トーマス・エジソン - Wikipedia

トーマス・エジソン

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トーマス・エジソン

トーマス・アルヴァ・エジソンThomas Alva Edison, IPA: ['tɑməs 'ælvə 'edəs(ə)n], 1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、生涯におよそ1,300もの発明を行ったアメリカの発明、起業家。

「発明王」の異名を持つ。研究所が置かれたニュージャージー州メンロパーク(メンロー・パークとも表記する)にちなんで、「メンロパークの魔術師」 (The Wizard of Menlo Park) とも呼ばれた。リュミエール兄弟と並んで映画の父とも言われている。ゼネラル・エレクトリック (GE) の雇われ社長でもある。このほか、自らの発明の権利を守るため訴訟を厭わなかったことから「訴訟王」の異名も持つ。一方でジョルジュ・メリエスの傑作「月世界旅行」を公開前に無断で複製しアメリカ中の映画館に売りつけ巨額の富を得たという事実も存在し、偉大な発明家で自身の権利には厳しいが、他者から奪い取る点に関しては積極的で金に汚いという二面性を持つ。

日本では長らく「エジソン」という表記が定着していたが、近年は "-di-" という綴りを意識して「エディソン」「エディスン」と表記する場合もある。

「電球を発明した」として有名であるが、実際には電球のような家電を含めて発電から送電まで電気の事業化に成功した点が功績として最も偉大である。

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

1878年のエジソン

エジソンは1847年2月11日にミラン(オハイオ州)で父サミュエル・オグデンJr.(1804年 - 1896年)と母ナンシー・エリオット(1810年 - 1871年)の間に生まれた。エジソンは7番目の子供で、7歳の時に家族はポートヒューロン(ミシガン州)に移った。

小学校に入学するも、教師と馬が合わず中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにする事が出来ず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ1個なの?」と質問したり、国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問するといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発していたという。

その様な好奇心は学校内に止まらず、「なぜ物は燃えるのか」という事を知りたいと思い立ち、薬を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させてしまった事もあった。これらの事が重なった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」とまで吐き捨てられ、校長からも入学から僅か3ヶ月で退学を勧められたという。背景としてエジソンがLDADHDを併せ持っていた事が考えられる。

学校だけではなく、父親のサミュエルからも見放されたエジソンは、勉強は小学校の教師であった母親に教わった[1]。母は教育熱心だったらしく、エジソンは家の地下室に様々な化学薬品を揃えてもらっていた[2]

[編集] 発明王

この様な少年時代を送ったが、母親の理解も手伝いその後発明を複数行い、1877年蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得。ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、集まった人材を発明集団として機能させるべく、マネジメント面で辣腕を振るった。後年の伝記ではこれを「天才の集合」 (Collective Genius) と呼んでいる。

この研究所で電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離符、電灯照明、等を矢継ぎ早に商品化した。なかでも注力したのは白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。この特許の有効性について訴訟が起こり、裁判で特許(番号223,898)が有効と判定されるまでに時間がかかった。一方で白熱電球の売り込みの為の合弁会社を成立。直流の電力を供給するシステムを確立させる。

1887年にウェストオレンジ研究室に移る。ここでは動画撮影機キネトグラフを発明した。

[編集] 晩年

鉱山経営等にも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に篭り死者との交信の実験を続ける。研究所が火事で全焼し約200万ドルの損害を蒙ったが、臆せずその後も死者との交信についての研究を続けた。1931年10月18日、84歳でその生涯を終えた。

[編集] 家族と友人

息子は政治家のチャールズ・エジソン[3]

自動車王のヘンリー・フォードとは生涯の友人であった。フォードは1967年、エジソンは1969年に、それぞれ自動車殿堂入りをしている。

[編集] 発明とその裏側

トーマス・エジソン

エジソンの功績は類稀なものがあるが、改良発明も多く、盗作疑惑のあるものや、誹謗中傷を受けたものも多い。これは彼自身の性格に起因する面がある一方、エジソンの遺産相続の紛糾に起因する面もある。

発明の中には、エジソンがゼロから思い付いたものなのか、他人のアイデアを改良したものであるのかが、既に分からなくなってしまっているものもある。チャールズ・ケタリング(アメリカの発明家)の「成功の99パーセントは、いままでの失敗の上に築かれる」という言葉から分かるように、エジソンの発明の「本当に最初の」発明者を決めるのは困難である。

電話機の発明はアメリカ大陸における電信事業を独占していたウエスタンユニオンに依頼されて着手。その結果、電話に関する特許を得たグレアム・ベルとその後援者たちと対立するに至る。送話器において音声(空気の密度)の変化を捉えるためにベルの電磁石に換わって炭素粒を用い、また誘導コイルにより送話距離を伸ばしたのはエジソンの功績である。長距離で利用するためには、リー・ド・フォレストの「三極真空管」まで待たなければならなかったが、「エジソン効果」がなければ真空管の発明が遅かったのはいうまでもない。エジソンはベルが電話機の発明者とされるのは最後まで納得がいかなかったとされる。

一方で無線機の発明については、あっさりとグリエルモ・マルコーニに手柄を譲っている。この点は輸出も狙っていたエジソンは上流階級出身者でイギリスやヨーロッパの官庁に強いコネクションを持つマルコーニと正面から喧嘩をしたくなかったとも、元々アマチュアで変調などについても知識の浅いマルコーニを敵とすら見ていなかったともされている。そもそも電波についてはマックスウェルが予言しヘルツが実証した時点で世界中で開発ブームとなった事から順番争いよりも関連特許取得の競争が重要でありこの点はマルコーニもエジソンもどちらも資本家であることから認識を同じくして、どちら側も買収戦争に参加している。

一般にはエジソンが白熱電球の発明者であるという話が広まっているが、白熱電球を発明したのはジョセフ・スワンである。エジソンはフィラメントに竹を使った功績だけを主張しており、結局はタングステンに取って代わられる。エジソンは「電球の発明者」ではなく、電球を改良して「電灯の事業化に成功した人」と言うべきだろう。エジソンは配電システムを構築し、トースターや電気アイロンなどの電気製品を発明した。このために広く家庭に電気が普及したのである。

映画の発明においてはリュミエール兄弟オーギュスタン・ルプランスに遅れをとるも、ジョージ・イーストマンの協力により、セルロイド製の長尺フィルムを手に入れる事により巻き返す。エジソンとエジソンの研究所のスタッフが規格化(デファクトスタンダード)した35mmフィルムのスプロケットの規格は現在でも使われている。この点はGEの資本力が映画業界にも及んでいたことの証明でもある。

英単語の "HELLO" を発明したのはエジソンだという説がエジソン信奉者によって唱えられたことがあったが、これより以前のマーク・トウェインの作品で既にこの語が用いられている。 "HELLO" は19世紀前半に使われるようになったが、電話の挨拶にひんぱんに使われるようになり、1883年には辞書に載った。

[編集] オカルト研究

エジソンにはオカルト・超自然的なものに魅せられていたという一面もあった。ブラヴァツキー夫人やバート・リーズ降霊術を信じていて、ブラヴァツキー夫人の開く神智学会に出席した事もある。また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置 (Spirit Phone) を研究していた。ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。

エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録する事で発明としていた」に過ぎないのだという。

[編集] 「天才は1%のひらめきと99%の汗」の真意

エジソンは自身を自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していた。「天才は1%のひらめきと99%の汗」 (Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.) という有名な発言がある。これは「インスピレイション」(ひらめき、霊感)と「パースピレイション」(発汗作用)が脚韻で、「パーセント」(百分率)と「パースピレイション」(発汗作用)が頭韻になった洒落であるが、努力の重要性を物語る発言として人口に膾炙(かいしゃ)している。

しかし本人が後年語ったところによると

トーマス・エジソン 取材した若い記者は私の言葉を聞いて落胆したのか大衆受けを狙ったのか、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまった トーマス・エジソン

ものである。

実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だった。言い換えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」ということである。それこそが、例えば竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続けるよう彼を支えたものであったと思われている。つまり、エジソンにはひらめきに裏付けられた確信があったのであろう[4]

最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よいアイディアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。

エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった[5]

天才には「アインシュタイン型」と「エジソン型」の2つのタイプがあると言われ、前者はひらめき重視型、後者は努力重視型とされている。ただしこれは、冒頭のエジソンの誤解された発言を元にしたものである。エジソンもまたひらめき重視型の天才であって、両者ともに同じタイプの天才だったのである。

[編集] エピソード

自身が開発した初期の蓄音機とともに。1878年、エジソン31歳。
  • 17歳の頃にカナダの駅で夜間電信係として働いていた時、何もなければ一晩中「一時間おきに勤務に就いている事を示す信号を送る」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を「発明」した。電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、まったく誤差なく正確に一時間おきに電信が届くことを不思議に思って様子を見に来た上司に見咎められ「お前が寝てたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これが最初の「発明」だった。
  • 蓄音機を発明した際、研究所にジョン・ヴィンセント主教という神父が現れた。彼は「機械が喋る訳がない。腹話術師でも隠れているのだろうから、いかさまを暴いてやる」と、聖書に登場する難しい人名を立て続けに並べた早口言葉を蓄音機に向かって喋った。しかし、完璧に言い返されたので、彼は仰天した。
  • 考え事をしていた為、話しかけてきた妻に「君は誰だっけ?」と質問し妻を怒らせた。
  • 助手が電球の容積を算出するために難しい計算に取り組んでいたとき、「私なら電球に水を入れて容積を計るよ。」とアドバイスした。理論よりも実践派であったことを物語るエピソードである。
  • 発明に関しては時間を忘れて没頭した。「私が若い頃は一日八時間労働なとどいうものがなかった。私が仕事を一日八時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ。」と語っている。
  • また、彼は自分の発明の権利を守ることにも非常に熱心であり、そのための争いをいとわなかった。ために彼の生涯を「1%のひらめきと99%の訴訟」と評する人がいる。

[編集] その他

  • 耳が遠かったと言われている。少年期のエジソンは列車で売り子のアルバイトをしていたが、ある時ホームから列車に乗るのが間に合わず、走る列車から乗務員が手を伸ばし、エジソンの両耳を引っ張って乗せてくれたことがあったという(エジソンが両手に荷物を持っていたため、手を引っ張れなかった)。その際に耳を痛めてしまったらしい(エジソン本人の談話)。耳が遠かったので、電話の発明では受話器の性能を重視していたという話も存在しており受話器を現在の形に改良したのはエジソンによるものとされる。耳が悪くなったのは、列車の中で化学実験をして火事を起こし、乗務員に拳骨を食らったからだという話もある。
  • 電気椅子による死刑の方法をニューヨーク市に提案した。背景には送電方法について、かつてエジソンの部下であったニコラ・テスラ等を擁して交流を推進するウェスティングハウス・エレクトリック社との対立があった。直流送電派のエジソンは、交流発電機を使った感電動物実験を重ね、いかに危険な送電方法かを印象づけるために、電気椅子の電源に交流の採用を画策した。しかしこのネガティブキャンペーンは失敗に終わっている(詳細は電流戦争を参照のこと)。また、自分の発明したトースターの売れ行きを伸ばすため、一日三食を勧めた。トースターは当時の電気製品としては消費電力が大きいため電力売上に貢献していた。
  • 電流戦争での敗北の原因(というより交流を否定した原因)はエジソンが微分積分などの高等数学(交流の仕組みを理解するためには必須である)を理解できなかったからだと言われている。これはエジソンが高等教育を受けていなかったため理解出来なかったと思われる。同じことは投機での失敗にも現れている。
  • 白熱電球の改良に使用したの産地である、京都男山石清水八幡宮境内に彼の記念碑がある。電気電波コンピュータの守護神として崇敬を集めている電電宮がある京都嵐山法輪寺にも記念碑がある。
  • エジソンはフィクションの世界でも英雄として描かれた。1898年にギャレット・P・サービスより書かれたSF小説『エジソンの火星征服』(Edison's Conquest of Mars)は、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』の後日譚で、エジソンをはじめとした人々が協力して火星に攻め込む話であった。
  • エジソンの死に際し、全米ではエジソンの功績を讃え、彼の死を弔うため1分間電灯が消された。しかし、その情報がしっかりと行き渡っておらず、突然の停電にパニックになった地域もあった[6]

[編集] 日本人との関係

エジソンが、日本の竹を電灯に使用した事は広く知られているが、日本人と幅広い親交があった事はあまり知られていない。エジソン・マシン・ワークス社で2年働いた後に日本電気 (NEC) を設立した岩垂邦彦や、白熱舎(現: 東芝)を設立した藤岡市助らが直接影響を受けた他、渋沢栄一金子堅太郎尾崎行雄御木本幸吉星一野口英世等と親交があった。

最近では、エジソン唯一の日本人助手岡部芳郎の存在が分かっている。1905年頃から9年間エジソンの助手として働いた後、エジソン式トーキー映写機の技師として日本に帰国、松井須磨子の「カチューシャの唄」(制作: 日本キネトフォン)を制作・上映した。岡部の存在は長らく知られていなかったが、1931年1月22日に日比谷公会堂にて行われたエジソン追悼会の席上、追悼会長であった金子堅太郎によって「日露戦争の戦費調達のため訪米した際、エジソンより秘密研究室で働く日本人を紹介されたのが岡部芳郎君」と紹介された。

エジソンは新渡戸稲造の『武士道』の愛読者としても知られる。

[編集] 現代への影響

  • エジソンプロジェクトという、エジソンが残した500万枚以上のメモや記録を整理、分析するという計画がアメリカで進行しているが、全貌の解明には至ってない。
  • 彼の数々の発明品の中で商業的に成り立つものは大量生産され、我々を大量生産、大量消費の時代へと導いた。
  • それらの製品は現在、栃木県壬生町にあるバンダイミュージアムに収蔵されており、往時を偲ぶ事が出来る。
  • アメリカ国内の電力・配電会社の社名でエジソンの名前を冠しているところは少なくない。コンソリエイテッド・エジソン(ニューヨーク)、サザンカルフォルニア・エジソン(ロサンゼルス)、コモンウエルズ・エジソン(シカゴ)などが挙げられる。

[編集] 脚注

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  1. ^ 母親が元教師であったというのは、登校拒否児が偉人では都合が悪いという文部省の意向により日本の伝記作家が創作した設定であるとも言われている。最初の出産時に10代であった母親はそんな知的な人物ではなかったという。
  2. ^ 人間が空を飛べるようになる薬を創ろうと試み、完成した薬を友人に飲ませて、薬を飲んだ友人がもがき苦しみ出して大騒ぎになったこともあった。
  3. ^ エジソン,チャールズ
  4. ^ 出典: 浜田和幸『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』日経ビジネス人文庫、2000年 ISBN 4-532-19020-7
  5. ^ 二人とも研究以上にジョークを作ることに没頭したことでも知られている。
  6. ^トリビアの泉」へぇ~の本 第12巻(講談社刊)より

[編集] 関連項目

ウィキクォート
ウィキクォートトーマス・エジソンに関する引用句集があります。
ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク



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