ジュゼッペ・ヴェルディ
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ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi, 1813年10月10日 - 1901年1月27日)はイタリアオペラの作曲家。現代において彼の作品は存命中には信じられないほどの好評を博し、今日まで多くの人に親しまれている。
目次 |
[編集] 生涯
ヴェルディは当時ナポレオンの占領下にあった、北イタリア・パルマ公国領のロンコレ村(現在はブッセートの一部ロンコレ・ヴェルディ)に宿屋の長男として生まれ、地元の教会オルガニストに学んだあと、1824年ブッセートに移った。そこで彼は父の知人のバレッツィの世話になりつつフェルディナンド・プロヴェッシについて音楽の勉強を始めた。ヴェルディは「ブッセートの白鳥」としても知られる。この頃残した交響曲、協奏作品などの作品は遺言により廃棄されたと思われていたが、近年になって発見され、録音も行われた。
彼はロッシーニの『セビリアの理髪師』の序曲(ロッシーニは以前の作品『イギリス女王エリザベス』から序曲を転用した)を独自に作曲した。その後ミラノに移ったが、入学年齢の上限を過ぎていたため音楽院の入学許可が取れなかった。そのためヴィンチェンツォ・ラヴィーニャの個人指導を受けた。
1836年バレッツィの娘マルガリータと結婚、一男一女を授かるが二人とも早世してしまった
1838年、欧州随一の音楽出版社リコルディ社の編集者ジョヴァンニ・リコルディはヴェルディの作品の出版権を買った。以後彼の生涯に渡ってこの取引関係は続き、その後もジョヴァンニの子ティートと孫ジュリオなどの世代にも引き継がれた。
1839年ミラノに転居しオペラ『サン・ボニファッチョの伯爵オベルト』をスカラ座で初演し、一定の評価を得るが収入は少なかった。翌年妻も病気で失う。
1842年に彼の最初の成功作となった『ナブッコ』(ナブコドノゾール)がミラノ・スカラ座で初演された。このときアビガイーレを歌ったのはソプラノ歌手、ジュゼッピーナ・ストレッポーニだった。彼女はヴェルディの良き理解者であり、やがて彼の伴侶となり、1859年には二人は正式に結婚した。
1843年2月11日ミラノにおける『ロンバルディア人』の成功の後、後述の政治的事情の影響が次第に増したこともあって『エルナーニ』はヴェネツィアのフェニーチェ劇場で大成功をおさめた。
翌年、『ジャンヌ・ダルク』は彼の名声を高めることになったが、ヴェルディはスカラ座の彼の作品の上演に満足せず、リコルディに対し彼のオペラをミラノで以後上演しないように要請した。このため『アッティラ』、『アルツィラ』そして『マクベス』はイタリアの他の都市で初演された。また『群盗』はロンドンで上演された。
ミラノがオーストリアに敗れ再占領されたころ、ヴェルディは『海賊』と『レニャーノの戦い』、そして『ルイザ・ミラー』を作曲し、『マノン・レスコー』にも着手した。(これは未完の作品のままに終わることになる)。彼の『スティッフェリオ』に関する論争の後で、1851年にヴェネツィアで『リゴレット』が成功し、1853年にはローマで『イル・トロヴァトーレ』が更なる大成功をおさめたが、『トラヴィアータ』(『椿姫』)の初演では惨めな失敗を喫した。
この時期には他にも良く知られたオペラの『シチリアの晩祷』(パリで初演)、『アロルド』(『スティッフェリオ』の改作)、『シモン・ボッカネグラ』(フェニーチェ劇場で初演)、『仮面舞踏会』(検閲に引っ掛かったためローマで初演)が続いて作曲された。ヴェルディはその後イタリアの統一のために力を貸し(彼は国会議員に選ばれた)、1866年まで前作の改訂を行い、『ドン・カルロス』(イタリア語版では『ドン・カルロ』)のパリ初演を行った。
『アイーダ』がスカラ座で初演され大成功を収めたのは1872年である。この作品はエジプト総督の依頼によって作曲された。よくいわれるようにスエズ運河開通記念のためというわけではない。
リコルディ社に関して、多額の金銭をめぐる疑惑が持ち上がり、ヴェルディは彼らとの関係がいささかぎくしゃくすることになった。しかし数年後ヴェルディに『オテロ』(注:原作はウィリアム・シェイクスピアの「オセロ」)(1887年に初演)の作曲を勧めたのは、ジュリオ・リコルディと作曲家アッリーゴ・ボーイトであった。続いて他の旧作の改訂の後に『ファルスタッフ』が作曲された。
彼は貧しい芸術家のための老人ホーム「憩いの家」を完成させたあと1901年にミラノで卒中のため亡くなった。彼の葬儀は非常に多くの参列者を集め、25万人もの弔問客がイタリア音楽の最も重要な人物の一人に弔意を表した。ヴェルディと妻は、彼がユーモアをこめて「生涯最高の傑作」と呼んだ「憩いの家」に埋葬されている。
[編集] イタリア統一とヴェルディ
1840年代、ヴェルディの作品の人気は、イタリア統一運動(リソルジメント)と同時に盛り上がった。ヴェルディの作品は期せずしてイタリア人の愛国心に共鳴するものとなった。一例が『ナブッコ』第3幕のヘブライ人虜囚の合唱『行け、我が想いよ、金色の翼にのって』(Va, Pensiero)である。
この曲は現代においてすら繰り返しイタリア国歌候補として提案されてきたもの。明らかに人種差別への言及は無い。
さらに不思議なことに、まだオーストリアの統治下にあったミラノ市民がイタリアの再統一に力を尽くしているヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(後にこれを実現した)への支援を考慮し始めた時に、誰かが彼の姓は「イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ」(Vittorio Emanuele Re D ' Italia)の略であると言い出した。
かくして秘密のパルチザンがこのサルデーニャ王にミラノを征服させるように画策し始め、オーストリアの厳しい検閲のため、この運動は「ヴィーヴァ・ヴェルディ」(V.E.R.D.I 万歳)と呼ばれた。作曲家は彼の名前のこの使い方を知っており、恐らく了解していた。他に『ロンバルディア人』が政治的な出来事に言及するものとする見方もあった。
[編集] 関連項目
- ヴェルディの作品の一覧
- Category:ヴェルディの楽曲
- パルマ・フットボール・クラブ - パルマ市に本拠を置くサッカークラブ。設立当初は地元の偉人である彼に因み「ヴェルディ・サッカークラブ」と称していた。
[編集] 外部リンク
- IMSLP - International Music Score Library Project 内のジュゼッペ・ヴェルディのページ。無料で楽譜が入手可能。
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