊)などが鎮圧に当たり多数の死傷者が出た。チベット亡命政府によると確認されただけで死者は少なくとも80人はいると発表された。それと同時に世界各国の中国大使館前でも中国政府への抗議活動が繰り広げられた。[7]
- 新疆ウイグル自治区
- 新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の分離・独立を目指す組織勢力が国内外に多数存在しており、アメリカで東トルキスタン亡命政府を樹立するなど活動を行なっている。特に新疆ウイグル自治区については、中華人民共和国政府が情報統制を行なっているために、中華人民共和国国内における独立運動の性質、規模等は明らかではないが、 チベット自治区と同様に虐殺・虐待事件が多発しているのではないかと一部から指摘されている。国際的にテロリスト(イスラム過激派)を取り締まる動きが強化されているため、中華人民共和国内での運動は沈静化していると言う見方もある(東トルキスタン独立運動を参照)。
- 内モンゴル自治区
- 現在、内モンゴル自治区で組織的な独立運動は行われておらず、モンゴル人は自治区内でもマイノリティに転落している。但し、過去の中華人民共和国政府は内モンゴルにおける分離運動を警戒していた。1995年にはモンゴル人の高度な自治を要求する組織「南モンゴル民主連盟」(SMDA)を「分離活動を行なう」非合法組織として告発し、70名以上のメンバーを逮捕、「国家分離とスパイ活動」罪などで裁いている(当時SMDAが要求していた自治は、中華人民共和国の憲法で保証されているモンゴル人のための高度自治であった)。
歴史教育問題
- 詳細は歴史教科書問題の項を参照
日本では次のように特に江沢民政権以後の中華人民共和国における歴史教育および中華人民共和国の中国共産党政府の姿勢を批判する観点がある。
- 旧日本軍の「蛮行」を宣伝する歴史記念館などを各地に建設している。
- 反日教育がきっかけとなり2005年の中国における反日活動が起こった。
- 日本政府は日中戦争の謝罪という理由から一切苦情が言えなくなっている。
一方で中華人民共和国政府及び国内の多くの知識人・メディアは、日本政府や保守系メディアの対中姿勢に対し、非難を続けている。
- 日本のメディアにより2005年の中国における反日活動が大きく報道され、日本国内の一部で中国脅威論がより強く叫ばれるようになってしまった。
- 近年では上記の理由と国際的な非難を背景に、中華人民共和国の歴史教育は反日の傾向が薄くなっている。
日本との経済関係
国交成立後しばらくの間は、文化大革命の余波から中華人民共和国の経済が冷え込んでいたことなどにより、両国間の経済関係はそれほど大きなものとはならなかったが、1980年代に中華人民共和国経済が改革開放政策により成長するにつれて、日中の経済関係も深くなっていった(政治関係が冷え込んでるなか、経済交流は活発であったことから、この状態を中華人民共和国では「政冷経熱」と呼んでいる)。
日本では中華人民共和国からの安価な製品の輸入が国内産業に打撃を与えるとして反発する動きも一部ではあったが、1990年代以降は日本企業の進出が相次ぎ基本的には貿易額は増加傾向となっている(中国脅威論も参照)。また、団体観光ビザの発給が解禁されたことにより、日本への観光客が激増している。
両岸関係
「両岸」とは台湾海峡を挟んだ中国大陸と台湾の海岸を指しており、そこから「両岸関係」は台湾を実効支配する中華民国と中華人民共和国との関係を指す言葉となっている。(詳細は台湾問題を参照)
1946年から激化した国共内戦に勝利した中国共産党が1949年に中華人民共和国を中国に建国、同年中に国民政府は、日本が領有権を放棄した後に実効支配した台湾に移った。それ以来、中華人民共和国は中華民国と「中国における正統政府」の座を巡って対立し、両国共に互いの統治する地域の支配権を主張して譲らなかった。
そのために、中華人民共和国政府は国際連合における「中国」代表権を求めて諸外国に外交的にはたらきかけた他、「中華民国政府が実効統治している台湾を中華人民共和国の領土」とみなして領有権を主張し、「台湾解放」の名の元に金門島への砲撃を度々行なった。その後、冷戦下におけるアメリカとソ連の間の対立や、ソ連と中華人民共和国の対立の激化などの政治バランスの変化に伴い、中華民国が国連の「中国」代表権を喪失して国際的に孤立し、中華人民共和国も改革・開放を推進するようになると、中華人民共和国政府は「一国二制度」といった統一の枠組みの提案や「三通政策」といった穏健的な統一政策を通じて両岸関係の改善を図った。1992年には両国政府関係者が「一国共識、各自表述(「一つの中国」を共通認識とするが、解釈はそれぞれが行う)」の統一原則を確認するまでに至った。
だが、1990年代に入ると、台湾(中華民国)では李登輝中華民国総統による政治体制の民主化が進められ、それに伴い台湾(中華民国)では中華民国とは別個の「台湾」という国家を創り上げる台湾独立運動(台独運動)が活発化し始めた。このような動きに対し、中華人民共和国は総統選挙(1996年から実施)における台独派(泛緑連盟)候補者の当選阻止を目指して軍事演習で威嚇するなど強硬姿勢をとった。しかし、いずれの選挙においても阻止するには至らなかった。このことを教訓としてか、2005年3月14日には中華人民共和国で反国家分裂法が成立した。この法律は中華人民共和国による台湾(中華民国)の武力併合に法的根拠を与えることを名目とする。こうした経緯で、今日の台湾(中華民国)と中華人民共和国の関係は、台湾問題として東アジア地域の不安定要素とみる見方も一部で存在する。
台湾(中華民国)にも「台独」に反対する「中国派」の人々(泛藍連盟)が存在している。こうした動きにおいては、中国国民党が有力な存在である。国民党党首・連戦は、2005年4月26日~5月3日にかけて中華人民共和国を訪問、共産党党首・胡錦濤と60年ぶりの国共首脳会談を実施した。
2008年に中国国民党の馬英九が中華民国総統に選出され、台湾(中華民国)で8年ぶりに国民党政権が戻ってきてからは、両岸関係は改善傾向がみられる。また、近年の中華人民共和国の経済成長を反映して、中華人民共和国と台湾(中華民国)の経済関係は非常に深まっている。2008年12月15日には、「三通」が実現した。
領土問題
国境地域において複数の国々と境界線や島嶼部を巡って領土問題を抱えている。
- 尖閣諸島(日本、中華民国)
- パラセル諸島(ベトナム、中華民国)
- スプラトリー諸島(フィリピン、ベトナム、マレーシアなど)
- マクマホンライン(インド)
- カシミール地方(インド、パキスタン)
- 蘇岩礁(韓国)
- 広開土王碑(北朝鮮)
通商上の問題
通商上の問題として、急激な生産能力の拡大を背景とした輸出増加、安価な製品の輸出による貿易摩擦、市場価格の撹乱(例えば、鋼材や製紙で中華人民共和国の輸出増により値崩れが警戒されている[8])が指摘されている。
また、経済成長に伴い資源の消費が増えるにつれ、資源輸出の抑制、輸入が急増している。石油はかつては輸出国だったが、今は輸入国に転じている。また、鉄鉱石、銅などの大口の輸入国でもある。レアメタルについては、中華人民共和国が供給における寡占状態の品目があり、中華人民共和国の態度が当該品目の価格を左右する状態にある(例えばタングステンは、2005年5月に中華人民共和国が増値税の還付の引き下げを行った結果、価格が高騰、高止まりしている。中華人民共和国は経済成長により、レアメタルの供給側から消費側に転じていることが、価格の高騰をもたらしている[9])。以上のように、中華人民共和国の大量消費が国際価格の上昇の一因となっている。
品質問題
品質面においては、必ずしも品質が高いとはいえない製品(例えば、中華人民共和国で生産された民族系企業の普通乗用車の使用開始後半年までの間の故障率は、77.1%という調査がある[10])の輸出(これは過渡競争による過剰生産が要因で、中華人民共和国国内で販売するよりも輸出した方が儲けられるとして、アフターサービスを満足に行えなくても輸出を行うことによる)がある。
民族系企業の乗用車は品質だけでなく衝突安全性も低く、ドイツの民間機関やユーロNCAPによる衝突実験で民族系企業の複数の乗用車が過去最低の衝突安全性を記録し、その結果輸入販売代理店がすでに販売された車の無償回収を行うなど波紋を広げている。これらの結果を受けた中華人民共和国当局は、「メイド・イン・チャイナのブランド低下」に繋がるとして、2007年3月より完成車の輸出を許可制にするとしている[11])。
またアメリカでは、アメリカ企業の中華人民共和国製のおもちゃに基準を超える鉛が含まれていたことが問題となり、販売元による回収が数度にわたり行われ社会問題になっている他、食料品においては、残留農薬などが危険な水準に達している食料品(毒菜ともよばれる)の輸出が問題になるケースがある。また医薬品についても医薬成分の偽装などによる死亡事例などが問題となっている(詳細は中国製品の安全性問題を参照のこと)。
著作権問題
詳細は中国の知的財産権問題を参照
大手ファッションブランドを始め電子機器やバイクなど工業製品、ソフトウェアなどの偽ブランド商品、海賊版の製造が多く、非正規商品が平然と一般店舗に並べられている。中には偽ブランド企業が正規のブランド企業よりも早く中華人民共和国で商標登録されてしまったために、その正規のブランド企業の商品が中華人民共和国から撤去されるという事例もある(クレヨンしんちゃん#中国での商標問題も参照)。
模倣品に関する技術力も年々向上している。また、ソフトウェアに関して言えば海賊版が多く、Windows OSは海賊版がPCに付属していることが多い。 また、キャラクターなどの版権・著作権に関する意識も概して低く、堂々と無断使用されている場合も多い。(

