ルクセンブルク - Wikipedia

ルクセンブルク

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ルクセンブルク大公国
Grand-Duché de Luxembourg (フランス語)
Großherzogtum Luxemburg (ドイツ語)
Groussherzogtum Lëtzebuerg (ルクセンブルク語)
ルクセンブルクの国旗 ルクセンブルクの国章
国旗 (国章)
国の標語 : Mir wëlle bleiwe wat mir sinn (ルクセンブルク語: 我々は今ある状態を保ちたい(我々は独立していたい))
国歌 : 我が母国
ルクセンブルクの位置
公用語 フランス語ドイツ語ルクセンブルク語
首都 ルクセンブルク
最大の都市 ルクセンブルク
政府
大公 アンリ大公
首相 ジャン=クロード・ユンケル
面積
総計 2,586km²168位
水面積率 極僅か
人口
総計(2004年 462,690人(163位
人口密度 179人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 271億ユーロ (€) ¹ ²
GDPMER
合計(2005年 356億ドル(61位
GDPPPP
合計(2006年 326億,000万ドル(91位
1人当り 81,511ドル
独立
 - 日付
オランダより
1867年5月11日
通貨 ユーロ (€) ¹ ²EUR
時間帯 UTC (+1)(DST: +2)
ccTLD LU
国際電話番号 352
註1 : 1999年以前の通貨は、ルクセンブルク・フラン
註2 : ルクセンブルクのユーロ硬貨

ルクセンブルク大公国(ルクセンブルクたいこうこく)、通称ルクセンブルクは、西ヨーロッパ国家。首都はルクセンブルクベネルクスといわれる小国のひとつ。隣接国は、南のフランス、西と北のベルギー、東のドイツである。

目次

[編集] 国名

正式名称は、フランス語Grand-Duché de Luxembourg(グランデュシェ・ドゥ・リュクサンブール)、ドイツ語Großherzogtum Luxemburg(グロースヘルツォークトゥム・ルクセンブルク)、ルクセンブルク語Grousherzogdem Lëtzebuerg(グロウスヘルツォークトゥム・レツェブエシ)。

公式の英語表記は、Grand Duchy of Luxembourg(グランド・ダチィ・オブ・ラクセンバーグ)。通称、Luxembourg

日本語で一般的な表記はルクセンブルク大公国。通称ルクセンブルク。以前はルクセンブルと表記されることも多かったが、現在はあまり使われない。フランス語に基づきリュクサンブールとも表記される。

[編集] 歴史

西暦963年アルデンヌ家のジーゲフロイド(Sigefroid)伯爵が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、砦を“lucilinburhuc”(小さな城)と呼んでおり、それが変化してLuxemburgとなった。1060年頃、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝ボヘミア王を出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。しかしルクセンブルク家はカール4世の孫の代で断絶し、ルクセンブルク公領は抵当に入れられた後、1461年ブルゴーニュ公国に併合された。その後、ネーデルラント一帯はハプスブルク家領となり、ルクセンブルクはハプスブルク領ネーデルラントの一州としてスペインオーストリアの支配を受けた。

フランス革命期にフランスの支配を受けた後、1815年ウィーン会議の結果、ドイツ連邦に加盟しながらもオランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となった。1830年ベルギー独立革命の際にはベルギーと行動を共にし、ベルギーの独立後は首都ルクセンブルクを除いて、その統治下へと置かれた。1831年ロンドン会議によって領土の西半分(現在のリュクサンブール州)をベルギー、残りの領土をオランダ国王の統治下へと帰属することが決められた。この割譲が実現されたのは、1839年なってからである。1867年プロイセン王国とフランスの緩衝国として永世中立国となった。1890年、元ナッサウ公アドルフがルクセンブルク大公となり、オランダとの同君連合を解消した。

第一次世界大戦第二次世界大戦においては、ドイツ占領下に置かれた。1948年ベネルクス間で関税同盟を結成。1949年にはNATOに加盟し永世中立を放棄した。1957年欧州経済共同体1967年欧州連合1999年ユーロ圏へといずれも原加盟国として参加している。

[編集] 政治

立憲君主制国家元首大公。現在では唯一の大公の位を有している。この大公は、世襲制。内閣とともに行政権を執行する。

議会代議院による一院制。全60議席、任期5年。議員は、直接選挙で選出される。また、議会に対して助言をする国務院(コンセイユ・デタ)がある。メンバーは全21名で、首相の推薦に基づき、大公が任命する。

[編集] 軍事

詳細はルクセンブルクの軍事参照

陸軍のみを有し、総兵力は4個中隊、約450名。空軍・海軍はない。北大西洋条約機構に加盟し、欧州合同軍にも兵力を提供している。

[編集] 地方行政区分

ルクセンブルクの広域行政区

詳細はルクセンブルクの地方行政区画を参照

3つの広域行政区に分かれる。

  1. ディーキルヒ広域行政区
  2. グレーヴェンマハ広域行政区
  3. ルクセンブルク広域行政区

広域行政区の下には12の県が、県の下には126の基礎自治体Gemeng)があり、三層構造となっている。

ルクセンブルクの地図

[編集] 地理

国土は南北82km、東西57kmにわたって広がる。 神奈川県佐賀県くらいの広さの国土に、人口は46万人強(神奈川県は約870万人、佐賀県は約87万人)。

国土の大部分には丘と低い山地が広がる。首都ルクセンブルクの標高は379m。最高地点は同国北端に近いクナイフの丘 (Kneiff, 560m)。

ローマ帝国時代から、街道が交わる重要拠点であった。北部はベルギーから続くアルデンヌ高原、南部はフランスから続くロレーヌ台地。東側のドイツとの国境は、モーゼル川が流れる。

[編集] 気候

ルクセンブルクの月別最高気温(赤)、最低気温(青)、降水量(棒グラフ) 出典 BBC Weather

ルクセンブルクの気候はケッペンの気候区分によると西岸海洋性気候に分類される。

首都ルクセンブルクの年平均気温は、1961年から2000年の30年平均値で8.6度。月別平均気温が最も低くなるのは1月(0.2度)、最も高くなるのは7月(17.2度)である。

年間降水量は847.7mm。図からも分かるように月別降水量の年間における変化に乏しい。最も降水量が少ないのは2月 (59.6mm)、最も多いのは11月 (79.3mm)である。どの月においても降水が観測された日が過半数を占める。

相対湿度が最も低くなるのは4月から6月にかけてであり、73%である。最も高い月は12月 (90%)。年平均値は81%。

[編集] 経済

ルクセンブルクの経済は世界でもトップレベルの豊かさを誇る。2006年における1人当たりの国内総生産国民総所得といった指標は世界第1位と極めて高い水準にあり[1]経済成長率も高いレベルを維持し続けている。

アルセロールに代表される鉄鋼業が1960年代より経済を牽引し、これが現在の経済大国ルクセンブルクの礎となる。オイルショック以後一時的な落ち込みを経験するが、鉄鋼業からの産業転換に成功し現在では金融サービス業・その他サービス業がGDPの約8割を占める。[1]。なかでもアルセロールは、鉄鋼企業としての売上高が世界一であるなど、特筆に価する企業であったが、2006年インドミタルスチール買収された。

失業率は4.8%(2006年3月)。

一方で、ルクセンブルク内の大企業の殆どは貴族の流れを汲む富裕層の家族経営である。また、経済が好調なために諸外国からの経済難民を多く抱える。殆どの経済難民は不法労働者であり、ルクセンブルクの国籍(あるいは労働許可証)を取得することが出来ない。故に、統計上は貧困層とはみなされない(発覚した場合は国外追放される)。これら人々は、主にフランスの旧植民地(フランス語圏)から訪れるため、ルクセンブルク語で「フランス人の」を意味する言葉が隠語として使われている。

[編集] 国民

住民はケルト人ゲルマン人などの混血が主である。外国人の割合は高く、3分の1程度である。主な外国人はポルトガル人イタリア人、フランス人、ドイツ人である。

言語フランス語ドイツ語ルクセンブルク語の3つが公用語とされているが、法令などの公文書には主にフランス語が使われ、家庭内、友人間、地元に密着した店ではルクセンブルク語(母語)が使われる。また、言語学的にルクセンブルク語はドイツ語の一方言と言ってよいほどドイツ語に似ているため、テレビや映画などはドイツ語放送のほうが人気があるようである。またその他、街やレストランなどではポルトガル語イタリア語などを耳にする機会も多い。

宗教はローマ・カトリックが87%、プロテスタントユダヤ教イスラム教などが13%である。

[編集] 文化

[編集] 世界遺産

ルクセンブルク国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件ある。ルクセンブルクは、もともと丘の上に築かれた城を中心に発展した小国だが、その城と市街が、「ルクセンブルク:その古い街並みと要塞群」として、1994年に登録された。

[編集] 祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
2月下旬 カーニバルの月曜日
移動祝日 復活祭
移動祝日 復活祭後の月曜日 復活祭の翌日
5月1日 メーデー
移動祝日 主の昇天 復活祭の40日後
移動祝日 聖霊降臨 復活祭の50日後
移動祝日 聖霊降臨後の月曜日 聖霊降臨祭の翌日
6月23日 建国記念日
8月15日 聖母被昇天祭
移動祝日 ルクセンブルク市・ケルメス祭の月曜日 8月
11月1日 諸聖人の日
12月25日 クリスマス
12月26日 ボクシングデー

[編集] 有名な出身者

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光

[編集] 脚注

  1. ^ http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h18-kaku/percapita.pdf



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