マラッカ - Wikipedia

マラッカ

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マレーシアの州
Melaka Bandaraya Bersejarah
Malacca
マラッカ州の旗
州旗
ISO 3166-2: MY-04
州の標語: Bersatu Teguh
州歌 Melaka Maju Jaya
マラッカ州の位置
州都 マラッカ
政党 国民戦線
 - 州元首 Mohd Khalil Yaakob
 - 州首相 Mohd Ali Mohd Rustam
歴史  
 - マラッカ王国 15世紀 
 - ポルトガルの支配 1511年8月24日 
 - オランダの支配 1641年1月14日 
 - 英蘭協約 1824年3月17日 
 - マラヤ連邦加入 1948年 
面積
 - 総面積 1,650 km²
人口
 - 2007年 調査 733,000
 - 人口密度 432.1/km²
国際電話番号 06
国際郵便番号 75xxx ~ 78xxx
ナンバープレート M
ウェブサイト: http://www.melaka.gov.my
logo

マラッカ海峡の歴史的都市群:マラッカとジョージタウン
マレーシア

(英名) Melaka and George Town, historic cities of the Straits of Malacca
(仏名) Melaka et George Town, villes historiques du détroit de Malacca
面積 核心地域 148 ha
緩衝地域 284.07 ha
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2), (3), (4)
登録年 2008年
拡張年
備考
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています

マラッカ州 (ムラカ州) (マレー語Melaka, ジャウィملقة, 英語Malacca) は、マレーシアの行政区画 () の一つである。

目次

[編集] 概要

マレー半島西海岸南部に位置し、州都もマラッカである。東西交通の要衝マラッカ海峡に面する港市である。

[編集] 地理

[編集] 州政府の地方行政区分

[編集] 地方自治体

  • 特別市

[編集] 住民

マラッカの住民の大半はマレー人(約60%)や華人(約30%)だが、ポルトガル人の子孫(ユーラシアン:彼らは今でもポルトガル語の方言を話し、カトリック信仰を持つ)やその混血の子孫、中華系(ババニョニャ)、インド系(ママッおよびチッティ)も独自の民族を構成する。

[編集] 歴史

スマトラ島パレンバンの王子パラメスワラが、1396年頃マラッカ王国を建国した。彼はパレンバンを統治していたシュリヴィジャヤ国の内乱に乗じて独立を企てたが失敗、テマセック(シンガポール)に逃亡。王を殺し、王座に着いたがタイに追われ、ジョホールからマラッカへ退避。国を建国する。名前の由来は、木の下で休んでいたところ小鹿が猟犬を蹴飛ばすところを目撃、休んでいた木の名前を取った、と言う説が一般的。マラッカ王国は1414年頃イスラム化し、香辛料の東西貿易における重要な中継港として繁栄を極めた。

1405年には明の永楽帝より命を受け、遠くアフリカ大陸まで大遠征を行った海軍大将鄭和の艦隊も、マラッカ(満剌加)に初寄港している。マラッカ王朝は朝貢貿易を通じ明国との同盟を強固し、北の大国シャム、南のアチェからの脅威を牽制していた。

1511年、ポルトガルのインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが征服し、東南アジアにおけるポルトガル海上帝国の拠点とした。ポルトガル時代には要塞(サンチャゴ砦)やキリスト教会(セントポールチャーチ)が建設され、司令官が常駐していた。イエズス会フランシスコ・ザビエルはここから東アジア布教に出発している。

1641年、オランダ東インド会社がジョホールのスルタンの援助を得て、マラッカを占領した。オランダの東南アジアにおける拠点はジャワ島バタヴィアであったので、マラッカはマレー半島で産するなどを輸出する地方港に転落した。1824年の英蘭条約で、スマトラ島のイギリス植民地と交換にイギリスに譲渡された。その際、マラッカ海峡より西側はオランダ領、東側は英国領と定められた。

1826年、イギリスのトーマス・ラッフルズペナンシンガポールとともに英領海峡植民地を成立させたが、近代港シンガポールの台頭が著しく、マラッカの港湾機能は衰退した。

1941年12月から3年8ヶ月にわたる太平洋戦争下はイギリスに代わり日本軍に占領された。終戦後の1945年、イギリスが再び海峡植民地としたが、独立の機運が高まり、1948年にイギリス保護領下でマラヤ連邦が成立、1957年8月31日に完全独立を遂げる。これに先立ち1956年2月20日、トゥンク・アブドゥル・ラーマン・マラヤ連邦首相がマラヤ連邦の独立宣言を行ったのは、このマラッカである。

1989年4月15日、マラッカは "Historical City"「歴史の都市」として市制の承認を受けた。これを記念し毎年4月15日はマラッカ州で休日に指定されている。港湾都市として発達を遂げたマレーシア最古の都マラッカは現在、観光都市として年間600万人(2007年)を超える国内外からの観光客が訪れている。2008年にはジョージタウンとともに、歴史的な街並みがユネスコ世界遺産に登録された。

世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

[編集] 観光

[編集] ショッピング

セントラル・バスターミナルの近くにあるハイパーマーケット。陸橋を渡っていくことができる。
マラッカの新市街の中心部に位置する。

[編集] 交通

[編集] 空港

2008年3月現在インドネシア国際定期便のみ就航

[編集] 鉄道

マラッカ市内北北東35キロにある最寄り駅であるが、隣のヌグリ・スンビラン州に位置しマラッカ市内まで約1時間かかるため鉄道を利用する地元の人や旅人は少ない。

[編集] バス

長距離バスのほとんどが発着する。市の郊外にあり、ダッチ・スクエアなどに移動するには市内バスやタクシーへの乗り換えが必要。
クアラ・ルンプールジョホール・バルイポーシャー・アラムスレンバン他、マレーシア半島の主要各都市およびシンガポールからの長距離バスが運行している。なお、クアラ・ルンプール国際空港からは、空港リムジンサービスの利用が便利。

[編集] 港湾

[編集] 道路

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
旅行

マレーシアの世界遺産
World Heritage Sites in Malaysia

文化遺産
マラッカ海峡の歴史的都市群:マラッカジョージタウン
自然遺産
キナバル自然公園 | グヌン・ムル国立公園
世界遺産 | アジアの世界遺産 | マレーシアの世界遺産 | 五十音順 | [編集]
ウィキメディア・コモンズに、マレーシアの世界遺産に関連するマルチメディアがあります。

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