エストニアの歴史
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エストニアの歴史ではバルト三国の一つ、エストニアの歴史について記述する。
[編集] 近代まで
現在のエストニアにあたる土地には紀元前500年頃にはエストニア族(ウラル語族)と呼ばれる民族集団が居住していた。しかし、東方から到来したスラヴ人と混血し、さらにはヴァイキングの襲来によってノルマン人とも混血が進み、10世紀までにはいまのエストニア民族が形成されていった。
13世紀に入るとドイツ騎士団がバルト海沿岸に進出し、デンマーク王国の協力を得てこの地を征服し、エストニア人をキリスト教化した。デンマークの支配のもとタリンはハンザ同盟に加盟し、海上交易で栄えた。タリンとは、デーン人の都市と言う意味である。
その後はバルト海の要衝としてポーランド王国の支配を受け、さらにスウェーデンがこれを退け、新たな支配者となった。1560年代から1711年までを「バルト帝国」時代と後年呼ばれる様になっている。 結局大北方戦争の結果、1712年にはロシア帝国がこのエストニアを獲得。以後、「南下政策」を標榜するロシアにとっては重要な「バルト海の窓」となった。19世紀にはアレクサンドル3世のもと「ロシア化」が推し進められた。
[編集] ロシア革命以後
1917年にロシア革命が勃発すると、エストニアは独立を宣言。1920年にはレーニンの「5月テーゼ」に基づきソ連は独立を承認した。また、第一次世界大戦後、アメリカ合衆国のウッドロー・ウィルソン大統領の掲げた「民族自決」の原理に従い、国際社会も独立を承認した。
ソ連による独立承認後は政局が不安定で、その結果1934年にはコンスタンティン・ペッツによる独裁政権が成立、共産党を弾圧する一方親ドイツ外交を展開した。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、「独ソ不可侵条約」に基づき、ドイツとソ連がポーランドに侵攻した。領土的野心のあったスターリンはエストニア、ラトビア、リトアニアのいわゆる「バルト三国」に食指を動かし、翌年6月に外相モロトフを派遣し、新政府樹立の最後通牒を突きつけた。ドイツからの支援も受けられないエストニアは他の2国とともに1940年6月17日にソ連軍の進駐および新政府の樹立を以って、ソ連に編入され、多数の住民が逮捕或いはシベリア送りにされた。第二次世界大戦における独ソ戦に対しては進攻するドイツ軍を「解放軍」として歓迎した。ゆえに武装SS隊員に志願者が有り、戦後、一部がソ連へのゲリラ活動(森の兄弟)やアメリカへの亡命などの悲劇があった。
[編集] 第二次世界大戦以降
第二次世界大戦後はソ連に再併合され、ソ連の15の共和国の一つとなる。 農村集団農場化政策が推進され、裕福な自作農(クラーク)や反体制派と見なされた人間が強制連行されてシベリアに追放されると共に、ロシア人などの非エストニア人が他の共和国から多数エストニアに流入した。
時代は下ってソ連にゴルバチョフが登場して、ペレストロイカ政策を推進すると、自由化の空気がエストニアにもおよび1988年には独立を目的とするエストニア人民戦線が設立される。さらに「ベルリンの壁崩壊」に象徴される東欧の民主化の波はエストニアはじめバルト3国にも波及し、1989年8月23日にはタリン、リガ、ヴィリニュスを「人間の鎖」で結ぶ運動に100万人が参加、独立回復への気運は抑えがたいものになった。翌1990年5月12日にはタリンでバルト3国の首脳が集まり、3国はソ連編入前に存在した「3カ国会議」の復活を宣言。事実上の独立回復宣言となった。しかし、ソ連ゴルバチョフ大統領はそれを無効とした。1991年のソ連での連邦維持の投票はボイコット。8月19日の共産党保守派のクーデターを原因したソ連の体制の動揺直後の9月6日にはソ連が独立回復を承認。さらに国連に加盟。名実ともに独立した。
その後1994年のロシア軍の撤退を受け西欧諸国との関係を強め、2004年には北大西洋条約機構と欧州連合にそれぞれ加盟した。なおエストニアは、フィンランドとの関係から、北欧を重視し、北欧理事会への参画を試みたが、理事会側から参画を断られている。2005年からは、ポーランド空軍がエストニアを含むバルト三国の領空防衛を委任されている。 2007年4月27日 エストニア国会の決議で首都タリン中心部の第二次世界大戦記念の旧ソビエト軍兵士像の撤去でロシア系住民と警官隊が衝突で一名死亡三百名逮捕する事態にいたりロシアとの関係は悪化している。
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