タジキスタン - Wikipedia

タジキスタン

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タジキスタン共和国
Ҷумҳурии Тоҷикистон(キリル文字)
جمهوری تاجیکستان(アラビア文字)
タジキスタンの国旗 タジキスタンの国章
国旗 (国章)
国の標語 : なし
国歌 : タジキスタン共和国国歌
タジキスタンの位置
公用語 タジク語
首都 ドゥシャンベ
最大の都市 ドゥシャンベ
政府
大統領 エモマリ・ラフモン
首相 アキル・アキロフ
面積
総計 143,100km²92位
水面積率 0.3%
人口
総計(2004年 7,011,556人(95位
人口密度 49人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 71億ソモニ
GDPMER
合計(2005年 23億ドル(144位
GDPPPP
合計(2003年 69億9,600万ドル(142位
1人当り 1,000ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年9月9日
通貨 ソモニTJS
時間帯 UTC (+5)(DST: なし)
ccTLD TJ
国際電話番号 992

タジキスタン共和国(タジキスタンきょうわこく)、通称タジキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦共和国。首都はドゥシャンベ

南にアフガニスタン、東に中華人民共和国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接する。

目次

[編集] 国名

正式国名は、キリル文字Ҷумҳурии Тоҷикистон (Jumhurii Tojikiston)、アラビア文字でجمهوری تاجیکستان(Jumhūrī-i Tājīkistān)。読みは、ジュムフーリーイ・トージーキストーンあるいはジュムフーリーイ・タージーキスターン。通称は、Тоҷикистон / تاجیکستان。

公式の英語表記は、Republic of Tajikistan。通称、Tajikistan

日本語の表記は、タジキスタン共和国。通称、タジキスタン

国名は、タジク人の自称民族名Тоҷик(タージーク、トージーク)と、タジク語で「~の国」を意味する -истон の合成語である。タジク(ペルシア語ではタージークtājīk)の語源は明らかではないが、中国イスラム帝国を指した「大食」(タージー)と同じで、元はペルシア語で「アラブ人」を意味した語であると言われ、のちにアラブ人からイスラム教を受け入れたペルシア・イラン系の人々のことを指すようになったとの俗説もあるが根拠はない。タジク語、ペルシア語、ダリー語で、"Tāj" は「王冠」を意味し、単純には「冠の人たちの国」となり、現在タジキスタン国内で国名の由来を説明するときに用いられる通説である。

[編集] 歴史

紀元前2000年から紀元前1000年にかけて、アーリア系諸部族がユーラシア草原から中央アジアに移住し、オアシス地方で独自の文化を創り上げていた。

現在のタジキスタンの領土にあたる地域は古来より、最盛期のアケメネス朝ペルシア帝国の東部辺境としてギリシア世界に知られ、同地域から出たスピタメネスは服従と裏切りの奇策でアレキサンダー大王などの東征を食い止めるなど、様々な民族の往来・侵入・支配を受けつつも果敢に反撃し、逆にパミール高原を境とする中国、インド・アフガニスタン、イラン・中東の結節点としての文明の十字路たる地位を確立するとともに、山岳地域は被征服民族の“落武者の隠れ里”として、各地のタジク語諸方言だけでなく、ヤグノブ語、シュグナーン語、ルシャン語、ワハーン諸語を話す民族を今日まで存続させるなど、その歴史的・社会的意義は言語の世界に留まらない。8世紀アラブ人が到来し、イラン系の言語を話していたこの地域の住民たちの多くはイスラム教を信奉するようになり、9世紀にはタジキスタンからウズベキスタンにかけての地域で、土着のイラン系領主がサーマーン朝をブハラを首都に王朝を立てた。しかし、サーマーン朝は同地域でのタジク系最後の独立王朝となる。やがてテュルク民族が到来すると、タジキスタンとウズベキスタン、アフガニスタン、イランなどにかけて広く居住するイラン系の言語を話すムスリム(イスラム教徒)定住民たちは都市部においては侵入してきたテュルク語系諸民族と混住し、テュルク系言語とイラン系言語のバイリンガルが一般的となり、双方の民族とも民族としてのアイデンティティは低く、例えばタジクという呼称よりも、出身地により自らを「サマルカンド人」や「ブハラ人」などと呼ぶなど、出身都市や集落に自己のアイデンティティを求めることが多かったようである。

16世紀にはタジクたちの中心地域であるトランスオクシアナ(ウズベキスタン中央部からタジキスタン北西部)に、ボルガ河流域で強大になったウズベク人(シャイバニ・ウズベク族)が侵入し、ウズベク族の建てたブハラ・ハン国の支配下に入る。19世紀ロシア帝国では軽工業を基幹とする産業革命が進行していたが、アメリカ南北戦争の影響から棉花の値段が上昇したため棉花原料の確保が困難となり、ロシア帝国では「安い綿原料の確保」ばかりでなく、「大英帝国による中央アジアの植民地化阻止」及び「平原を国境とすることの危険性」といった観点から、中央アジアへの南進及び領土編入・保護国化が進められた。南北戦争の直後にブハラ・ハン国はロシアの保護国となり、さらに20世紀にはロシア革命の影響を受けたブハラ青年らは保守的なブハラ・ハン国を倒壊し、ブハラ人民ソビエト共和国を打ち立てた。ちなみに、当初オスマン・トルコ帝国は日露戦争での日本の活躍をほとんど注目しておらず、むしろロシアと敵対関係にあったブハラ・ハン国の政府に支援されたブハラからの留学生が留学先のベルリンでロシアが日本に敗れたことを知り、ブハラ・ハン国とその同盟国たるオスマン・トルコ帝国に知らせている[要出典]。その留学生らは、日本の近代化の原動力を明治維新だと知ると、同じような革命の気運がトルコやイランに拡大した。しかし、ロシアの力が余りに強大だったウラル山脈地域や中央アジアでは、本来は民族主義に相容れない社会主義革命に民族自決のための希望を見出した。しかし、1924年、ソビエト政府は中央アジアの各自治共和国を民族別の共和国に分割統治再編する「民族境界区分」の画定に踏み切り、それまでテュルクの定住民とまとめて「サルト」と呼ばれてきたイラン系のタジクたちが、タジク民族として公認されるとともに、ブハラの東部とトルキスタン自治共和国の南部が切り分けられて現在のタジキスタンの領域にタジク自治ソビエト社会主義共和国が設置された。

このように、中央アジア地域では、ナポレオンやフィヒテの唱えた西欧型民族自決の言葉と引き換えに、本来の民族共生というアジア的な優れた生き方を少なくとも政府のイデオロギーレベルでは失うことになり、本来は中央アジア諸国が一団となれば巨大な経済圏となるはずであったのが、結果的に諸国の分立と少数民族と多数派民族とのあらゆる格差を生み出すことになった。以上のような考え方はタジクへももたらされたものの、トルコ革命後にパミールへ逃れたエンヴェル・パシャ将軍らが唱えた「汎テュルク主義」はロシアとの対立を望まない新生トルコにより却下され、反ロシア・反ソヴィエトのバスマチ抵抗運動は旧地主・支配階層による抵抗運動の枠を超えられず、中央アジア諸民族の結束力の弱さを体現している。この旧地主・支配階層は、その後アフガニスタンに逃れ、一部は湾岸諸国やイラン、或いは西欧に亡命して現在に至っている。

一方で1929年、タジクはウズベク・ソビエト社会主義共和国から分離し、ソビエト連邦構成国のひとつタジク・ソビエト社会主義共和国に昇格する。ダマンスキー島をめぐる中ソ国境紛争の調停の結果、タジキスタンの東部パミール地域にあるゴルノ・バダフシャン自治州にあるムルガーブ県の一部領土が中華人民共和国に割譲されるなど、中央政権にとってのタジキスタンのパミール地域は「削られても痛くない辺境地域」として見られているかと見間違うほどである。こうして形成されたタジク国家は1990年主権宣言を行い、1991年に国名をタジキスタン共和国に改めるとともに、ソ連解体にともなって独立を果たした。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に参加する。ロシアとは同盟関係にあり、国内にロシア軍が駐留している。

1992年、タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間で内戦がおこった。1994年の暫定停戦合意およびエモマリ・ラフモノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国連タジキスタン監視団(UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で武装強盗団に銃撃され殉職する事件が起こった。1997年に内戦は終結、監視団は2000年に和平プロセスを完了させ、以後は国連タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が復興を支援した。2001年対テロ戦争以来、フランス空軍も小規模ながら駐留している(2008年現在)。

ラフモン大統領の長期政権によって、ロシアや中国上海協力機構加盟)、米国との関係強化が行われ、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持しているようである。和平後のマクロ経済成長は順調で負債も順調に返済していたが、2006年に中華人民共和国が道路建設支援を目玉に大規模な借款を行ったために、タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、及び出稼労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、或いはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。したがって、戦乱に明け暮れる大陸地域と同様に、本来はタジキスタンにも国際社会の注目が集まって然るべきであるが、先進諸国内に蔓延する「馴染みが無い」という身勝手な理由により必要な支援が向けられていない。

[編集] 政治

タジキスタンは共和制をとる立憲国家である。現行憲法1994年11月に採択されたもの。

国家元首として強大な権限を憲法により保障されている大統領は、国民の直接選挙で選出され、任期は7年と長い。首相を任命する。副大統領職は無い。

内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、最高会議の承認のもとに大統領が任命する。

立法府二院制最高会議(マジリシ・オリ)で、国民議会上院、マジリシ・ナモヤンダゴン)と人民代表議会下院、マジリシ・ミリー)で構成される。国民議会は33議席で、うち25議席は地方議会による選出枠、残りは大統領が任命する。人民代表議会は63議席で、その内、41議席は小選挙区制、22議席は比例代表制で選出される。両院とも任期は5年。

主要政党には大統領エモマリ・ラフモン(2007年4月14日、ラフモノフから改名)率いるタジキスタン人民民主党旧ソ連時代の政権党であったタジキスタン共産党、そしてイスラム主義宗教政党タジキスタン・イスラム復興党の3つがある。この3党は、比例代表制での5%障壁を超えることができた。タジキスタン人民民主党以外は野党つまり反政府派であり、当初の和平協定では反政府派に政府閣僚級ポストの5%が所定枠として当てられ、「民主的国家」を目指すことになっていたが、2006年11月の大統領選挙で現大統領が再選すると野党反政府派は主要ポストからほぼ退かされた状況にある。

最高司法機関は最高裁判所で、その裁判官は大統領が任命する。

[編集] 地方行政区分

詳細はタジキスタンの行政区画を参照

首都はドゥシャンベ。地方は、首都を含む政府直轄地域、南部のハトロン州(州都クルガン・テッパ)、北部フェルガナ盆地方面のソグド州(州都フジャンド)の2州と、東部パミール高原のゴルノ・バダフシャン自治州(州都ホログ)に分けられる。

その他の主要都市は、パンジャケント、ガルムなどがある。

州より下の行政単位は、[行政郡(nohiya) - 地区(jamoat) - 村(deha)或いは集落地]が一般的であり、行政郡の中心部に市(shahrak)をおくこともある。ただし、地方の大きな都市は独立した行政単位であり、特に首都のドゥシャンベ市は非常に権限の強い行政単位である。ドゥシャンベ市の内部は、区(nohiya)が置かれ、住民自治の一端を担っている。

[編集] 地理

タジキスタンの衛星写真

国土のほとんどは山岳地帯で、中国との国境に至る東部はパミール高原の一部。北部のフェルガナ盆地では、ウズベキスタン、キルギスと入り組んで国境を接している。最高峰はイスモイル・ソモニ峰

おもな民族はタジク人ウズベク人ロシア人など。タジク人の話すタジク語はペルシア語に近く、民族的にはイランに近いと考えられるが、タジク人を含めたタジキスタンのムスリム(イスラム教徒)の間ではスンナ派が多数を占め、イランと同じシーア派十二イマーム派は殆どいない。むしろ、東部のパミール高原ではイスマーイール派の信徒が大部分を占め、パキスタン北部と同様に寛容と自由に溢れるイスラム文化を築いている。

[編集] 経済

[編集] 鉱業

タジキスタンの鉱物資源で特筆すべきなのはアンチモン鉱である。2002年時点で3000トンを採鉱した。これは世界第4位であり、世界シェア2.1%に相当する。このほか、水銀(20トン、世界シェア1.1%)、を産する。有機鉱物資源は亜炭、原油、天然ガスとも産出するが量は多くない。ウラン鉱も存在する。

[編集] エネルギー

タジキスタンのエネルギー供給は世界一高いヌレークダムや近年完成間近であるサングトゥーダ・ダムなどで行っている、水力発電に完全に依存し、水が足りなくなる冬季においては首都では都市セントラルヒーティング用のボイラーを使った小さな火力発電所しかない。そのほかは、ゼラフシャン川などに大規模ダムなどを作らず、夏季に安定した水供給を約束する見返りとして、ウズベキスタンやトルクメニスタンから冬季には電気を輸入している。7000mを超える高山、深い谷と急流、比較的雨量の多い地中海性気候という条件下、年間発電量144億kW時(2001年)のうち、97.7%を水力発電でまかなっている。安価で大量の電力生産は精錬に膨大な電力を必要とするアルミニウム工業を発達させるためであり、生産量は世界シェアの1.2%に当たる31万トンに達するが、原料となるボーキサイトはウクライナなどの外国からの輸入に頼っている。輸出金額に占めるアルミニウムの割合は53.7%にも達するが、その利権のすべてがタジク国内にあるわけではない。

[編集] 国民

2000年時点で、タジク人(80.0%)が多数を占める。ウズベク人(15.3%)、ロシア人(1.1%)が次ぐ。

[編集] 著名人

[編集] 文化

タジキスタンの文化は、ウズベキスタンの文化と同根である。しかし、共産政権下においては、地域の文化組織は崩壊し、ウズベキスタンの文化とは分断された。しかし、これは全て悪い方向にいったわけではなく、ソビエト時代には、タジキスタンは劇場と有名な小説家を輩出することにより知られていた。これらの人々は、タジク語とアラビア語・ペルシャ語との関連性を調節し、タジク語をより洗練されたものにした。

タジキスタン国民の多くはムスリムであり、スンナ派が大半を占める。また、歴史的にペルシャとの結び付きが強く、イブン=スィーナーなどのペルシャ人は尊敬されている。その他、ダルヴァーズ郡、ヴァンジ郡並びにムルガーブ郡を除くゴルノ・バダフシャン自治州では、服装・戒律とも極めて緩やかで、開放的なイスマーイール派が大多数を占める。イスマーイール派のリーダーは「アーガー・ハーン」の称号を用い、宗教的指導者よりも、精神的・思想的指導者としての面が強く、国境を跨いだアフガニスタンとタジキスタンのイスマーイール派の居住する地域と周辺部では、ビジネス及び人道的支援の両面にわたる社会的事業を展開している。

このようにタジキスタン国内でのイスラム教の影響は強いが、近年はキリスト教のロシア正教など他宗教への改宗も目立ってきている[要出典]。もっとも西欧プロテスタント・キリスト教系が表立って活動することは少なく、むしろ、独立と内戦の戦乱期に入ってきたキリスト教を名乗る一派がロシアの断肉喰の習慣などの厳しい伝統を取り込んだ形で、混乱状態にあったロシア正教徒を取り込んだ結果として勢力拡大につながった、と考えるほうが適当である。

[編集] 祝日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新年 Соли нави мелодӣ -
3月8日 国際女性デー Занон -
3月20日 - 3月22日 ノウルーズ Наврўз イラン暦新年
5月9日 戦勝記念日 рўзи ғалаба -
9月9日 独立記念日 Истиқлол -
11月6日 憲法記念日 Қонуни асосӣ -
- 断食月明祭 иди Рамазон ヒジュラ暦による
- 犠牲祭 иди Қурбон ヒジュラ暦による

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光

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