アポロ計画
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| アポロ司令・機械船 (CSM) | ||
|---|---|---|
| 概要 | ||
| 用途: | 地球・月軌道の周回 | |
| 乗員: | 3名; 船長(CDR), 司令船(CM)パイロット, 月着陸船(LM)パイロット | |
| 寸法 | ||
| 全高: | 36.2 ft | 11.03 m |
| 直径: | 12.8 ft | 3.9 m |
| 容積: | 218 ft3 | 6.17 m3 |
| 重量 | ||
| 司令船: | 12,807 lb | 5,809 kg |
| 機械船: | 54,064 lb | 24,523 kg |
| 計: | 66,871 lb | 30,332 kg |
| ロケットエンジン | ||
| CM RCS (N2O4/UDMH) x 12: | 92 lbf ea | 412 N |
| SM RCS (N2O4/UDMH) x 16: | 100 lbf ea | 441 N |
| 機械船推進系 (N2O4) |
||
| 性能 | ||
| 航続時間: | 14 days | 200 orbits |
| 遠地点: | 240,000 miles | 386,242 km |
| 近地点: | 100 miles | 160 km |
| ΔV: | 9,200 ft/s | 2,804 m/s |
| アポロ司令・機械船 概念図 | ||
アポロ司令・機械船 概念図 (NASA) |
||
| 製造:ノースアメリカン | ||
アポロ計画(あぽろけいかく)とは、月面探査を目的としたアメリカ合衆国の有人宇宙飛行プロジェクトである。宇宙開発に関してソビエト連邦に出遅れていたアメリカ合衆国が、マーキュリー計画・ジェミニ計画に次いで国家の威信をかけて取り組んだ。1969年7月20日、アポロ11号が月の「静かの海」に着陸した。
アポロ計画を通して得られた技術的成果、月面探査による科学的知見、そして人類が初めて地球外の天体に到達したことの意義が大きく評価される一方、莫大な費用を要したために批判は少なくなかった。
目次 |
[編集] 背景
アポロ計画は元々、アイゼンハワー政権の末期にマーキュリー計画の後継として、より高度な有人地球軌道ミッションとして発案された。実際にはアポロ計画はジェミニ計画に続く3番目の有人ミッションとなった。ところが1961年5月25日に行なわれたアメリカ連邦議会特別両院合同会議の席上、ケネディ大統領の以下の声明によって、アポロ計画の目標は「1960年代中の月着陸」という挑戦的なものに劇的に再設定された。
- "...I believe that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the Moon and returning him safely to the Earth. No single space project in this period will be more impressive to mankind, or more important in the long-range exploration of space; and none will be so difficult or expensive to accomplish..."
- (邦訳)「…私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国の国民が取り組むべきであると考えている。この時代の宇宙長距離探査の分野で、人類にとってこれ以上に素晴らしく、これ以上に重要な宇宙計画はないだろう。またこれ以上に遂行が困難で費用のかかる計画もないだろう…」
その後ケネディは、アメリカ人を月に到達させるというアポロ計画のために220億ドル以上という巨額の予算を承認してくれるように議会に依頼し、この計画の推進によって大きな利益を得ることになる大手軍事産業のロビー活動の後押しもあり、これを無事に通過させることに成功した。
なお、アポロ計画をはじめとする宇宙開発競争は、宇宙空間における探検や冒険、研究といった側面ではなく、冷戦下においてソ連との間で宇宙空間の軍事的覇権を争うという側面が強く、アポロ計画をはじめとする宇宙開発競争が同じくケネディによって当時推進されていたベトナムへの軍事介入の拡大と併せて進んだ結果、マクドネル・ダグラスやノースロップ、ロッキードなどの大手軍事産業は大いに潤う結果となった。
[編集] 月到達プランの選択
目標が月に決定すると、NASAのアポロ計画・ミッション立案者は、人命に対するリスクや費用、必要な技術や宇宙飛行士の技量を最小にして、ケネディが述べた目標を達成できる飛行計画を設計するという課題に挑戦することとなった。
検討の結果、以下の3通りの可能な案が考えられた。
- 直接到達
- このプランでは宇宙船を直接月へ運ぶ。宇宙船全体を月面に着陸・帰還させる。これを実行するには、当時存在していたどのロケットよりも強力な新型ロケットが必要であった。
- 地球軌道ランデブー
- このプランは地球軌道ランデブー (Earth orbit rendezvous, EOR) と呼ばれた。2機のサターンV型ロケットを打ち上げ、片方は宇宙船を、もう片方が燃料を地球軌道上に運ぶというものである。宇宙船は地球軌道上でドッキングを行い、月までの往復に必要な燃料を得る。この場合にも宇宙船全体が月面に着陸する。当初、ヴェルナー・フォン・ブラウンが提案していた方式。なおオリオンによる有人月着陸計画はこちらの方式を採用予定である(着陸方式は月着陸船を使用)。
- 月軌道ランデブー
- この案では月軌道ランデブー (Lunar Orbit Rendezvous, LOR) の技術を用いる。ジョン・ホーボルト(John Houbolt)らによって考案され、この案が実際に採用された。宇宙船は司令・機械船 (Command/Service Module, CSM) と月着陸船 (Lunar Module, LM) と呼ばれるモジュールからなっている。機械船には乗員3名の月までの往復5日間の生命維持に必要なシステムが搭載され、司令船には地球大気への再突入の際の耐熱シールドが設けられている。月着陸船は月軌道上で司令・機械船と分離して2名の飛行士を月面に降下させ、その後再び司令・機械船に帰還させる。
| アポロ月着陸船 | ||
|---|---|---|
月面の月着陸船(アポロ11号) |
||
| 概要 | ||
| 用途: | 月着陸 | |
| 乗員: | 2名; 船長(CDR), 月着陸船(LM)パイロット | |
| 寸法 | ||
| 全高: | 20.9 ft | 6.37 m |
| 直径: | 14 ft | 4.27 m |
| 脚間距離: | 29.75 ft | 9.07 m |
| 容積: | 235 ft3 | 6.65 m3 |
| 重量 | ||
| 上昇モジュール: | 10,024 lb | 4,547 kg |
| 下降モジュール: | 22,375 lb | 10,149 kg |
| 計: | 32,399 lb | 14,696 kg |
| ロケットエンジン | ||
| LM RCS (N2O4/UDMH) x 16: | 100 lbf ea | 441 N |
| 上昇推進系 (N2O4/エアロジン-50) x 1: |
3,500 lbf ea | 15.57 kN |
| 下降推進系 (N2O4/エアロジン-50) x 1: |
9,982 lbf ea | 44.4 kN |
| 性能 | ||
| 航続時間: | 3 days | 72 hours |
| 遠月点: | 100 miles | 160 km |
| 近月点: | surface | surface |
| ΔV: | 15,387 ft/s | 4,690 m/s |
| アポロ月着陸船 概念図 | ||
![]() アポロ月着陸船 概念図 (NASA) |
||
| 製造:グラマン | ||
月軌道ランデブー案では他の案と異なり、宇宙船の一部のみを月面に着陸させる。これにより帰還時に月面から打ち上げなければならない質量を最小化できる。この打ち上げる質量は、月着陸船の一部(着陸用降下エンジンを含む)を月面に残してくることでさらに小さくできる。
月着陸船自身は下降用ステージと上昇用ステージからなる。下降用ステージは、月面探査チームが月面を離れて月軌道へ戻る際には上昇用ステージの打ち上げ台として使われる。上昇ステージは月軌道上で、地球への帰還の前に司令・機械船とドッキングする。この案では月着陸船は最終的に放棄されるため、重量が非常に軽くて済み、サターンV型ロケット1機で月着陸ミッションを実現できるという利点がある。しかし月軌道ランデブー案が採用された際、ミッション計画者の中にはこの案ではドッキングと分離を何度も必要とする点を懸念する者もいた。
月着陸の技術を習得するために、宇宙飛行士は月着陸研究船 (Lunar Landing Research Vehicle, LLRV) と呼ばれる機体で訓練を行なった。この機体は(特殊なジェットエンジンを用いて)月着陸船が飛行する際の弱い重力をシミュレートするものだった。
[編集] 計画全容
[編集] 飛行実績
アポロ計画では11回の有人飛行が行なわれ、アポロ7号からアポロ17号までの名称が付けられている。打上げは全てフロリダ州のケネディ宇宙センターで行なわれ、有人飛行の管制はテキサス州ヒューストン南端のジョンソン宇宙センターで行われた。アポロ4号からアポロ6号までは無人でのテスト飛行であった(公式にはアポロ2号とアポロ3号は存在しない)。アポロ1号の名称は最初の有人飛行として計画されていた飛行に対して遡って命名された。この飛行の乗員となっていた飛行士3名は1967年1月に発射台でのテスト中の火災によって死亡した。
アポロ計画最初の有人飛行はサターンIB型ロケットで行なわれた。これ以外の飛行は全てサターンV型ロケットが使われている。全飛行のうち2回(アポロ7号とアポロ9号)が地球周回軌道でのミッション、2回(アポロ8号とアポロ10号)が月周回軌道でのミッションで、残りの7回が月着陸ミッションであった(ただしそのうち、アポロ13号は事故のため着陸していない)。
アポロ7号は地球軌道上で司令船および機械船の試験を行なった。アポロ8号は月軌道で司令・機械船の試験を行なった。アポロ9号は地球軌道で月着陸船の試験を行なった。アポロ10号は月軌道で月着陸船の試験を行なった。
アポロ11号では初めて人間を月に着陸させることに成功した。"That's one small step for a man, one giant leap for mankind."(これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。)は、月への第一歩を刻んだアポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉である。このとき記念すべき第一歩を記したのは左足である。アポロ11号が着陸した「静かの海」には、鏡100枚で作られた一辺が約46cmのレーザー反射鏡が設置された。この反射鏡は地球から発射されたレーザーを反射させて地球と月の距離を測定するために利用されている。地球と月の距離は約38万kmであり、年に3.8cmずつ距離が増えているという。アポロ12号では計画通りの地点に正確に着陸することに初めて成功した。
アポロ13号は飛行中の爆発事故のために月着陸を行なうことができなかったが、乗員を安全に地球に帰還させることができた。この事故はトム・ハンクス主演『アポロ13』として映画化されている。
アポロ14号で月探査計画が再開され、アポロ15号では新たに長時間滞在用の月着陸船と月面車が使用された。アポロ14号が着陸した「フラ・マウロ高地」、アポロ15号が着陸した「雨の海/ハドリー谷」にもレーザー反射鏡が設置された。アポロ16号では初めて月面の高地に着陸した。最後のミッションとなったアポロ17号では、科学者を初めて飛行士として送り込み、また初めて夜間に打ち上げを行なった。
アポロ17号を最後に計画は打ち切られ、スカイラブ計画に移行したが、1975年に冷戦の雪解けを象徴する「アポロ・ソユーズテスト計画」においてアポロ宇宙船「アポロ18号」はふたたび軌道上を飛び、ソユーズ宇宙船とのドッキングをはじめ、長く宇宙開発の競争相手であったソ連との共同実験を行っている。
[編集] 2号および3号
アポロ2号及び3号は欠番になっている。
アポロ計画初期、アポロと同じサターン1B型ロケットが2機打ち上げられ、非公式にそれぞれアポロ1号、アポロ2号と呼ばれていた。非公式1号は1966年2月26日、非公式2号は1966年8月25日に打ち上げられたが、どちらも無人だった。正式名称はそれぞれAS-201とAS-202である。
現在アポロ1号と呼ばれているミッションの正式名称はAS-204で、非公式にアポロ3号(もしくは4号)と呼ばれる予定になっていた。しかし、このロケットに乗り込む予定だった3人の宇宙飛行士は、最初の有人機である自分たちのロケットがアポロ1号と呼ばれるべきだと主張していた。この3名は1967年1月27日に地上訓練中の火災事故によって死亡した。事故後に彼らの遺族の要望によって、彼らが搭乗する予定だった飛行ミッションがアポロ1号と命名された。これを受けて、これ以前の無人ミッション AS-201 は「アポロ2号」、AS-202 は「アポロ3号」と非公式に呼ばれるようになった。しかし後にこれ以外のロケットがアポロ2号と呼ばれるなど混乱したため、これら2機については現在では正式名称のみで呼ばれ、アポロの名は付けられていない。詳しくはアポロ1号の項目も参照のこと。
[編集] ミッション一覧
| 打上年月日 | 宇宙船名 | ミッション目的 | 使用ロケット | 搭乗者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1967年2月21日 (予定) |
アポロ1号 (AS-204) |
司令船試験 | サターン1B | バージル・グリソム エドワード・ホワイト ロジャー・チャフィー |
リハーサル時の火災事故で中止。 搭乗者は全員殉職。 |
| 1967年11月9日 | アポロ4号 (AS-501) |
打上げ試験 | サターンV | (無人) | サターンVロケットの初飛行。 |
| 1968年1月22日 | アポロ5号 (AS-204) |
着陸船開発 | サターン1B | (無人) | アポロ1号用だったサターン1Bを使用。 |
| 1968年4月4日 | アポロ6号 (AS-502) |
機械船試験 | サターンV | (無人) | |
| 1968年10月11日 | アポロ7号 (AS-205) |
司令船・ 機械船試験 |
サターン1B | ウォルター・シラー ドン・エイゼル ウォルター・カニンガム |
アポロ計画での初の有人飛行。 |
| 1968年12月21日 | アポロ8号 (AS-503) |
月周回 | サターンV | フランク・ボーマン ジム・ラヴェル ウィリアム・アンダース |
初の月軌道飛行。 |
| 1969年3月3日 | アポロ9号 (AS-504) |
着陸船試験 (地球軌道上) |
サターンV | ジェームズ・マクディビット デイヴィッド・スコット ラッセル・シュワイガート |
初の月着陸船有人飛行。 |
| 1969年5月18日 | アポロ10号 (AS-505) |
着陸船試験 (月軌道上) |
サターンV | トーマス・スタフォード ジョン・ヤング ユージン・サーナン |
月着陸にむけた最終リハーサル。 |
| 1969年7月16日 | アポロ11号 (AS-506) |
月着陸 | サターンV | ニール・アームストロング マイケル・コリンズ エドウィン・オルドリン |
静かの海に着陸。 人類初の月着陸。 |
| 1969年11月14日 | アポロ12号 (AS-507) |
月着陸 | サターンV | チャールズ・コンラッド リチャード・ゴードン アラン・ビーン |
嵐の大洋に着陸。 |
| 1970年4月11日 | アポロ13号 (AS-508) |
月着陸 | サターンV | ジム・ラヴェル ジャック・スワイガート フレッド・ヘイズ |
事故で帰還。 |
| 1971年1月31日 | アポロ14号 (AS-509) |
月着陸 | サターンV | アラン・シェパード スチュアート・ルーサ エドガー・ミッチェル |
フラ・マウロ高地に着陸。 |
| 1971年7月26日 | アポロ15号 (AS-510) |
月着陸 | サターンV | デイヴィッド・スコット アルフレッド・ウォーデン ジェームズ・アーウィン |
雨の海に着陸。 初の月面車使用。 |
| 1972年4月16日 | アポロ16号 (AS-511) |
月着陸 | サターンV | ジョン・ヤング トーマス・マッティングリー チャールズ・デューク |
ケイリー高原に着陸。 |
| 1972年12月7日 | アポロ17号 (AS-512) |
月着陸 | サターンV | ユージン・サーナン ロナルド・エヴァンス ハリソン・シュミット |
晴れの海に着陸。 初の地質学者による調査。 アポロ計画での最後の飛行。 |
[編集] アポロ応用計画
アポロ計画を提唱した演説でケネディは、アメリカの宇宙に対する野心に対してこれほど大きな影響を与える計画はこれ以外にないと宣言した。アポロ計画の成功に続いて、NASAと主な開発企業はアポロのハードウェアを活用できる月探査後の応用プランについて調査を行なった。この「アポロ拡張シリーズ (Apollo Extension Series)」、後に「アポロ応用計画 (Apollo Applications Program)」と呼ばれる計画では、少なくとも10回の飛行が提案された。これらの飛行の多くは、サターンロケットで月着陸船が占めていた空間に科学研究用装置を搭載するというものだった。
いくつかのプランの中には、サターンIBロケットでアポロの司令・機械船を様々な低軌道に打ち上げ、45日以内のミッションを行なうというものもあった。また、2つの司令・機械船をドッキングさせて供給物資の受け渡しを行なうというものもあった。さらにサターンVロケットを極軌道や太陽同期軌道に打ち上げたり(これらの軌道に有人宇宙船を送り込んだ例はいまだにない)、静止軌道に打ち上げて、正確な静止軌道からずれていた通信衛星シンコム3の元へ到達するという計画すらあった。この衛星は静止軌道で運用された最初の通信衛星で、アポロのハッチを通り抜けられるほど小さかったため、長期間にわたって静止軌道環境に置かれた場合の電子部品への放射線の影響を研究するために持ち帰ることが検討されたのだった。また、再び月へ向かう案も計画された。この案は月軌道を長期間にわたって周回し、高精度の観測装置で月面のマッピング観測を行うというもので、月面への着陸は含まれていなかった。
これらの中で最終的には2つの計画のみが実行された。スカイラブ宇宙ステーション(1973年5月 - 1974年2月)とアポロ・ソユーズテスト計画(1975年7月)である。
スカイラブの機体はサターンIBの第3段を利用して作られ、ステーションにはアポロ望遠鏡架台 (Apollo Telescope Mount) と呼ばれる装置が取り付けられた。この装置は月着陸船の機体を利用していた。ステーションの3名の乗員はサターンIBロケットの司令船で運ばれた。ステーション本体は改造したサターンVロケットで打ち上げられた。スカイラブの最後の乗員は1974年2月8日にステーションを離れ、その後ステーションは1979年に早々に地球に落下した。この頃にはスカイラブステーションは稼動中のアポロの構成物としては最も古いものになっていた。
アポロ・ソユーズテスト計画は地球軌道上でアポロの司令・機械船とソ連のソユーズ宇宙船のドッキングを行なうというものだった。このミッションは1975年7月15日から7月24日にかけて行なわれた。ソ連はこの後もソユーズとサリュート宇宙船の運用を続けていたが、これ以後の NASA の有人ミッションは1981年4月12日のスペースシャトル STS-1 まで行なわれなかった。
[編集] 計画の最後
アポロ計画の当初のプランでは、アポロ18号からアポロ20号まであと3回の月着陸ミッションが計画されていた。しかし NASA の予算が大きく削減され、サターンVロケットを再び製造しないという決定が出されたことによってこれらのミッションは中止された。資金はスペースシャトルの開発に回され、アポロ宇宙船とサターンVロケットはスカイラブ計画に利用された。実際にスカイラブで使われたサターンVは1機のみで、残りは博物館に展示されている。
[編集] アポロ計画の背景
アポロ計画には、少なからず感情的・政治的な思惑が背景にあったことが指摘できる。それはスプートニク・ショック以来、宇宙技術の分野でアメリカ人がソ連に対してずっと抱いていた劣等感に応えるものであり、また、宇宙空間における探検や冒険、研究といった学術的側面だけではなく、ソ連との間で宇宙空間の軍事的覇権を争うという冷戦や宇宙開発競争の延長線上にあるものだった。また、この計画の推進が同じくケネディによって当時推進されていたベトナムへの軍事介入の拡大と併せて進んだ結果、冷戦下にありながらも朝鮮戦争以降大きな軍事衝突に伴う「特需」がなかった大手軍事産業は大きく潤うこととなった。
結果的に巨額の国費を浪費し、ベトナム戦争下のアメリカ経済に多大な悪影響を与えたと評されることになったにせよ、これらの視点で見ると、計画は成功を収めたと言える。実際、有人宇宙飛行でのアメリカ人の優越感は最初のアポロの飛行よりも前のジェミニ計画の時点で既に得られていた。
アポロ計画は多くの航空宇宙及び軍事技術分野を活性化させた。月着陸船と司令船に使われた飛行コンピュータであるアポロ誘導コンピュータの設計はミニットマンミサイルシステムと同様のもので、集積回路の初期の研究の原動力となった。アポロ計画で開発された燃料電池は初めて実用化された燃料電池だった。コンピュータ制御工作機械 (CNC) はアポロの部品加工でいち早く使われた。
[編集] その他
- アポロ計画全体での費用は、1969年の貨幣価値で254億ドル(2005年の価値では1,350億ドル)である。(マーキュリー、ジェミニ、レンジャー、サーベイヤー、ルナオービター、アポロの各計画を含む。)アポロ宇宙船とサターンロケットのみの費用は約830億ドル(2005年の価値)である。(アポロ宇宙船が280億ドル、そのうち司令・機械船が170億ドル、月着陸船が110億ドル、サターンI、IB、Vロケットが約460億ドル。)
- アポロ計画によって地球に持ち帰られた月の石の量は381.7kg。これらの物質のほとんどはヒューストンのLunar Receiving Laboratory に保管されている。
- アポロ11号が無事、人類初の有人月面着陸を果たし、地球へ帰還(月を周回する母船へドッキング)の為、着陸船が月面から離陸中のまさにその時、ソ連のルナ15号(無人月面探査機)が危機の海に激突するという出来事が発生していた。
[編集] アポロ計画陰謀論(捏造説・隠蔽説)
『アポロ計画は捏造で、実際には人類は月には行っていない』という説(Moon Hoax、「月のでっち上げ」の意)がある。この捏造説は、進化論否定などにも見られるキリスト教根本主義思想の影響を受けて生まれた説であり、欧米ではFlat Earth Society(平面地球協会:地球は球ではなく聖書にあるとおり平らであると主張する団体)などが最初、1970年代に唱えたものである。キリスト教文化がそれほど浸透していない日本では、反米主義や科学技術への懐疑と関連して唱えられることが多い。
日本においては、アポロ11号着陸の翌年に草川隆がSF小説として『アポロは月に行かなかった』を発表していたが、日本で捏造説が広まったのは、アメリカのFOXテレビが放送した番組をテレビ朝日が模倣して放送した、2002年以降のこととされる。
その他、「飛行士が月面で宇宙人と遭遇したが、それをNASAは隠蔽している」と言う主張もある。日本のオカルト業界においては、捏造説が普及するまでは広くこの説が唱えられてきていた。
後に2008年になって、JAXAのかぐやが月着陸船のロケット噴射によってできた噴射跡の撮影に成功し、アポロ計画による月への着陸が実質的に証明されるに至り[1]、本陰謀論の、特に日本での今後の展開が注目される。詳しくは、アポロ計画陰謀論を参照。
[編集] 関連項目
- ソ連の有人月旅行計画
- ソユーズL1計画(ソ連版有人月周回計画)
- ソユーズL3計画(ソ連版有人月面着陸計画)
- 嫦娥計画(中国版有人月面着陸計画。「嫦娥(じょうが)」は中国語で月の別称)
- レインジャー計画
- サーベイヤー計画
- ルナ・オービター計画
- スカイラブ計画
- グランド・チャレンジ
- フロム・ジ・アース/人類、月に立つ トム・ハンクスが製作総指揮のアポロ計画をテーマにしたアメリカHBOのテレビドラマシリーズ
[編集] 参考図書
- 的川泰宣 『月をめざした二人の科学者―アポロとスプートニクの軌跡』中公新書 ISBN 4121015665
- アンドルー・チェイキン『人類、月に立つ』(原書名: A MAN ON THE MOON)NHK出版 ISBN 4-14-080444-0、ISBN 4-14-080445-9
[編集] 外部リンク
- APOLLO MANIACS(日本語)
- NASAアポロ計画公式サイト
- Chariots for Apollo: A History of Manned Lunar Spacecraft By Courtney G Brooks, James M. Grimwood, Loyd S. Swenson
- NASA SP-4009 The Apollo Spacecraft: A Chronology
- SP-4029 Apollo by the Numbers: A Statistical Reference by Richard W. Orloff
- The Apollo Program (1963 - 1972)
- The Apollo Lunar Surface Journal
- アポロ計画@ケネディ宇宙センター
- Project Apollo Drawings and Technical Diagrams
- Technical Diagrams and Drawings
- Lunar Rock Inventory
- The Project Apollo Archive
- OMWorld's ASTP Docking Trainer Page
- Project Apollo for Orbiter spaceflight simulator
- Google Moon: interactive map of the Moon and Apollo landing sites
- アポロ計画@スミソニアン国立航空宇宙博物館
- ペーパークラフト(U-DON'S FACTORY)
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| TVP: szykuje się rewolucja w publicystyce |
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"Dziennik": Nowy zarząd TVP szykuje rewolucję w publicystyce. Trwają pracę nad wiosenną ramówką, w której ma zniknąć "Misja specjalna", a wrócić "Forum", ale z inną prowadzącą.
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| "Do boju, Polsko" może ruszyć na wiosnę |
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W wiosennej ramówce Dwójki może się znaleźć program rozrywkowy pod roboczym tytułem "Do boju, Polsko".
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| Serial o Sikorskim na wiosnę w TVN |
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Dopiero wiosną TVN pokaże fabularyzowany serial dokumentalny "Generał" opowiadający o okolicznościach śmierci generała Władysława Sikorskiego.
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| W TVP 2 o rocznicy Okrągłego Stołu |
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W lutym br. TVP 2 rozpocznie emitowanie cyklu dokumentalnego pod roboczym tytułem "System 09".
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| Radio Alfa ma przedłużoną koncesję |
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Krajowa Rada Radiofonii i Telewizji o trzy lata przedłużyła koncesję krakowskiego Radia Alfa. Nie zwiesiła jednak postępowania o cofnięcie koncesji.
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