ユスティニアヌス1世 - Wikipedia

ユスティニアヌス1世

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ユスティニアヌス1世

ユスティニアヌス1世ラテン語Justinianus I, 483年5月11日 - 565年11月14日または15日)は、東ローマ帝国初期、ユスティニアヌス朝の第2代皇帝(在位:527年 - 565年)。

貧農の子から皇帝まで登り詰め、西ローマ帝国の故地を再征服した。また古代ローマ法を集大成した『ローマ法大全』の編纂やハギア・ソフィア大聖堂を再建を果たし、その功績から後世「大帝ギリシア語μέγας (megas))」と呼ばれた。しかし、一方では相次ぐ戦争や建設事業は国力の衰退という大きな負の遺産も残した。

目次

[編集] 生涯

ユスティニアヌス1世時代の東ローマ帝国(青色部分)。青色と緑色部分はトラヤヌス時代のローマ帝国。赤線は東西ローマの分割線。

晩年のユスティニアヌスは軍を軽視したため、軍は弱体化した。また、侵入する異民族に対しては金で紛争を解決しようとしたため、国家財政も破綻した。ユスティニアヌスの死後、北方からの異民族の侵入やサーサーン朝の攻撃を受けて帝国は急速に衰退し始め、8世紀半ばまで外敵の侵入と国内の混乱が続いた。

[編集] プロコピオスによる伝記について

将軍ベリサリウスの秘書官であったプロコピオスは、従軍経験を生かして記した『戦史』でペルシャやヴァンダル・東ゴートとの戦いを記し、その中でユスティニアヌスの征服活動を賞賛している。また『建築について』では、ハギア・ソフィア大聖堂をはじめとするユスティニアヌスの建築活動を称えている。

しかし、一方でプロコピオスは『秘史』という裏ノートを残した。そこにはユスティニアヌス・皇后テオドラ、ベリサリウス夫妻への批判が書き連ねられ、皇后になる前のテオドラのスキャンダラスな行いもこの『秘史』に記されていた。(なお、『戦史』については英語版がペンギン・ブックスのペーパーバックとして発行されている。)

[編集] 容姿・性格

プロコピオスによれば、ユスティニアヌスは中肉中背の丸顔で疲れを知らない健康的な男だったという。自らの生活は質素で、臣下からは「眠らない皇帝」と呼ばれるほど日夜を通じて精力的に政務に励んだ。

性格は怒りを決して顔に出さず、親しみやすく穏やかであったが、その一方で何千人もの無実の人々の殺害を平然と命令することのできる冷酷さを併せ持っていたという。

娼婦だった若いテオドラを正式な妻としたことから物議を醸した。優柔不断な性格であり、妻テオドラの助言に動かされる形で行動することが多かった。

[編集] 肖像画について

ユスティニアヌスの肖像でもっとも有名なのはイタリアのラヴェンナにあるサン・ヴィターレ聖堂内陣にあるモザイク画である。ここには皇后テオドラの肖像も描かれている。

ハギア・ソフィア大聖堂のモザイク画

他にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)のハギア・ソフィア大聖堂にある10世紀のモザイク画がある。ここでは中央に聖母子が描かれ、その左にユスティニアヌスが聖母子にハギア・ソフィア大聖堂を捧げ、右にコンスタンティヌス1世コンスタンティノポリスの街を捧げるという形で描かれている。この図像から、後世の東ローマ帝国においてユスティニアヌスはコンスタンティヌス1世と並ぶ偉大な存在とされていたことが伺える。

またコンスタンティノポリスにはユスティニアヌスの銅像が乗った円柱があったとされているが、1453年オスマン帝国によって東ローマ帝国が滅亡した際に破壊されたため、現存していない。

[編集] 評価

ユスティニアヌスは積極的な外征によってローマ帝国時代の旧領の多くを奪還し、『ローマ法大全』の編纂やハギア・ソフィア大聖堂の再建など文化的功績も残した。だが、ユスティニアヌス本人が親征に赴くことはほとんどなく、実際にはベリサリウスの功による所が大きい。しかしユスティニアヌスはその功績に報いるどころか、むしろその才覚と名声に嫉妬し、常に冷遇するという姿勢を見せた。またこうした大事業の多くは結果として国家財政の破綻を招いたほか、それを補うための重税によって経済は疲弊し、相次ぐ戦乱でイタリアの諸都市は破壊され、国土は荒廃してしまった。さらにこのような状況で重税を課したために征服地は完全に疲弊した。このような統治に、旧西ローマ帝国領でローマ帝国の復活を望んでいた人々は幻滅し離反していった。

こうしたことからユスティニアヌスの死後、東ローマ帝国は急速に衰退してしまい、地中海世界を支配する大帝国から、東南欧・東地中海の地域大国への転換を余儀なくされた。結局ユスティニアヌスの治世は、古代ローマの復興を求めた彼の意向とは裏腹に、古代ローマ帝国の終焉を招く結果になってしまったのである。ただし、一時的にであれ往時のローマ帝国の版図を回復したことは、その後の東ローマ帝国の精神的な支えになった面もある。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 井上浩一 『生き残った帝国ビザンティン』 講談社〈講談社現代新書〉、1990年、254頁。
  • 井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝』 筑摩書房、1996年、246頁。
  • 井上浩一・粟生沢猛夫 『世界の歴史 第11巻 ビザンツとスラヴ』 中央公論新社、1998年、478頁。
  • 尚樹啓太郎 『ビザンツ帝国史』 東海大学出版会、1999年、1227頁。


先代:
ユスティヌス1世
東ローマ皇帝
527年 - 565年
次代:
ユスティヌス2世


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