ロマン主義 - Wikipedia

ロマン主義

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ロマン主義(ロマンしゅぎ、英語 romanticism、ドイツ語 Romantik)は、ヨーロッパの精神運動のひとつであり、ドイツに始まり、ドイツおいてもっとも力強く展開されたことからドイツ・ロマン派がもっとも有名であり、ロマン主義の代表とされる。ロマン主義は、古典主義の対概念としてとらえられるもので、主として18世紀末から19世紀にかけての運動であり、その影響はヨーロッパ全域に広まり、世紀末から20世紀の初めころの後期ロマン主義にまで及んだ。

ロマン主義の底流に流れているものは、内面性の重視、感情の尊重、想像性の開放といった特性であり、好まれる主題としては、「異国的なもの」「未知のもの」「隠れたもの」「はるかなるもの(特に、自分たちの文化の精神的な故郷、古代文化)」「神秘的なもの(言葉で語れないもの)」「夢と現実の混交」、更には、「憂鬱」「不安」「動揺」「苦悩」「自然愛」などを挙げることができる。

ローマ帝国時代に知識層にはラテン語が広まったが、庶民の間では俗語としてロマンス語が広まった。そのロマンス語で書かれた文学作品が、ロマンスと呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマの古典文学の対立概念とされるようになった。ロマン主義(ロマンティシズム)の語源は、ここにある。したがってロマン主義の「ロマン」とは、「ローマ帝国の(支配階級、知識階級ではなく)庶民の文化に端を発する」という意味である。


目次

[編集] 文学

文学では「ロマンチック」という言葉を現在、その言葉に含蓄されているような意味合いで初めて使ったといわれるルソー(『孤独な散歩者の夢想』)を嚆矢とし、多くの作家が挙げられる。ヘルダーゲーテの作品、とくにシュトゥルム・ウント・ドラング期の作品はロマン主義文学理論の形成に大きな影響を与えたが、ゲーテ自身はロマン主義にむしろ批判的であった。

文学運動のロマン主義は北ドイツのイェーナを中心とした。イェーナにはヴァイマル公国の宰相でもあるゲーテの政策によって、当時のドイツを代表する学者たちが教授として招かれていた。ドイツの初期ロマン派(ドイツ・ロマン派、イエナ・ロマン派)に属する文学者には中心的な文学雑誌「アテネーウム」を主宰したシュレーゲル兄弟ティークノヴァーリスなどがいる。またイェーナのサークルには加わらなかったものの、ヘルダーリンもイェーナでフィヒテの講義を聴講している。イェーナのサークルとはゲーテ、シラーシュライエルマッハーフィヒテシェリングがかかわりを持っている。イェーナの初期ロマン派グループ(イェナロマンティカー)は各人の転居や死などにより1800年には解消した。

ドイツロマン派の人物たち

のちにベルリンアルニムらによるサロンを中心とする小説家のグループが出来た。これによる詩人・文学者を一般に後期ロマン主義と呼び、グリム兄弟シャミッソーE.T.A.ホフマンなどがいる。

ロマン主義の文学理論家であったフリードリヒ・フォン・シュレーゲルの友人であったスタール夫人によりドイツのロマン主義はフランスに紹介された。フランスの文学運動に対してドイツ・ロマン主義は直接の影響をもたなかったが、しかしユーゴーなどはしばしばロマン主義の文学者であるといわれる。

[編集] 哲学

ドイツの初期ロマン派のひとつの特徴は強い哲学への志向がある。この傾向はとくにフリードリヒ・フォン・シュレーゲルに強い。シュレーゲルは近代の特徴的所産として「フランス革命・フィヒテの知識学・ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』」を挙げている。しかし文学者たちからのこうした接近は必ずしも哲学の側から歓迎されたわけではなかった。シュレーゲルはイェーナ大学で哲学の講義を行ったが、これは哲学界からは黙殺された。またヘーゲルやシェリングはシュレーゲルの思想を浅薄なものと非難している。しかし、フィヒテの後期知識学や、シェリングの後期哲学(積極哲学)には明らかにロマン主義の影響が認められる。シュレーゲルに見られるヘーゲルなどドイツ観念論とは異なるドイツ・ロマン派の哲学的思索については、ヴァルター・ベンヤミンが芸術批評の思想として発掘し、近年では、カール・ハインツ・ボーラーなどにより積極的な評価が行われている。

ドイツはもともとローマ帝国の範囲外にありドイツ神秘主義などを生み出してきた土壌を持つが、この時期にはさらに異教的なものへの関心と理性中心主義との相克から新しい思想が模索され始めた。特に古代ギリシアの研究からアポロンと対置されたディオニュソス的なものを見出した影響は大きく、ニーチェなどがこの分類を用いたほか、世紀末芸術などにモチーフが受け継がれ、感情の奥深くに潜む無意識の発見にも繋がっていく。

[編集] 政治

政治においてもドイツなどにおいてその影響が現れている。ロマン主義は、ナポレオン・ボナパルトの帝国がドイツに伸張する時期に形成された。フランス革命によって刺激された国民意識の形成は、領邦国家に分裂していたドイツ人に民族としての「ドイツ」の一体性を強く意識させた。分裂した近代世界の克服がロマン主義の主要な主題のひとつであり、これは時に民族共同体の意識が強かった古典古代のギリシア世界(ヘルダーリン)やカトリック教会と神聖ローマ帝国のもとにあった中世世界への懐古(ノヴァーリス)と結びついた。こうした保守化・伝統回帰の傾向は特にナポレオン戦争後のウィーン体制を背景とした後期ロマン派に顕著である。フリードリヒ・フォン・シュレーゲルは、オーストリアのメッテルニヒの秘書官を務めたこともある。ロマン主義の政治についてはカール・シュミットが、至上化した生の高揚のために政治を利用する「オッカジオナリズム(機会偶因主義)」であると批判した。

[編集] 絵画

ロマン主義の反伝統的、反制度的表現を準用して、絵画においてもロマン主義の呼称が用いられる。絵画におけるロマン主義に該当する画家としては、ドイツのカスパー・ダーヴィト・フリードリヒフィリップ・オットー・ルンゲ、スペインのゴヤ、フランスのドラクロワ、イギリスのウィリアム・ブレイクなどが挙げられる。フリードリヒらに見られるドイツ・ロマン派の絵画の特徴は、フランスの近代絵画とは異なり、不可視なもの、見えざるものをテーマとしたことだろう。フリードリヒの場合は、崇高なものや人跡未踏の山岳、廃墟などがテーマとされた。

[編集] 音楽

音楽におけるロマン主義(ロマン派)時代は、ウィーン古典派の後に続く時期を指し、ほぼ19世紀全体に及んでいる。詳細はロマン派音楽を参照のこと。

[編集] 日本

日本では明治中期以降、19世紀末から影響を受け始め、北村透谷島崎藤村与謝野晶子などがロマン主義といわれる。画家では藤島武二青木繁が知られる。昭和になると保田與重郎をはじめとする日本浪曼派が登場する。ちなみに夏目漱石が「浪漫」という漢字による当て字を考えた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ


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