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フランス

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フランス共和国
République française
フランスの国旗
国旗 国章(準)
国の標語 :
Liberté, Égalité, Fraternité
(フランス語: 自由、平等、友愛)
国歌 : ラ・マルセイエーズ
フランスの位置
公用語 フランス語
首都 パリ
最大の都市 パリ
政府
大統領 ニコラ・サルコジ
首相 フランソワ・フィヨン
面積
総計 675,417km²47位
水面積率 0.3%
人口
総計(2008年 64,473,140人(20位
人口密度 114人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 1兆6,865億ユーロ(EUR, €)
フランスのユーロ硬貨
GDPMER
合計(2008年 2兆8431億ドル(5位
GDPPPP
合計(2008年 2兆4,858億ドル(8位
1人当り 33,188ドル
形成 843年
通貨 ユーロ(EUR, €)
フランスのユーロ硬貨EUR
時間帯 UTC +1(DST: +2 UTC)
ccTLD FR
国際電話番号 33
  • 注1 : この表のデータは、本土のみで、海外県・属領を含まない。
  • 注2 : 1999年までの通貨は、フラン (₣)。

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランスは、西ヨーロッパ西部に位置する共和制国家。北東にベルギールクセンブルク、東にドイツスイス、南東にイタリアモナコ、南西にアンドラスペインと陸上国境を接し、西は大西洋に、南は地中海に面する。また、北海ドーバー海峡を隔てて北西にイギリスが存在する。海外領土でもサン・マルタン島オランダと陸上国境を接し、南米植民地仏領ギアナでは西にスリナム、南にブラジルと陸上国境を接する。首都はパリ欧州連合加盟国。国連安保理常任理事国

目次

[編集] 国名

正式名称は、République françaiseフランス語: レピュブリク・フランセーズ)。通称、France [frãs]。 略称、RF

公式の英語表記は、French Republic。通称、France

日本語の表記は、フランス共和国。通称、フランス。また、漢字による当て字で、仏蘭西法蘭西などと表記することもあり、と略されることが多い。ちなみに、中国では簡体字法兰西繁体字法蘭西と表記し、と略される。日本でも一部の有識者は仏の字を忌避して法国と書く。

国名のFranceは、11世紀の『ロランの歌』においてまでは遡って存在が資料的に確認できるが、そこで意味されているFranceはフランク王国のことである。一方で987年に始まるフランス王国le Royaume de Franceに、Franceという名前が用いられているが、これは後代がそのように名付けているのであってその時代にFranceという国名の存在を認定できるわけではない。Franceは中世ヨーロッパに存在したフランク王国から名付けられたとされる。ドイツ語では直訳すればフランク王国となるFrankreich(フランクライヒ)を未だにフランスの呼称として用いている。これと区別するためにドイツ語でフランク王国はFrankenreichである。ギリシャ語では古代のこの地域の名称であったガリアΓαλλία)が使われている。

[編集] 地理

フランスの地形図

フランスの国土は西ヨーロッパに位置する本土のほか、地中海に浮かぶコルシカ島南米フランス領ギアナカリブ海マルティニークグアドループインド洋レユニオンといった4海外県、さらにはニューカレドニアフランス領ポリネシアなどオセアニアの属領をも含む。その面積は西ヨーロッパ最大であり、可住地の広さは日本のおよそ3.5倍にも達する。本土の形状はだいたい六角形の形を成しており、これはフランスの公用語であるフランス語にも影響し、六角形を意味する"l'Hexagone"が「フランス本土」を意味する。

フランスの地形のおもな特色は、東から南にかけて山地や山脈という自然の国境がある他は、ところどころに高原や丘陵がみられるものの、国土の大半は概して緩やかな丘陵地や平野で可住地に恵まれていることにある。北部、西部に広がる、フランスでも最も広い領域を占める比較的平らな地域は、東ヨーロッパから続くヨーロッパ中央平原の西端部にあたる。緩やかな起伏の平野で、高所でも標高200m程度の土地が広がっており、温暖な気候と併せて西欧最大の農業国フランスの基礎となっている。東部ドイツ国境にはヴォージュ山脈スイス国境にはジュラ山脈が延びる。ヴォージュ山脈はライン川の西岸に沿って流れ、ライン川がフランスとドイツとの国境となっている。南東部はサントラル高地が広がり、北から南へ流れ下るローヌ川を越えると、アルプス山脈につながっていく。南部イタリアとの国境を成すアルプスの山々は、多くが標高4000m以上で、その最高峰がモンブランである。アルプス越えには古代ローマの時代からいくつかの道があるが、なかでも有名なのがサンベルナール峠である。南西部のスペイン国境にはピレネー山脈が延びる。峠がほとんど無いピレネー山脈は、フランスとスペインとの交易を困難なものにした。サントラル高地の最高峰はドール山 (1,866m)。ピレネー山脈の最高峰アネト山 (3,404m) はスペイン側にそびえる。フランス全土の最高峰はイタリア国境に位置するモンブラン (4,810m)。

主な河川は北から反時計回りに、セーヌ川 (776km)、ロワール川 (1012km)、ガロンヌ川 (647km)、ローヌ川 (812km)。

[編集] 気候

フランスの気候は大陸性、海洋性、地中海性の気候区に分割される。海洋性気候は国土の西部で見られる。気温の年較差、日較差とも小さい。気候は冷涼であるが、寒くなることはない。国土を東に移動するにつれて気候は大陸性となっていき、気温の年較差、日較差が拡大していくと同時に降水量が上昇していく。本来の大陸性気候東ヨーロッパ、つまりポーランドルーマニアが西の限界であるが、フランス東部の高地、特にアルプス山脈の影響によって、大陸性気候が生じている。地中海性気候は国土の南岸で際立つ。気温の年間における変動は3種類の気候区のうち最も大きい。降水量は年間を通じて少ない。

[編集] 歴史

詳細はフランスの歴史を参照

紀元前1世紀までは地中海沿岸のギリシャ人都市を除くとケルト人が住む土地であり、古代ローマ人はこの地をガリアと呼んでいた。ローマ共和国の将軍カエサル紀元前1世紀にガリア諸部族をまとめたヴェルサンジェトリクスを破ってガリアを占領し、ローマの属州とした。その後ローマの平和の下でラテン化が進んだが、5世紀になるとゲルマン系諸集団が東方から侵入し、ガリアを占領して諸王国を建国した。

476年に西ローマ帝国が滅びるとゲルマン人の一部族であるフランク族が建国したフランク王国が勢力を伸ばし始めた。カール大帝(シャルルマーニュ)の時代には現在のフランスのみならず、イベリア半島北部からイタリア北部・ハンガリーのあたりまでを勢力範囲とした。カール大帝は西ローマ帝国皇帝の称号をローマ教皇から与えられた。

[編集] 政体の変遷と主要な事件

ジャンヌ・ダルクは、百年戦争の際にフランスの勝利に寄与したとされるカトリック教会聖女であり、フランスの国民的英雄である。
ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命のあとを受けて第一帝政を開いた皇帝である。

[編集] 政治

詳細はフランス第五共和政を参照

現在のフランスは、直接選挙で選ばれる大統領(任期5年、2002年以前は7年)に首相の任免権や議会の解散権など強力な権限が与えられ、立法府である議会より行政権の方が強い体制が敷かれている。このため、先進国の中でも日本などと並んで官僚機構が強いと言われることが多い。

また、大統領が任命する首相は、大統領にも議会にも責任を負っており、共に行政権を持つ(半大統領制)。このため、大統領の所属政党と議会の多数派勢力が異なる場合、大統領自身が所属していない議会多数派の人物を首相に任命することがある。この状態をコアビタシオンと呼ぶ。こうした場合、大統領が外交を、首相が内政を担当するのが慣例となっているが両者が対立し政権が不安定になることもある。

議会は二院制を採用し、上院に当たる元老院と、下院にあたるフランス国民議会がある。元老院は間接選挙で選出され、任期は6年で3年ごとに半数を改選される。国民議会は直接選挙で選出され、投票に際して小選挙区制と二回投票制度が定められている。優先権は国民議会にあり、元老院は諮問機関としての色彩が強い。

主要政党としては、国民運動連合(保守・右派)、フランス民主連合(中道・若干右寄り)、社会党(中道左派・社会民主主義)、フランス共産党(左派)がある。また、以下は議席を持たないが、国民戦線(極右・移民排斥)、革命的共産主義者同盟(極左・トロツキスト政党)、労働者の闘争(極左・トロツキスト政党)も存在する。

2007年5月6日CEST)に行われた大統領選挙ではニコラ・サルコジが当選し、同16日に第6代大統領に就任した。

[編集] 地方行政区分

詳細はフランスの地方行政区画フランスの地域圏をそれぞれ参照

フランスは26の地域圏に分かれ、フランス本土は、21の地域圏(レジオン région)に区分され、その下に100の(デパルトマン département)がある(各レジオンが2~8のデパルトマンに区分されている)。地域圏はフランス本土に21、コルシカに1つに分かれる。さらに海外には、4つの海外県と、複数の海外領土がある。各県はさらにコミューンに分かれる。

[編集] 主要都市

Category:フランスの都市を参照

フランスはパリへの人口の一極集中が目立ち、同市に次ぐ都市は規模が小さい。つまりジップの法則からのずれが目立つ分布となっている。

都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 パリ イル=ド=フランス 2,166,200 (アーバンエリア:12,067,000) 11 レンヌ ブルターニュ 210,500
2 マルセイユ プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール 826,700 12 ランス シャンパーニュ=アルデンヌ 184,800
3 リヨン ローヌ=アルプ 467,400 13 ル・アーヴル オート・ノルマンディ 183,600
4 トゥールーズ ミディ=ピレネー 437,100 14 サン=テティエンヌ ローヌ=アルプ 175,500
5 ニース プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール 346,900 15 トゥーロン プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール 167,400
6 ナント ペイ・ド・ラ・ロワール 281,800 16 グルノーブル ローヌ=アルプ 155,100
7 ストラスブール アルザス 272,500 17 アンジェ ペイ・ド・ラ・ロワール 153,000
8 モンペリエ ラングドック=ルシヨン 248,000 18 ディジョン ブルゴーニュ 150,800
9 ボルドー アキテーヌ 229,500 19 ブレスト ブルターニュ 145,100
10 リール ノール=パ・ド・カレー 224,900 20 ニーム ラングドック=ルシヨン 144,000
2005年国勢調査

[編集] 外交

アンシャンレジーム期からイスラム圏のオスマン帝国と同盟を結ぶなど独自外交を貫き、第五共和制成立後も冷戦構造の中でフランスの影響力を保つためにOTANの軍事機構からの脱退や、アフリカ諸国との友好関係の強化が行われ、西ドイツ(当時)と共に欧州統合の旗手となった。冷戦終結後は欧州統合を深化し、欧州連合の主要国として存在感を高めている。また、アメリカ合衆国による2003年のイラク戦争には終始反対した。

21世紀に入り、日米を除くG7各国や欧州連合加盟各国が北朝鮮と国交を結んでいる中、2007年1月現在もフランスは国交を締結していない。駐日フランス大使館によれば「今後も、(現在の北朝鮮とは)国交を結ぶ予定はない」との事。[要出典]

[編集] イギリスとの関係

フランスとイギリスは歴史上錯綜した関係を持ってきた。イングランドは、ノルマン・コンクエストを通じてフランス語を母語とし、フランス王国の公爵を兼ねる王に統治されることとなった。こうして、中世のイングランド王は同時にフランス王国の大貴族であり、その立場においてはフランス王の臣下であるという関係が長く続いた。なおかつアンジュー帝国とも称されたプランタジネット朝のイングランド王は、王権の確立が遅れていたカペー朝のフランス王をしのぐ巨大な所領をフランス王国内に所持し、フランス王の勢力を圧倒した。またイングランド王家とフランス王家の姻戚関係もまた深かった。

こうした経緯から、中世のイングランド王家とフランス王家は、フランス王国における覇権をめぐって幾度となく抗争を繰り返すこととなった。ジャンヌ・ダルクが活躍したことで有名な百年戦争は特に長引いた抗争であり、イングランド王家が最終的にフランス王国内の基盤を喪失するにまで至った。この長期の戦争を通じてフランス人とイギリス人の間に、後の国民国家の創生につながる近代的な国民意識の母体となるものが胚胎したともいわれる。

こうした歴史的経緯から、フランス人とイギリス人の間には根深い対抗意識が根付くこととなった。英単語でフランスを意味する「フレンチ」がつく単語はあまり良くない意味であることが多く、フランス語でイギリスを意味する「アングレーズ」がつく料理は簡単かまずいかのどちらかであるとされている。この為、アメリカ英語では「フレンチフライ」と呼ばれるフライドポテトをイギリス人は絶対に「フレンチフライ」とは呼ばない。

ちなみに、英語での生きている牛 (cow) もしくはいきている豚 (pig) と死んだあとの食肉としての牛 (beef) と豚 (pork) の呼び方が異なる理由は、ノルマン・コンクエストによってイギリスを支配したノルマン系のイングランド貴族の母語がフランス語であり、被支配者であるアングロ・サクソン系の農民の育てた家畜は生きている間はアングロ・サクソン系の語彙で呼ばれ、肉となって調理され、貴族の食卓に上るとフランス語系の語彙で呼ばれるようになったのが由来である。即ち、ビーフとポークは本来フランス語である(ただし英語とフランス語のビーフ・ポークの綴りは異なる。

[編集] 日本との関係

日仏関係も参照

[編集] 歴史

1858年10月9日に、フランスから日本に外交使節団長として派遣されたジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵によって、日本と最初の修好通商条約が当時の日本の幕府があった江戸で調印された。

その後、第一次世界大戦において共に連合国として戦い、その後の第二次世界大戦においても、フランスが早期に親独のヴィシー政府となり、フランスがアジアに持っていた植民地である仏領インドシナもヴィシー政権の影響下に置かれたこともあり、日本とほとんど戦火をまじわえることがなかったことから、同じく植民地をアジアに抱えていたことで日本軍との戦闘を行うこととなったイギリスオランダとは異なり、戦後も日本との敵対感情は殆ど無いままであった。なお、第二次世界大戦中の1940年、大日本帝国政府は皇紀2600年奉祝曲の作曲を、ヴィシー政権下のフランス政府を通してイベールに依頼し、イベールは「祝典序曲」を日本に捧げた。

現在も官民を問わず活発な往来が行われている他、経済的にも文化的にも深くかつ幅広い交流が行われているなど親密な友好関係にあり、首都のパリと日本の首都の東京都は姉妹友好都市関係にある。

[編集] フランスにおける日本

ヨーロッパ諸国の中でも、フランスは日本への文化的関心が高い方とされている。フランスの辞書には「サムライ」や「カラオケ」などの日本語が載っており、中には布団を使い、食べ物では納豆蕎麦を食べる日本通のフランス人も見かけられる。パリカフェにはメニューにカマボコが載っているところもあり、スーパーマーケットでも販売されている(その元となるすり身も「スリミ」とローマ字で表示されて売っている)。

近年では、現地のテレビ局により流される子供用アニメの多くが日本製であることから、若者の中では特にマンガアニメが流行しており、アニソンを歌い、マンガとアニメキャラクターのコスプレ大会が行われるなど、日本のマンガとアニメに対するファンも少なくない。日本発のサブカルチャーの祭典であるJapan Expoでは、2008年度は3日間で8万人の動員を記録している。

なおフランスは日本を凌ぐほど柔道が普及しており、その競技人口は56万人を数え(日本は21万人)、世界最大規模である。その実力もかなりのものである。また、宗教では日本のが建てられ、日本で修行をして勉強したフランス人の僧侶がいる。

有名なフランス人の親日家としては、フランス第五共和政の第5代大統領ジャック・シラクがあげられる。シラクは親日家であることを公言しており、公私あわせて40回以上もの来日経験を誇る。一方で、第6代大統領ニコラ・サルコジは日本文化を侮辱する発言をしたことが知られたが、その後の日仏関係に悪化の兆しは見られない。

[編集] 日本におけるフランス

日本では、フランスはファッションや美術、料理など、文化的に高い評価を受ける国として有名であり、毎年多数の日本人観光客が高級ブランドや美術館巡り、グルメツアーなどを目的にフランスを訪れている。また、音楽、美術、料理を学ぶためにフランスに渡る日本人も多く、在留日本人は3万5千人に及ぶ[1]。特に首都パリは文化、流行の発信地、『芸術の都』『花の都』としてのイメージが日本人の間に過剰に強く、イメージと現実とのギャップによる『パリ症候群』という適応障害にかかる日本人もいる。

経済面では、1992年から2000年にかけフランス側が対日輸出促進キャンペーンとして「ル・ジャポン・セ・ポシーブル」を展開したものの、2000年代の現在まで貿易額は漸増傾向を示すに留まり、2004年時点で貿易額は相互に60億ドル台から80億ドル台で推移している[2][3]。日本から見た場合、対仏輸出の構成比は1.5%(各国中15位)であり、一方でフランスからの輸入も1.8%(同13位)と貿易における重要度、依存度は他の先進国中進国と比較してさほど高くない[[4]。これをフランスから見た場合、対日輸出が輸出全体に占める割合は1.6%であり、これはドイツ(14.5%)、スペイン(10.2%)、イタリア(9.2%)、イギリス(8.8%)、ベルギー(7.6%)といったEU諸国、アメリカ合衆国(7.2%)、中華人民共和国(1.7%)に次ぐものとなっている[5]

しかし、直接投資においては、1999年のルノーによる日産自動車の買収に伴い、日産の最高経営責任者となったカルロス・ゴーンは一般の日本人にも知名度があり、これにプジョーを加えフランス車も、ドイツ車などと並んで日本では人気のある海外車種の一つである。他方、日本側もトヨタ自動車がほぼ同時期に北部ノール県ヴァランシエンヌに工場を建設しているほか、NTNなど自動車部品メーカーの工場進出も行われており、近年では1990年代後半にかけて自動車業界を中心に相互に大きな投資が行われている。

他にも、1910年明治43年)には徳川好敏がフランスの飛行機の操縦技術を学び、フランスのある飛行機を持ち帰り、初飛行した。徳川は、日本人としてはじめてのパイロットである。1918年大正8年)1月の第一次世界大戦中にフォールフランス陸軍砲兵大佐を団長にした、63名のフランス航空教育団を日本に派遣した。日本での初飛行や航空教育は、所沢陸軍飛行場(現航空公園)で行われた。また、日本海軍は当初フランスの海軍軍人を顧問としていたことから、フランス海軍の影響が強いと言われる。

[編集] 軍事

詳細はフランス軍を参照

フランス海軍初の原子力水上艦シャルル・ド・ゴール

フランスの国防政策は1959年シャルル・ド・ゴール政権が制定した「国防組織法」によって運営されている。大統領が最高司令官であり、その指導のもとに内閣委員会が国防政策、将官の任免、総動員令や戒厳令の宣布などの意思決定機関として機能する。核兵器を有しており、海軍の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦により運用される。フランス革命からの徴兵制を廃止して志願制にした。

フランス軍陸軍空軍海軍及び憲兵からなり、2002年の総兵力は44万人うち、陸軍17万人、空軍7万人、海軍5.6万人、憲兵9.8万人、その他機関4万人であった。陸軍は地上作戦司令部、補給司令部、9個作戦旅団、2個補給旅団からなる。主要装備は戦車834輌、装甲車4,950輌、各種火砲802門、ヘリコプター498機である。

海軍は戦略作戦司令部と海上、対潜掃海潜水艦などの専門作戦司令部からなる。主要装備は弾道ミサイル搭載原子力潜水艦4隻、攻撃型原子力潜水艦6隻、原子力空母1隻、ヘリ空母1隻、ミサイル駆逐艦3隻、駆逐艦9隻、フリゲート20隻などである。

空軍は6個攻撃戦闘機中隊、7個戦闘機中隊、2個偵察中隊、14個輸送機中隊、5個ヘリコプター中隊、2個電子戦中隊からなり、主要装備は作戦機433機、早期警戒管制機4機、偵察機4機、空中給油機45機、輸送機131機などである。

憲兵は以前は国防部に属していたが、現在は内務省に属し、警察業務を担当する。

国外駐在兵力は約3万人で、うち太平洋地区の海外県(植民地)に約2万人、アフリカに6,500人、国際連合など国際組織の指揮下に9千人がいる。

現在もフランス外人部隊8個連隊を保有する。南仏オーバニュに司令部を置き、南仏各地も駐屯、コルシカポリネシアにも一部が駐屯する。2002年12月からコートジボワールに外人部隊2,500人が派遣され、戦闘状態にある。

[編集] 経済

パリラ・デファンスに本社を置く、国際石油資本として著名なトタル

フランスはGDPではアメリカ日本ドイツ中華人民共和国イギリスに続く世界第6位(2007年現在)の経済大国である。また観光客入国数では世界一、農産物輸出額では世界第2位を占める。農業は生産額世界第6位と依然としてフランスにおける重要な産業であり、EU諸国中最大の規模を誇っている。

第二次世界大戦後はモネ・プランとして知られる戦後の復興計画によって、鉄道や航空、銀行、炭田の国有化がなされ、自動車・電子・航空機産業についても国が主要株主となり、政府は石油と天然ガスにも投資した。1981年ミッテラン大統領の社会党政権時代には産業国有化がさらに進められ、フランスでは政府が経済全体で果たす役割は大きい。1986年に保守派シラクが首相になって国家の役割が縮小されたものの、アメリカイギリスなどと比べても金融・保険・電力・運輸・国防産業などの分野で依然として政府は大きな影響力を有し、国家資本主義の色彩が濃い。

1990年代後半は、ヨーロッパ通貨統合に参加するために強硬な財政赤字削減策が実施されたが、国民の強い反発を招き、消費拡大による景気刺激策に方針が転換された。しかし、2000年を境にGDP実質経済成長率は大きく低下して、財政赤字は2002年以降、連続して対GDP比3%以内というEUの財政協定の基準を大きく超えていた。1990年代の大きな問題だった12%をこえる失業率も、90年代末から改善されて2001年には8%台になったが、その後は再び悪化して2005年初めには10%を突破した。しかし、05年以降、世界経済の好調に助けられる形で経済は持ち直し、財政赤字は3%を切り、失業率も8%台にまで改善された。

2008年度版フォーチュン・グローバル500によると、総収入を指標とした全世界の企業ランキングリストのうち上位100位に含まれるフランス企業は、国際石油資本トタル(本社パリ、8位)、保険のアクサ(パリ、15位)、金融のBNPパリバ(パリ、21位)、金融のクレディ・アグリコル(パリ、23位)、小売のカルフールルヴァロワ・ペレ、33位)、金融のソシエテ・ジェネラル(パリ、43位)、自動車メーカーのプジョー(パリ、66位)、電力会社のフランス電力公社(パリ、68位)、電気通信事業者のフランステレコム(パリ、84位)、水道や電力、ガス事業などを行うスエズ(パリ、97位)が並ぶ。

[編集] EUの中心メンバー

フランスの金融政策は、フランクフルトに置かれるECBにて決定される。

ヨーロッパ連合(英語表記ではEU、但しフランス語表記での略称はUE-Union européenne-フランス語:ユニオン ウロペンヌ となることに注意しなければならない。本項目では特に断りがない限りEUと表記する)の歴史的創立メンバーの1国であり、特に隣国ドイツとの経済的・社会的統合を推進している。フランスの金融政策はフランクフルトヨーロッパ中央銀行で決定され、ナポレオン1世の時代以来使用されていたフランスの通貨フランは、1999年ヨーロッパ通貨統合への参加によって、2002年始めに完全にユーロに切り替わった。

[編集] 農業

国土の36%が農地で、農業従事者は労働力の約3%。1955~2000年で農家の数は3分の1に減少し、相対的に1農家当たりの農地面積、経営規模が拡大した。EU最大の農業国である。穀物、根菜、畜産などすべての農業部門において世界の上位10位の生産高を誇る。穀物としては、小麦大麦トウモロコシ、根菜としてはばれいしょテンサイ、畜産ではブタ鶏卵牛乳の生産が際立つ。このほか、亜麻なたねの生産高も多い。テンサイの生産高は世界一である。

[編集] 鉱業

第二次世界大戦後までは、ルール地方の鉄と石炭が鉱業の大半を占めていた。21世紀初頭においては、既に鉄鉱石の採掘は行われておらず、金属鉱物資源は鉱業の対象となっていない。最も規模が大きい鉱物資源は世界シェア8位 (3.3%) の塩(700万トン、2002年時点)である。

有機鉱物資源では、石炭、石油、天然ガスとも産出するが、いずれもエネルギー需要の数%を満たす水準である。例えば石油の自給率は1.6%にとどまる。金属資源では、銀、金、その他の地下資源ではカリ塩、硫黄を採掘している。

[編集] 工業

フランスの工業は食品工業、製材、製紙、運輸、機械、電気機械、金属、石油化学工業、自動車産業が中心である。世界一の生産高を誇るワイン、世界第2のチーズのほか、バター、肉も五本の指に入り、製糖業も盛ん。製材、製紙はいずれもヨーロッパ随一である。石油化学工業は燃料製造、プラスチック、合成ゴム、タイヤと全部門にわたる。特に合成ゴムとタイヤ製造が著しい。

自動車製造業は世界4位の規模である。自動車の生産は古くから行われており、常に生産台数が世界で5番目に入る自動車大国でもある。主なメーカーとして現在日本の日産自動車を傘下に収めるルノーや、PSA・プジョーシトロエンなどがある。造船業も盛んである。

EADSエアバスマトラなどの企業が代表するように航空宇宙産業も発達しており、ヨーロッパではロシアを除けば、フランスだけが宇宙船発射能力を持つ。

エネルギーでは原子力発電への依存率が世界で最も高い。電力のおよそ78%が原子力発電でまかなわれているのに対し、火力発電は約11%、水力発電は約10%にすぎない。発電用原子炉の数はアメリカ合衆国に次ぐ59基。2001年時点の総発電量5,627億kW時のうち、74.8%(4,211億kW時)を原子力が占める。原子力による発電量自体もアメリカ合衆国の7,688億kW時に次いで2位である。フランスの発電は原子力以下、水力14.7%、火力10.4%、地熱0.1%が続く。総発電量では世界第8位を占める。主な原子力発電所は、グラブリン原子力発電所(5,706千kW、ノール県)、パリュエル原子力発電所(5,528千kW、セーヌ=マリティーム県)、カットノン原子力発電所(5,448千kW、モゼル県)。2001年現在で発電規模世界第4位、5位、6位を占める。

[編集] 貿易

フランスは伝統的に西ヨーロッパにおける最も重要な農業国である。さらに、第二次世界大戦後に工業関連企業を国有化することによって合理化が進み、EC域内の工業国としてもドイツに次いで重要な位置を占めるようになった。2003年における全工業製品の輸出額はドイツの約40%であった[6]。フランス工業(EC域内工業)の特徴は域内分業である。各産業は国内市場よりもEC域内市場を対象としており、フランスにおいても2004年における貿易依存度は輸出20.7%、輸入21.6%まで高まっている。2003年における輸出額は3660億ドル、輸入額は3696億ドルである。

輸出を金額ベースで見ると、工業製品が大半を占める。品目別では、自動車14.3%、電気機械11.2%、機械類10.4%、航空機5.4%、医薬品5.0%である。工業製品が80.4%、食料品が11.2%という比率になっている。主な輸出国は金額が多い順に、ドイツ、スペイン、イギリス、イタリア、ベルギーであった。

フランスは2004年時点の小麦の世界貿易(輸出)において、第4位(12.5%、1,489万トン)を占めていた。さらにとうもろこしの世界貿易では第3位(7.4%、616万トン)、砂糖では第4位(5.2%、234万トン)、チーズでは第2位(14.3%、58.3万トン)を占めている。しかしながら、農産物は工業製品に比べて単価が安いことから輸出全体に占める比率は高くない。同じことが工業製品である鉄鋼の貿易にも当てはまる。フランスは2005年の世界貿易(輸出)において、第4位(1,800万トン)を占めているが、フランスの総輸出額に占める割合は5%未満である。一方、単価の高い自動車は2004年における輸出シェアが世界第2位(426.9万台)であることを反映し、もっとも重要な輸出品目となっている。

輸入は工業製品が77.4%、原材料と燃料が13.8%、食料品が8.4%という構成である。輸出入とも工業製品が約8割を占める。品目別では、電気機械13.1%、自動車11.0%、機械類10.0%、原油5.1%、衣類4.1%。主な輸入国は金額順に、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーであった。

1986年時点の貿易は、輸出1,191億ドル、輸入1,279億ドルであった。輸出に占める工業製品の比率は77.2%、食糧品は15.4%であることから、次第に輸出品に占める工業製品の割合が拡大して来たことが分かる。輸入品についてはこの傾向がより顕著である。

[編集] 高失業率

近年は慢性的な高失業率に悩まされており、特に西アフリカ中東北アフリカなどの元植民地からの移民とその子孫の失業率が高いため、不満が鬱積したこれらの失業者による暴動が度々起きている。とりわけ2005年10月27日に発生した移民の死傷事件は、これをきっかけに、パリを始めとしたフランス全土、さらに隣国のドイツやベルギーにも暴動が広がっている。→2005年パリ郊外暴動事件を参照。

就業者を上げるために、2006年3月に26歳以下の若者を2年以内の雇用なら理由なく解雇出来るという、青年雇用対策「初期雇用契約」(CPE)を制定したが、逆に「安易な首切りを横行させる」と若者を怒らせる結果となり、フランス国内の大学でのCPE反対の抗議活動が激化、若者が暴徒化し警官隊と衝突する事態に陥った。CPE反対に際しては労働団体も同調しており、抗議行動への参加や、3月28日には全国でTGVをはじめとする鉄道やバスなど公共交通機関の運休のほか、郵便局や公立学校などの公的機関、銀行や電力会社など幅広い業種でゼネラルストライキが行われ、交通機関などでマヒ状態に陥った。ドビルパン首相は撤回に応じないと表明したが、4月10日になり、シラク大統領がCPEの撤回を表明した。

[編集] 国民

欧州最大の多民族国家であるフランス本土では、ケルト人ラテン人ゲルマン系のフランク人などの混成民族であるフランス人が大半を占める。また、本土でもブルターニュではケルト系のブルトン人スペインとの国境付近にはバスク人アルザスではドイツ系のアルザス人などの少数民族が存在する。また、コルシカ島イタリア人に近い民族コルシカ人が中心である。一方、西インド諸島やポリネシアの海外県では黒人や有色人種系の市民が多い。

伝統的にフランスは東欧などから多くの移民・政治的難民を受け入れており、低賃金労働に従事する労働者もいた一方、フランスに移住した有数な才能の手で文化や科学を発達させてきた。近年では、アフリカ(主に1960年代までフランスの植民地であった地域)・中近東からの移民が多い。彼らの中から政界・経済界や文化界、俳優ミュージシャンスポーツ選手など大衆文化の世界で活躍する人材が多く出ているが、ほとんどは「バンリュー」と呼ばれるスラム化した大都市郊外の団地に住んでおり、失業や犯罪率などが問題になっている。

なおフランスは早くから少子化対策に取り組み、GDPのおよそ2.8%にも相当する巨費を投じ国を挙げて出産・育児を支援する制度を様々に取り入れてきた。代表的なものとしては世帯員(特に子供)が多い家庭ほど住民税所得税などが低くなる『N分N乗税制』や、公共交通機関の世帯単位での割引制度、20歳までの育児手当などがある。この結果、1995年に1.65人まで低下したフランスの出生率は2000年1.89人に、2006年には2.005人にまで回復した。現在先進国で出生率が2人を超えている国は他にアメリカ合衆国ニュージーランドぐらいであり、フランスはヨーロッパ一の多産国となった[7]

ただ一方で子供を4人以上産めば事実上各種手当だけで生活する事が可能となり、結果として低所得者が多いアフリカ系の移民やイスラム系の外国人労働者を激増させているのではないかとの指摘もある。これに対してINSEE(フランス国立統計経済研究所)は「移民の出生率は平均より0.4%ほど高いが、全体に占める割合が大きくないので大勢にそれほど大きな影響を与えているわけではない」と説明している[8]

[編集] 言語

憲法第二条によると、1992年からフランス語はフランスの唯一の公用語である。このことにより、フランスは西ヨーロッパ(ただし極小国を除く)において公認された公用語が一つしかない唯一の国家となっている。ただし、フランス本土と海外領土を併せるとオック語などの幾つものロマンス語系の地域言語が存在するほか、ブルターニュではケルト系のブレイス語(ブルトン語)アルザスではドイツ語の一方言であるアルザス語、コルシカではコルシカ語など77の地域語が各地で話されている。近年まで、フランス政府と国家の教育システムはこれらの言語の使用を留めてきたが、現在は様々な度合いで幾つかの学校では教えられている。その他にも移民によってポルトガル語イタリア語マグレブ・アラビア語ベルベル諸語が話されてる。点字が生まれた国でもある。

[編集] 宗教

ゴシック建築教会堂で、フランスの宗教建築を代表するサント・シャペル

宗教面では、国民の約7割がカトリックとされている。カトリックの歴史も古くフランス国家は